あまでうす日記

あなたのために毎日お届けする映画、本、音楽、短歌、俳句、狂歌、美術、ふぁっちょん、詩とエッセイの花束です。

鴉鳶

2010-01-17 16:29:15 | Weblog


バガテルop119

世間では小沢対検察の全面戦争などと物騒なことを言うておりますが、これではいったい何のための政権交代であったのか、金銭モラルの欠如した2人の頭目を担いだ政党の愚かさ、そして渡辺爺以外誰ひとり言うべきことも言わず牡蠣のごとき沈黙を守る腰抜けフレッシュマン共に愛想を尽かして霊園の丘に登れば雲ひとつない冬晴れの青空の追いつ追われつ3羽の鳥、よく見れば飄然と円弧を描く茶色い鳶を2羽の鴉が執拗に追う姿がのぞまれ、これは面白いどちらが勝つだろう、小沢か検察か、検察か小沢か、どっちが小沢でどっちが検察かと大理石の墓場にどっかり腰をおろして仰ぎみれば、鳶の優雅でさえある悠長な飛翔に比べて黒くて敏捷な鴉どもの攻撃の激烈にして執拗なこと見事というも愚かなる対比をなし、いかにも狡猾な黒組ドウオは前から後ろからあだかも旧型零戦を挟み打つP-38の如く挑みかかりしがやがて1機は戦線離脱、残る1機は倍旧の憎悪と熱情もて仇敵廊下鳶に躍りかかりしがくだんの薄茶鳥くるりくるりと巧みに嘴撃を交わしつつ輪舞乱舞弾舞やがて阿弥陀仏鎮座まします遥かなる西方浄土に消え去り後に一片の紫雲漂えり。



♪1羽の鳶をどこまでも追いかける2羽の鴉 茫洋

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梟が鳴く森で 第1部うつろい 第26回

2010-01-16 16:07:17 | Weblog


bowyow megalomania theater vol.1

10月10日 曇

 今日、星の子で山塚さんと塩川さんが、けんかしました。

山塚さんの髪の毛を、塩川さんがひっぱったら、山塚さんが泣きました。
えーん、えーん、えーんと山塚さんは泣きました。

「山塚、ちゃんとやれよ。どうしたの。けんかしないの」
と、僕は言いました。

そしたら、山塚さんは、机の上に置いてあった花びんを塩川さんめがけて投げつけました。

ちくしょう、ちくしょう、こんちくしょう、と言って投げつけました。

黄色やえんじや白の菊の花を、教室の床の上に投げました。水をいっぱい投げました。こっ、こっ、このお、と言って投げつけました。

塩川さんのみけんから、血が流れました。
たらりたらり真っ赤な血潮が流れました。たらーりたらーり、といつまでも流れました。
血は水の上を流れ、菊の白い花と混じって、とても綺麗でした。

泣かないで、泣かないで、塩川さん、と高木先生はおっしゃいました。

こら、こら、山塚。よせ、なんてことするんだ。と長島先生は怒鳴りました。

みんな逃げ出しました。教室から全員逃げ出しました。



♪他愛ないお笑い番組を見る妻が口を開けて笑っているのを見るのが好きだ 茫洋

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梟が鳴く森で 第1部うつろい 第25回

2010-01-15 14:06:06 | Weblog


bowyow megalomania theater vol.1


10月9日 曇時々雨

朝、鎌倉駅から横須賀線に乗って大船駅に着きました。

プラットホームはおおぜいの人々でいっぱいでした。

東海道線と横須賀線と京浜東北線のお客さんで、電車も人もいっぱいでした。

どうしたんだろう? どうしちゃんですか? 車掌さん、どうしたんだろう?


今日僕は、JR東日本の車掌さんに手紙を書きました。

「JR東日本車掌様
旧型の山手線は、南武線と、常磐線と、仙台と、秋田で走っています。旧型の横浜線も、南武線と、常磐線と、仙台と、秋田に走っています。

10月9日 岳」


♪ムクよ墓穴から飛び出してアホバカ小沢と鳩山の喉笛を咬め 茫洋


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モブ・ノリオ著「JOHNNY TOO BAD内田裕也」を読んで

2010-01-14 13:35:05 | Weblog


照る日曇る日第321回

前半はモブ・ノリオの小説「ゲットー・ミュージック」、後半は1986年に内田裕也が平凡パンチで連載したインタビュー記事「ロックン・トーク」の採録という奇妙奇天烈な合体本。しかしてその実態は、モブ・ノリオと内田裕也の、孤独で奇妙なロック・コラボレーションです。

もともとは内田裕也を真正ロッカーとして高く評価しているモブ・ノリオのリクエストに文芸春秋社の奇特な編集者が採算を度外視して応えた労作のようですが、なかなか面白い。
特に裕也が中野洋、野村秋介、堤清二、カール・ルイス、野坂昭如、金山克己、中上健次、小林楠扶、武谷三男、赤尾敏、スパイク・リー、田中光四郎、岡本太郎、立花隆、徳田虎雄、佐藤太治、武智鉄二、山田詠美、田川誠一、戸塚宏、アンドレ金、黒田征太郎などと行ったロックンロール対談は、当時の代表的人物が陸続と登場し、中曽根自民党が304議席で圧勝したあの時代の政治、経済、社会、文化状況を彷彿させてくれると同時に、短い対談ながら、それゆえに彼らの人間像をあざやかに浮かび上がらせいるような気がします。

 当時、反体制の旗手であった新左翼やの人々のあまりにも単純明快すぎる主張に不安を覚えたり、身体を張って生きてきた右翼や篤志家の発言に共感を覚えたり、理路整然と現実をさばく評論家の口舌にあきれたり、思想も言説も曖昧模糊とした存在にげんなりしたり、毅然とした政治家の良心に感嘆したり、当の主人公であるロックンローラーの知性と感性の意外なありかが次第に判然として来たり、思いがけない収穫のあるインタビューでしたが、まるで掃き溜めの鶴のように凛としたたたずまいを見せ、裕也を完全に圧倒していたのは紅一点の山田詠美でした。
「ジェシーの背骨」を書いたばかりの頃ですが、まことに魅力的な人物であることがうかがえます。

 肝心の「ゲットー・ミュージック」について触れる紙幅がなくなりましたが、このへんちくりんな音楽小説は、秘密の放送局から垂れ流されるDJのエンドレストークという新スタイルを採用しており、その中で著者は、彼が偏愛する内田裕也やフラワー・トラヴェリング・バンド、シーナ・アンド・ロケッツ、深沢七郎、私の大好きなフランク・ザッパなどのインディペンデント・ミュージック・レコードをかけながら、果てしない饒舌の嵐を巻き起こしていることをお伝えして、本日の拙いレポートを終わります。


♪我想人生是Rock´n Roll也 茫洋

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哀悼エリック・ロメール

2010-01-13 11:34:40 | Weblog


バガテルop118&闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.23

パリではエリック・ロメールが89歳で、ベルリンではオトマール・スイトナーが87歳で死んだ。2人とも私の敬愛する映画監督であり、指揮者であったので、今日はとても悲しい。
夕刊にスイトナーがクレメンス・クラウスの弟子であると書いてあったので、なるほど、それで彼のモーツアルトの変ホ長調のシンフォニーが、あのように確然と響いたのかが、少し分かったような気がした。

スイトナーについては以前彼の最期となったドキュメンタリー番組の感想を書いたことがあるので、ちょっとリック・ロメールのことを書いておこう。

私がロメールを知ったのは、ゴダールやトリュフォーよりずっと後になってからだったが、彼の初期の傑作「獅子座」で一驚し、続いて「O侯爵夫人」、「レネットとミラベル」「6つの教訓シリーズ」の「モード家の一夜」「クレールの膝」「愛の昼下がり」、「喜劇と格言劇シリーズの「海辺のポーリーヌ」「満月の夜」「緑の光線」「友だちの恋人」、「四季の物語シリーズの四本、「木と市長と文化会館」「パリのランデブー」「グレースと公爵」まで、楽しみながらどの作品も映画を見る事の楽しさを満喫しながらアジアの片隅で眺めてきた。

彼の作品の多くは、パリやその近郊を舞台に、若い女性を主人公にした身近な日常生活や恋を淡々と描くことが多いが、その快適なテンポと、堅苦しい演出を排した即興的な感興の盛り上がりが、今を生きる事のよろこびと映画を見る快楽を、ふたつながらに感じさせてくれて無類の味わいであった。

とりわけ思春期の少女の恋のときめきと生のゆらぎを描いて、このシネアストの右に出る者は、これまで誰ひとりいなかったし、これからもいないだろう。
「満月の夜」の亡くなった主演女優をはじめ「海辺のポーリーヌ」や「緑の光線」に登場した素人女性の横顔を通じて、エリック・ロメールは青春の初々しさと儚さを、あざやかに浮き彫りにした。処女の生き血を吸うて、この酔狂老人は命長らえたのであった。


さうして、歳を取れば取るほど若返っていくような、天馬空を往く何者にもとらわれない融通無碍なその作風こそ、彼の芸術の真髄であり、それが彼を、終生ヌーベルバーグの最先端に立たせ続けたのだ。
J.L.ゴダール、ジャク・リベットなお存するといえども、私たちはあえてこう宣言することができるだろう。今日、ヌーベルバーグが死んだ。と。


♪処女の生き血吸う酔狂老人死してヌーベルバーグ死せり 茫洋
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梟が鳴く森で 第1部うつろい 第24回

2010-01-12 15:29:51 | Weblog


bowyow megalomania theater vol.1


「岳君、今日、英語行くんだよ。分かった?」 
と高木先生はおっしゃいました。

高木先生、いい匂い。お母さんの枕とおんなじ。いい匂い。髪の毛が長くて、とてもサラサラしていて、きれいに輝いて、さわるととっても気持ちがいい。

だから僕、お母さん好き。高木先生、好き。田中美奈子も、好き。髪の毛が長くて、とてもサラサラしていて、きれいにお日様に輝いて、さわるときっと気持ちが良いだろう。
だから、お母さん、好き。田中美奈子、好き。高木先生とおんなじくらい、好き。なんだ。

今日、高木先生が、C組の前の廊下を通りながら言いました。
「今日、耕君、英語行くんだよ。分かった?」

僕、英語分かりません。アイ・キャン・ノット・スピーク・イングリッシュ。
でも僕、英語やるよ。

はい、高木先生。僕、いっしょうけんめい、がんばります!



伊勢丹の武藤氏斃れたり齢六十三瞼に浮かぶよ颯爽たる展示会の姿 茫洋

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梟が鳴く森で 第1部うつろい 第23回

2010-01-11 11:30:33 | Weblog

bowyow megalomania theater vol.1


10月8日 雨

また雨だ。どうしてこんなに雨が降るんだろう。

空気中の水分が多いから、と、高木先生は言いました。

「スペインの平原には、大気中の水分が多いので、それでよく雨が降るのよ」
と、高木先生は歌いながら言いました。

そう高木先生がおっしゃったのは、去年の7月8日の午後3時ごろだったと覚えています。
高木先生は、うすく塗った口紅を光らせながら、確かにそう言ったのさ。

僕は、よおーく覚えているでしょ。ね、高木先生。



♪あんたのことが大好きよと囁くたびにどこかで花が咲いている 茫洋
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梟が鳴く森で 第1部うつろい 第22回

2010-01-10 17:05:15 | Weblog


bowyow megalomania theater vol.1


10月7日 雨

10月だというのに、毎日雨が降ります。ユーウツだ。字を書くと、いっそうユーウツだ。タイクツだ。

では本当にタイクツなのかしら、と自分で自分にたずねてみましたが、じつはそんなにタイクツでもなさそうなことに気が付きましたので、タイクツは撤回します。
テッカイ、てっかい、白紙撤回だ。ユーウツでテッカイだ。雄打敵貝だあ。

そこで、僕はテレビをつけました。つけた途端に、画面の真ん中に白い光が輝いて、プッツンと言った。プッツンだ。灰のような明るい灰色になって、それからゆっくり暗くなってゆきました。

テレビが死んだんです。テレビが死んだ。
ダンスがすんだ。タンスは飛んだ。テレビは死んだ。
ダンスはすんだ。タンスは飛んだ。そして僕も死んだ。
んだ、んだ、んだべ。

今日は、もう、やだ。

何もしたくない。僕、星の子学園へ行って、星の子から帰ってきたけど、僕はもう何もしたくありません。

僕はいま、ワープロの前に座って、ポツ、ポツ、ポツと雨だれのように、ポツ、ポツ、ポツと、これを、これこれこれこれこれこれこれこれこれこれこれこれこれこれこれこれを打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っ打っているんだああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ…………


墨痕淋漓「解脱」てふ賀状到来す 茫洋

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梟が鳴く森で 第21回

2010-01-09 11:46:55 | Weblog


bowyow megalomania theater vol.1

9月30日 晴

僕は、お父さんもお母さんも純ちゃんも好きです。
おんなじくらい大好きです。

10月1日 
バス停でバスを降りようとしたら、どこかの知らないおじさんに、
「馬鹿野郎、てめえ、順番に降りるんだ」
と怒鳴られて、いきなり殴られました。
いたいおう。

10月2日 雨

10月3日 雨

10月4日 お休み

10月5日 雨

10月6日 雨


てめえなんか死んじまえと叫ぶたびにどこかで鳥が死んでいる 茫洋

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池澤夏樹著「カデナ」を読んで

2010-01-08 13:40:32 | Weblog


照る日曇る日第320回

1968年の熱い夏に、嘉手納基地のある沖縄で、沖縄人とアメリカ人の4人の男女が、いわゆる「反戦平和」の運動に加担する話です。

反戦運動というのは、具体的には、嘉手納から爆弾を積んでベトナムに向かうB-52の北爆計画を事前にアマチュア無線で教えたり、基地の米兵をそそのかして脱走させ、ソ連経由でスエーデンまで脱走させることですが、こういう政治的活動を、当時若かった、あるいは若すぎた私たちは、前後のみさかいもなく、後顧の憂いもなく、ごく自然にやってのけていたわけですが、(作者にそういう気持ちがなくとも)では、そういう私たちは、いまどこでどうしているのか、と問いかけてくるような気もする小説です。

しかしその筆致はきわめて抑制されたものなので、ある種の聖なる理想と社会改革のために自己の運命を蕩尽しようとする荒荒しい破壊と自己投棄の暴力的な情熱を再現することには完全に失敗しています。もしそれが作者の狙いであるとしたら、ですが。

たとえ1年の365日が曇天であったとしても、ただ1日だけは空が黄金いろに輝いた日が、たしかにあったような気がします。そしてその日、私はまさしく午前10時の太陽であり、若いこと、貧乏であること、無名であることに限りない誇りを持って生きていたと、誰に誇ることもなく静かにつぶやくこともできるのですが、あれらの心躍る冒険を、もう一度、前後のみさかいもなく、後顧の憂いもなく、ごく自然にやってのけることの「不可能」を、なにゆえか、何者によってか、思い知らされているような気がする自分がはがゆく、いささかやるせないのです。

沖縄よ独立せよすべての基地すべてのアメリカー、すべてのヤマトンチューを投げ捨てて 茫洋

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梟が鳴く森で 第20回

2010-01-07 11:39:27 | Weblog


bowyow megalomania theater vol.1


9月29日 晴

お父さんとお母さんと純ちゃんと僕の4人で大船のスエヒロファイブへ行きました。自動車に乗って行きました。トヨタ・カローラに乗って行きました。

トヨタ・カローラはお母さんが運転しました。なぜなら、お父さんはトヨタ・カローラを運転できないからです。

どうして運転できないのと純ちゃんがお父さんに聞きました。するとお父さんは、
「中学生の時にホンダ・スポーツカブにはじめて乗って坂道を降りたらだんだんスピードが出てきたので、ブレーキをかけたらそれがアクセルで、とうとう丹陽教会の玄関にぶつかってしまった。それいらい動くものは運転しないことに決めたんだ」
と答えたので、純ちゃんは「へええ」と言いました。

お母さんはなにも言いませんでした。

僕はスエヒロファイブで、ハンバーグを食べました。それからクリームソーダのサクランボウを食べました。それからクリームソーダを飲みました。とってもおいしかったです。

横須賀線の踏切は、カン、カン、カンと鳴ります。イ短調です。


♪悲しいおイ短調で鳴る横須賀線の踏切 茫洋

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梟が鳴く森で 第19回

2010-01-06 14:15:13 | Weblog


bowyow megalomania theater vol.1


9月28日 晴のち曇

今日はお母さんと一緒に横須賀線に乗って横須賀へ行きました。聖ヨセフ病院で虫歯を治すのです。

「痛くないからね。すぐ終わるからね」
と、先生はおっしゃいました。
僕は、じっとしんぼうしました。あんまり痛くはありませんでした。

帰りに目耕堂で、マリオの本を買いました。マリオとピーチ姫とキノピオとクッパと御兄ちゃんキノコと御姉ちゃんキノコと弟キノコと国王が出てきます。


♪ウジ虫のような存在でも生きている意味があるはず 茫洋
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梟が鳴く森で 第18回

2010-01-05 11:50:36 | Weblog

bowyow megalomania theater vol.1

9月27日 雨

昔、昔のこと。
僕が戸塚の子ども病院へ連れて行かれた時のことを思い出しました。

お父さんが、怒り狂っていました。

「俺の仕事が頭を使うから、子どもが自閉症になったんだと! どういうことだ。そもそも頭を使わないで済む仕事なんて世の中にあるのか! イ、イ、インテリゲンチャンの子どもがみな自閉症になるなら、(注1)どうしてお前の子どもも自閉症にならないんだ。え、どうなんだ!」

お母さんは、泣いていました。

「私の育て方が過保護で、そのせいでこの子が自閉症になっただなんて、とんでもないことです。(注2) 私は天地神明に誓って、そんないい加減な子育てをした覚えはありません。お医者さんが、そんな無責任なことを言っていいんですか?」

東大医学部精神科からここへ派遣されている30代のエリート医師は、口から猛烈に唾を撒き散らして怒り狂うお父さんと、泣きじゃくりながら必死に抗議するお母さんに困ってしまって、50代のいかにも偉そうな顔をした先輩医師の方を見やりました。

「まあ自閉症もいろいろありますが、結局は情緒障害(注3)ですから、まずお父さんお母さんの生き方から改めてもらわないとね」
その人を人とも思わぬ言葉に、お父さんは、またしても怒り狂い、お母さんは、また泣きました。泣きながら必死で抗議しました。

大好きなお母さんをこんな目にあわせた奴を、僕はぜったいに許さないぞ。ぜったいに……。くそっ、あんな奴ら、殺してやる。殺してやる……(注4)



注1 今から30年前には、「知的な能力を持つ親から知的障碍児が生まれる」という謬見があった。
注2 親の過保護から自閉症児が生まれるという誤解を当時の東大医学部精神科のアホバカ学者どもがうのみにしていた。
注3 東大医学部のみならず当時の専門家の大半が、自閉症を「脳の中枢神経系の先天的な機能障碍」であると正しく理解せず、「後天的な情緒の障碍」と考えていた。
注4 自閉症児は健常児と違って他者に殺意を懐くことは、ない。したがってこのセリフは物語を面白くするためのフィクションに過ぎない。なお当時の「戸塚子ども病院」は、神奈川県のみならず全国で有数の自閉症専門の病院であったことを思うと、この小説の作者と同じような兇暴な思いに駆られた自閉症児者の親は、多数存在するのではないだろうか。私はあれから30年以上の歳月が経過した現在もなお、この2名とどこかの街道筋で鉢合わせした場合、物理的な実力を行使せずに通り過ぎる自信は、ない。


♪お正月の過ぎてゆくのが早いこと 茫洋


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梟が鳴く森で 第17回

2010-01-04 08:58:56 | Weblog


bowyow megalomania theater vol.1


9月26日

あの時、桜が満開でした。
何百本という桜が満開でした。風が少しでも吹いてくると、吹雪のように花びらが僕の周りにはらはらと降りかかりました。

公園の土の上は、もう淡いピンクでいっぱいでした。
あれは確か僕が1歳半の春、横浜の弘明寺の公園の昼下がりのことでした。
僕はまだ歩けなくて、のそのそと公園の砂場の辺りをはいずり回っていました。はい回っていましたら、お父さんがいきなり憎々しい声で言ったのです。
「こらっ、立って歩け。立てねえのか、こら、このイモムシ野郎!」

僕は、イモムシではありません。歩けないから、こうやってイモムシのようにはいずり回っているのです。

突然どこかから歌が聞こえてきました。
――イモムシ、ゴーロゴロ、俵はドッコイショ、イモムシ、ゴーロゴロ、俵はドッコイショ……

 お父さん、僕はイモムシではありません。


♪お母さん誕生日おめでとうと言うて次男横浜に去る 茫洋


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梟が鳴く森で 第16回

2010-01-03 19:51:54 | Weblog


bowyow megalomania theater vol.1

僕はS先生のおっしゃることはあんまりよく分かりませんでした。でも、僕が「自閉症」という名前の障碍者であるということはなんとか分かりました。

自閉症は、1943年にアメリカのカナーという学者によってはじめて報告された障碍で、新生児100人におよそ1人の割合で発症すると推定されているそうですが、そういえばいつかお父さんが僕のことを、「宝くじに当たったようなもんだ」と言っていました。

でもお母さんの話では、国連の統計では世界中のあらゆるタイプの障碍者は世界総人口の1割以上、つまり約4億5千万人いるそうなので、「そうか、全世界の1割以上が僕の仲間なのか」と僕は思いました。

僕はお父さんが命名したように、今月から「カナー氏症候群患者」です。「自閉症」よりこっちのネーミングの方がだんぜんかっこいいです。



♪地デジチューナーなんて役立たずだとお払い箱にする 茫洋
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