あまでうす日記

あなたのために毎日お届けする映画、本、音楽、短歌、俳句、狂歌、美術、ふぁっちょん、詩とエッセイの花束です。

ディートリッヒ・フィッシャー・ディースカウTHE GREAT EMI RECORDINGSを聴く

2010-06-14 20:19:42 | Weblog



音楽千夜一夜 第140夜

フィッシャー・ディースカウで思い出すのは、彼が吉田秀和翁と一緒のタクシーに乗り合わせたときの逸話です。そのタクシーのラジオからはちょうどクラシック音楽が流れていたので、まだ若き日の吉田翁が、「ベートーヴェンのピアノ協奏曲第5番!」と言い当てると、隣の席に座っていたディースカウが、「ソロはバックハウス、オケはカールベーム指揮のウイーンンフィル」と引き取ったというのですが、ここに彼のやや神経質で律儀な性格と正確無比をモットーとするきめ細かな音楽作法の一端がうかがえるような気が致します。(ところで昭和時代の東京の運転手には高尚な音楽趣味の持ち主がいたものですね。)

世界に冠たるバリトンの帝王の地位を辞したあと、彼は第二の人生に入り、第二のクレンペラーたらんと指揮者を目指してチエコフィルハーモニーを振って独欧系の交響曲をいくつか録音しました。しかし歌曲では成功した上記の音楽術が、指揮では仇となったためでしょう、クレンペラーなどからも冷たい視線を浴びて結局雄図むなしく熟年の夢を捨てたのでした。

されど古今東西男性のバリトン歌手多しと言えども、フィッシャー・ディースカウの前にディースカウなくフィッシャー・ディースカウの後にディースカウなし。その紋切り型の定評をいやおうなしに認めさせられてしまうような11枚組のEMI盤コレクションです。

そもそも私がシューベルトの歌曲の素晴らしさにはじめて目覚めたのは、忘れもしないここに収められたフィッシャー・ディースカウがジェラルド・ムーアのピアノ伴奏で歌う「美しき水車小屋の娘」「冬の旅」「白鳥の歌」の3つの代表的な歌曲集のLPレコードの演奏においてでした。

ドイツ語から翻訳された日本語の歌詞をフレーズごとに辿っていたとき、この作曲家がたくまずして企図した詩と音楽の絶妙な交歓が、フィッシャー・ディースカウの知的で、滑らかで、清潔で、かゆい所に手が届くような巧みな口跡によって奇蹟的に果たされていると感じたのです。

その懐かしいシューベルトをはじめ、シューマンの「リーダークライス」やブラームスの「マゲローネによるロマンス」(リヒテルの伴奏)、マーラー、ウオルフ、シュトラウスの有名な歌曲の録音を網羅したこのコレクションは、その1枚166円というバジェット価格ともども、この不世出のバリトン歌手の魅力をあますところなく伝えてくれるでしょう。

知に働けば角が立つことあれどやっぱりフィッシャー・ディースカウには叶わない 茫洋
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石川九揚著「近代書史」を読んで

2010-06-13 11:46:41 | Weblog


照る日曇る日 第348回

私の郷里の実家には犬養毅や西郷隆盛、新島襄、賀川豊彦などの揮毫を扁額にしたものが長押の上に掲げてありました。

南洲の「敬天愛人」はもちろん偽作ですが、やたら安易に健筆をふるった木堂に詩魂なく、襄にプロスタントの矜持あれど、「死線を越えて」の作家に初期の社会主義思想というよりは、「奇妙な童心」をくみ取ってやや意外の感に打たれたことなどを思い出します。
それでも政治家や文人墨客の書については、文がその人を表わす以上に、書がその人となりを直示することを、幼いながらになんとなく理解していたようなのです。

その後青山の根津美術館で出会った良寛の書と八〇年代のはじめに六本木の小さなギャラリーで見た井上有一の有名な「壁新聞」シリーズは、書に疎い私にとっては大きな衝撃でした。
当時世間では相田みつおや榊莫山などの手合いがらちもない紙屑をかき散らして世間の人気を博していましたが、こんな低俗の輩に比べたら、大本教の開祖出口なをの墨痕淋漓たる「お筆先」でも拝め、と言いたくなったものです。

ところが当節では、またぞろ武田なんとかとか紫の船なぞという私にはさっぱり良さのわからない書き手がマスコミの無知に乗じるように登場して超表層の話題となり、とうとう「女子書道ブーム」なるものが列島全域に嵐のように巻き起ったようで、まっこと慶賀の至りでございます。(←「龍馬伝」の福山選手の真似)
ここらでわが国の書の歴史や特性について概略を知りたいと思っていたところに、折よくこの本が出現したというわけです。

石川九楊の名前は、「毛筆の数百本から数千本が、最終的には一本一本全部別々の方向に動くように進んでいる」とか「無意識の水が動いている」というような言い方で、彼が書をかく際の「筆触」の生命力をことのほか重要視している当代屈指の書道家であるとだけ承知していました。

本書では明治の元勲から漱石、子規、藤村、晶子、茂吉、潤一郎、一政、山頭火、希代の悪筆扇千景(による国土交通省の看板)に至るまで、多くの作家や政治家、書家の墨跡と作品を具体的に例示しながら、その背景にある彼らの人物像や思想までぴたりと言い当てる離れ業を見せるのですが、たとえば宮沢賢治の「雨ニモ負ケズ」手帳全一冊、正岡子規の絶筆となった「辞世三句」の徹底的な解字分析には心底驚嘆させられました。
死に瀕した彼らがどのような心境でこれらの遺言を書き記したのかが、まるでその現場に居合わせたかのような臨場感と共にあざやかに分析されているからです。

また私は著者によって紹介される多種多様な書家の膨大な作品群の中にあって、政治家を卒業してプロの書き手になった副島種臣と中林悟竹の天馬空を行くような書、内藤湖南や夏目漱石などの保守的優等生によって酷評された洋画家中村不折の中国六朝書を自家薬籠中のものにした超前衛的な「龍眠帖」の前で、大きな衝撃を受けたことを驚きと喜びをもって告白しないわけにはいきません。

世間では先刻承知のことなのでしょうが、恥ずかしながら私は、これらの書の革命的な素晴らしさ、パンクなドラマトゥルギーについて、棺桶に片足を突っ込んだこの年になるまで無知だったのです!

うれしかったのは書の専門家である著者が子規の二人の高弟である「有季・定型・花鳥諷詠派」の高浜虚子の書を退けて「無季・自由律・短詩派」である河東碧悟桐の「再構成された無機なる自然」の境地を高く評価し、あわせて腐敗堕落した虚子亜流の現今の俳句界について警鐘を乱打していることで、これこそわが意を得た思いでした。

著者の思索の対象は、毛筆による古典的な書道の世界を離れて、石川啄木、島崎藤村、高村光太郎の「近代ペン書き三筆」の書体特徴の分析に及び、さらに啄木の「口」という字の書き方が一九八〇年代に猖獗を極めた「丸文字」の元祖であるとの指摘に至り、ついには九〇年代から始まった「金釘流横書き」が、日本語の漢字かな混じり文の将来をいちじるしく損なっているとその実例を挙げて説き、最後に一日も早い縦書きの復活を願って九〇〇〇〇〇字にわたって「三菱のユニ鉛筆で手書きされた」この大著の全巻をおもむろに閉じるのですが、そういうことなら、これからは私も板書を「金釘流縦書き」にせねば、としばし考えさせられた鋭い指摘ではありました。

早い話が、わが国近代の「書」の解剖を通じて文明の病根を剔抉する、記念碑的な名著の誕生と評せましょう。


♪明日よりは「金釘流横書き」にいたしませう悪評高き余の「金釘流横書き」 茫洋
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梅原猛著「葬られた王朝」を読んで

2010-06-12 11:15:25 | Weblog


照る日曇る日第347回

かつて「隠された十字架」で法隆寺は藤原不比等によって聖徳太子の怨霊を鎮魂するために再建されたと説き、「水底の歌」では柿本人麻呂は不比等によって石見の国で水死させられて怨霊となった、と説いた著者が、今度は出雲の国を訪ねて、出雲王朝の創始者である「スサノオとその子孫のオオクニヌシこそ、不比等がもっとも手厚く祀った大怨霊神なのであり、その不比等こそがヤマト王朝に敗れた出雲王朝の神々を出雲の地に封じ込めた張本人である」と高らかに宣言します。

菅原道真の怨霊を鎮めるために藤原忠平が京都の北野天満宮を建てたところ、道真の怒りは時平の子孫に向かったために忠平一族は難を逃れて摂政関白の職を独占するようになり、ついには天満宮が摂関家の守護神になってしまった話は有名ですが、怨霊鎮魂派にして藤原不比等原理主義の泰斗である著者は、今回もかなり強引にこの論法を古代出雲文明の誕生と死滅の歴史に適用して、かなりの成果?をおさめた模様です。

 およそ40年前に「神々の流竄」でヤマトで起こった物語を出雲に仮託したフィクションであると断じた著者でしたが、本書ではその誤りを全面的に認め、やはり古代出雲にはヤマト王朝にまさるとも劣らぬ偉大な文明と文化があったことを、記紀の徹底的な読み直しや最近の考古学上の遺跡・遺物発掘や郷土史研究の成果を踏まえて、威風堂々と骨太に論証しているのです。

 私は、著者のいつもながらの鋭い直観に裏打ちされた規模雄大な構想力と大胆不敵な想像力に対して、深甚なる敬意を惜しむものではありません。しかし、「縄文時代の日本(あるいは日本人)」などという明らかに非歴史科学的な用語を乱発したり、神話上の人物と実在の歴史的人物とがいともたやすく観念的に接ぎ木されてしまったり、相変わらず「古事記」の選集に従事した稗田阿礼が藤原不比等その人である、と力説している梅原翁の「論証」のやり方には、多少の粗雑さを感じないわけにはいきませんでした。


いざ行かん蛍舞う橋の袂まで 茫洋

細君と蛍見にゆく夏の夜
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写大ギャラリーで「写真家と静物との対話」展を見る

2010-06-11 10:24:19 | Weblog


茫洋物見遊山記第31回

すでに6月の6日に終わってしまいましたが、東京工芸大学・中野キャンパスで開催されていた「写真家と静物との対話」展を足早に見物していたのでした。
 
写真と私の初めての出会いは「日光写真」でした。いつ差してくるかわからない光線をひたすら待ち続けていると、深い霧がようやく憂鬱なヴェールを開いて転写装置を載せた小さな方形のフレームの上に幽かな陽の光が落ちると、印画紙の上に影とも形ともつかない図像がぼんやりと姿を現します。露台の上でうずくまって、裏日本地方特有のうら悲しい曇天の空を見上げていた少年は、いったいなにを考えていたのでしょうか。

長じた後、その少年はようやく手に入れたデジタルカメラで10年近くおのれの風貌と頭上の空を撮り続け、それらの、微細な差異があるような、ないような画像をときおりパソコンのモニターで自動再生して呆然と眺めているようですが、そのとき彼の脳裏には、いったいいかなる想念が湧き起っているのでしょうか。


写大ギャラリーの会場に並んだW.H.フォックス、エドワード・ウエストン、イモジン・カニングハム、ジャン・クルーバーなどの主として静物を対象としたもの寂びた写真は、私のそんな遠い日の記憶を呼び覚ましてくれたようです。


腹黒き王沢蜂を一刺しし哀れ死にたる鳩蜂マーヤ 茫洋

ドン・ジョヴァンニの地獄落ち思い出したり小鳩刺し違え

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ジョン・バルビローリTHE GREAT EMI RECORDINGSを聴く

2010-06-10 08:15:41 | Weblog


♪音楽千夜一夜 第139夜

バルビローリといえば亡くなった三浦淳史という北国の音楽評論家を思い出します。こよなく英国音楽を愛した彼は、私にバルビローリやビーチャム卿が指揮するディーリアスやエルガーの音楽、そしてデニスブレインのホルンやジャクリーヌ・デユプレのチエロ、シュテファン・コワセヴィッチのピアノの素晴らしさを教えてくれました。

相思相愛の仲であったデユプレとコワセヴィッチの間に乱暴に割って入ることによってこの不世出の閨秀チエリストの人生をめちゃくちゃにしたダニエル・バレンボイムを生涯にわたって許さなかった三浦氏は、デユプレとコワセヴィッチの唯一の共演であるベートーヴェンのチエロソナタをこよなく愛したのでした。

さて今回EMIから発売された10枚組の超廉価版CDセットには、サー・ジョンが手兵のハレ管弦楽団を指揮したディーリアスの「夏の庭」やシベリウスの「フィンランディア」、シンフォニア・オブ・ロンドンを率いたヴォーン・ウイリアムスの「グリーンスリーヴズの主題による幻想曲」、ウイーンフィルと入れたブラームスの第3交響曲などがバランスよくレイアウトされていますが、久しぶりに聞いたベルリオーズの「夏の夜」におけるジャネット・ベーカーとの声涙ともに下る名演奏に魂を奪われてしまいました。

抒情的な旋律を歌いに歌って聴く者の琴線にとことん迫る斯界の第一人者とは、かのトスカニーニではなくなんとジョン・バルビローリその人だったのです。



♪歌え、歌え、心から歌えとサー・ジョンが叫ぶ 茫洋
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ピーター・セラーズ演出で「コシファントゥッテ」を視聴する

2010-06-09 08:10:36 | Weblog


♪音楽千夜一夜 第138夜


原作が想定する物語の時代や空間に従わず、恣意的なTPOを任意に設定し、物語の書き換えを図ろうとするオペラの新演出がいつごろから始まったのかは分かりませんが、少なくとも私がその「新しい演出」に接して驚いたのはこのレーザーディスクに収められたピーター・セラーズのモーツアルト作品からでした。


この作品は、当初ニューヨーク州立大学が主催する国際パフォーミングアートフェスティバルで上演されたものをピーター・セラーズ演出で1990年にスタジオでライブ収録されたものですが、いきなりカメラはNYからマイアミと思しき海辺に車とともに疾走し、その名もレストラン「デスピーナ」に到着したところからドラマが開始されます。

ドンアルフォンソは「デスピーナ」のオーナーで2組のバカップルはこの安レストランに出入りするお姉ちゃんとお兄さんという設定です。そういう軽佻浮薄なアメリカンという下世話な世界から立ちあがったこの安直なはずの「西洋取り変えばや物語」は、後半男性二重唱で「女はこうしたもの」が歌われるあたりから次第に深刻な様相を呈し、男と女の間を隔てている深くて速い川の運命的な葛藤が、私たち観客の心の中にもひやりと冷たく流れ込むようになるのだから、才子才に溺れがちなピーター・セラーズの演出もまんざら捨てたものではありません。

クレーグ・スミス指揮ウイーン交響楽団の劇伴も、モーツアルトの天才的な楽譜を損なわない程度には自然な流れをつくって、セラーズのやりたい放題の演出をきちんと下支えしています。


♪リークッスンが言った。おやお前丸腰じゃないか?キム・イルソンも言った。ゲイリークーパーをきどっているんだろうよ。ヤーポンよ俺たちはお前さんを武装解除しちゃうぞ。茫洋

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報国寺のタケノコを見る

2010-06-08 08:09:59 | Weblog


茫洋物見遊山記第30回&鎌倉ちょっと不思議な物語第222回

 しばらく前に細君と一緒に名物の筍を見に報国寺を訪ねました。竹寺として知られるこのお寺は建武元年1334年に天岸慧広の開山、足利家時を開基として開かれ、当時の寺領は5キロ先の衣張山に及ぶ広大なものだったと「鎌倉の寺小事典」には記されています。

 この衣張山という優雅な名前をもつ山は、仏様がゆったりと横そべったような姿をした低い山で、最近難視聴に苦しむ住民がデジタル放送受信の巨大アンテナをこの山の頂上に立てようとしたのですが、環境破壊につながるとしてその提案は当局によって退けられたそうです。

 また同書によれば、永亭の乱1439年では第4代の鎌倉公方の嫡男足利義久が10歳で自刃した悲劇の地でもあるそうですが、古くから境内の孟宗の竹林が有名で、さらに木下利玄の歌碑やお墓もあります。それは

   あるき来てもののふ果てし岩穴の ひやけきからにいにしへおもほゆ

という和歌ですが、元はもののふではなく「北条」であったのを当時の報国寺の菅原道之という住職が勝手に書き換えてしまったといからひどいものです。

 報国寺のある浄明寺の町内には「浄妙寺」という名刹もあって鎌倉時代から張り合ってきました。寺格からいえば圧倒的に後者が高いのですが、戦後は商才にたけた住職が観光客を巧みに誘致し、元広島カープの古葉監督が篤く帰依したりして竹寺報国寺の人気が沸騰しお向かいの浄妙寺さんは閑古鳥が鳴いていたのですが、東京の広告代理店に知恵をつけられた?浄妙寺が、自家製のパンを目玉にした洒落たレストランを境内に開設し観光バスが停まれる駐車場を作ったために形勢にわかに逆転中というところでしょうか。

いずれにしてもわれらがアイドル原節子老嬢が遠くに去ってしまった浄明寺界隈はもう往年の輝きがうせてしまったような気がいたします。


   ♪原節子司葉子野田高悟が徹マンしていた浄明寺遥かなり 茫洋
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バーンスタイン指揮・ウイーンフィルで「運命」「田園」を視聴する

2010-06-07 17:42:05 | Weblog


♪音楽千夜一夜 第137夜

昨日に続いてやはり定評のあるコンビによる70年代のベートーヴェン演奏です。

「運命」は1977年9月にウイーン・コンツエルトハウスで、「田園」は翌78年11月にムジークフェラインザールで行われたライブを収録しており、「レオノーレ序曲第3番」がおまけについています。

私はこの輸入盤のレーザーディスクをなんと大枚4380円!をはたいて購入していますが、いまなら同じ値段で同じ演奏によるDⅤDのベートーヴェン全集が買えるでしょう。デフレと技術革新の進歩はとどまるところがないようですが、当然ながら演奏は昔日の水準のままでとどまっていて、それが名演奏家の演奏の歴史的価値とその限界を同時に伝えるアーカイブとなっています。

平凡な「運命」と比較すると「田園」の演奏はじつに丁寧にベートーヴェンのスコアを再現していて、ウイーンを舞台に活躍したこの作曲家への共感と愛情にあふれた名演奏には違いありません。
「運命」のコンマスのライナー・キュッヒルは指揮者の急激な加速についていくだけで精いっぱいですが、「田園」におけるヘッツエルは余裕綽々。バーンスタインの名代としてまるで指揮者のように身振り手振り全身を揺らしながら弓を高く掲げてウイーンのオーケストラをリードしてゆきます。

このような指揮者以上の指揮ができるコンサートナスターは、ウイーンフィルのみならず世界中で跡を絶ちました。1992年7月29日のザルツブルグ近郊ザンクト・グルゲンでのゲルハルト・ヘッツエルの滑落死は、惜しめてもあまりある大きな損失であり、光輝あるウイーンフィルの歴史はまさにこの瞬間から腐敗と堕落の道を辿ることになったのでした。


手のひらを返すがごとく生きており 茫洋

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バーンスタイン指揮・ウイーンフィルで「マーラー交響曲」を視聴する

2010-06-06 17:37:56 | Weblog


♪音楽千夜一夜第136回

ともかく早くレーザーディスクをDⅤDに焼いておかないと2012年のデジタル態勢に乗り遅れてしまうので、数百枚あるLDを見直しながらダビングせざるを得ない消耗な毎日です。という次第でバーンスタイン、ウイーン、マーラーの70年代の黄金コンビの演奏ですが、さすがにこういう血と汗と涙の熱演タイプは時代遅れになったのかなあというのが率直な感想です。

1番ニ長調「巨人」ではもっと第4楽章で燃えてほしいのに1974年10月のバーンスタインがいくら指揮台からジャンプしても発火せず。コンサートマターがゲルハルト・ヘッツエルではなく若く凡庸なライナー・キュッヒルであることもマイナスに作用しているのでしょうが、これでは大昔のジェームス・レバイン指揮フィラデルフィア管の清新な演奏に比べてもかなり遜色があります。

ヘッツエルがコンマスに入った1972年5月ライブの第4番ト長調は最終楽章でソプラノのエディト・マチスの清純な独唱「我らは天上の喜びを味わう」が歌われるといくぶんの昂揚を見せますが、私が1979年パリ・シャトレ座で聴いたクーベリック指揮バイエルン放響の天国的で透明な演奏には及びもつかない凡演です。

1972年4月と5月にライブ収録された第5番嬰ハ短調は、有名な第4楽章のアダージェットで深い瞑想と愛と抒情の歌を聴かせてくれるものの、強いて比較すればバーンスタインのニューヨークフィルとの旧録、あるいは1987年の同じウイーンフィルとの録音のほうがより優れた演奏ではないかと思われます。

1974年10月の交響曲第7番ホ短調ではバーンスタイン・ウイーンフィルが「夜の歌」を歌います。第5楽章のロンド・フィナーレはいかにもレニーらしさが横溢しており、今日の3曲のなかではこれが最上と思えます。


生きてしあらば良きこともあらむ薺咲く 茫洋
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「ウテ・レンパーsingsクルト・ワイル」を視聴する

2010-06-05 13:56:19 | Weblog


♪音楽千夜一夜第135回


ウテ・レンパーは1963年ドイツ・ミュンスター生まれの美貌の歌姫です。キャッツやキャバレーやシカゴなどのミュージカル歌手としてつとに有名ですが、1994年にパリのブフ・デユ・ノールでライブ収録されたこのクルト・ワイル歌唱はじつに聴きごたえ、見ごたえがあります。

「クルト・ワイルの音楽の本質は彼が一過性の抒情を徹底的に排除したことです」などと時折解説を交えながら、レンパーは「赤いローザ」や「セーヌ哀歌」「バルバラ・ソング」「アラバマ・ソング」「私は船を待っているの」などワイルの代表作品に激しく感情移入して、時折は涙を滂沱と流しながらドラマチックに歌っています。そして休憩をはさんだ後半のプログラムで、ワイルの名曲として知られる「セプテンバーソング」や「マイシップ」の熱い思いを込めた絶唱に接すると、いったいワイルのどこが反抒情主義なのという疑問がわいてもくるのです。冷血の下にひそむ熱血のたぎりを私たちはあびせかけられたのでした。

 ウテ・レンパーはドイツ語・英語・フランス語を苦もなく使い分け、ローザルクセンブルクやメッキー・メッサー、ジェニーになりきってあざやかに歌います。曲想に応じてあざやかに豹変する表情や機敏な身のこなし、とりわけその官能的な肉体の運動性は見る者を強く惹きつけてやみません。

私は三文オペラといえばロッテ・レーニアとひとつ覚えで思い込んでいたのですが、この美しいミューズの前ではどうやら古い固定観念を改めざるをえないようです。ウテ・レンパーの緩急自在な身体表現力を支えた演出のジャン・ピエール・バリジェンと練達のピアニストジェフ・コーエンの好演も見事でした。


♪昨日辞めて今日忘却の総理大臣無常迅速は世の常なれど 茫洋


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独メンブラン社盤「クララ・ハスキル・ポートレート」を聴いて

2010-06-04 10:49:50 | Weblog


♪音楽千夜一夜第134回

クララ・ハスキル(1895-1960)はどこか魔法使いのおばあさんに似たやさしい風貌の持ち主でしたが、そのモーツアルトの演奏ではつとに定評があるところです。

この10枚組のCDにはそのモーツアルトの13番、19番、20番、ゲザ・アンダとの2台の協奏曲k365を柱に、ベートーベン、バッハ、シューベルト、シューマンの有名曲が収められていて、彼女の多彩なピアノ演奏を1枚たった100円というバジェットプライスで楽しむことができます。

 しかしこのセットにはグリュミオーと組んだモーツアルトのヴァイオリンソナタが欠けているのが残念です。あのフィリップス原盤の演奏には孤高の天才に終生つきまとった硬質の悲しさ、そしてハスキルにもつきまとった生の物悲しさが相乗して痛々しいまでに感じられ、そこへ若きグリュミオーの空虚な明るさが加わることによって明暗一如となった名状しがたい魅力を醸し出しているのです。

 しかしハスキルのバッハやとりわけシューマンの演奏も悪くありません。ピアノ協奏曲や「子供の情景」「アヴェッグバリエーション」を聞いていると、このルーマニアの媼の孤独な魂の奥の奥を垣間見たような気持ちになります。


藤多き里に住みたる嬉しさよ 茫洋

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蛍の頃

2010-06-02 07:53:00 | Weblog
バガテルop125

今年も滑川に蛍の季節が訪れました。

2010年の初見は5月28日の午後7時30分、小さな竹橋の上流で2匹が舞っておりました。ちなみに昨年は5月21日に1匹、おととしは6月4日になんと7匹の乱舞、その前年の2007年は6月2日に2匹でした

どうしてそんなことが分かるかって? それはね、私が博文館の10年連用日記をつけていてね、その日の天気と四季折々のチョウやカエルの産卵日や昆虫類の初見日についてメモしてあるからなのです。

それはともかく、今年はなんども台風並みの大水がこの狭くて小さな滑川を奔流のように襲いかかり、すべての動植物を由比ヶ浜の海岸に押し流したはずなのに、よくぞ蛍の幼虫の棲み家であるカワニナが川の底に残っていてくれたものです。

さきほどまた自転車で捜索に行ってきましたら、和泉橋の上流の葉っぱの陰で3匹の青白い光が点滅していましたから、昨年ほどではなくとも初夏の夜の風物詩としての役割を何とか果たしてくれそうです。

しかし町内会の連中が近々川掃除をするとかいうているので、彼らの棲み家を根絶やしにしまいかと心配。川をきれいにするのもいいけれどこの河川が全国的に貴重な天然ヘイケボタルの中世以来の自生地であることによくよく思いを致してほしいものです。

私の意見では人類は蛍の光を愛でる人とそうでない人とに分かれ、私は後者の人々とは席を同じくしたいとは思いません。またこの際ついでに言いたいことを言わせていただくならば、チョウと蛍が死者の精霊であることについてはかなり確かであるように思われます。

    父よ母よムクよみなみなホタルとなりて我をおとなう 茫洋
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杉本寺を訪ねて

2010-06-01 14:37:12 | Weblog


茫洋物見遊山記第29回&鎌倉ちょっと不思議な物語第220回

このお寺の歴史は鎌倉幕府の開府よりも古く天平3年(731年)にさかのぼります。まず当時関東地方を行脚していた行基がこの地に観音像を安置し、ついでその3年後に光明皇后が本堂を建立したのが杉本寺の開基のいわれとされています。

「吾妻鏡」には文治5年(1189年)に近所の家からの火災で本堂が焼失した、とありますが、その折になんと3体の観音像が自力で庭の大杉の元に避難したので、それ以来「杉本観音」と呼ぶようになったそうですが、杉本寺の周辺にはいまなお大小の杉の木が見られます。

さらにこのお寺を乗馬したまま通りかかった武士は必ず落馬するというので「下馬観音」という異名もつけられています。似たような地名に「下馬四つ角」という場所が鎌倉駅を右折して由比ヶ浜に向かう途中にありますが、昔はここで武将が下馬する定めでした。

私が小林秀雄とすれ違ったのはこの「下馬四つ角」の近くでしたが、彼が下駄ばきで海の方へ急いでいた姿がいまも忘れられません。「下馬四つ角」は大雨の後にはいつも冠水していましたが、最近はそういうこともなくなったようです。


六月に奇麗な風の吹くことよ 子規

鎌倉のプラットホームに降り立てば潮のかおりが胸元にくる 茫洋
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