あまでうす日記

あなたのために毎日お届けする映画、本、音楽、短歌、俳句、狂歌、美術、ふぁっちょん、詩とエッセイの花束です。

桐野夏生著「緑の毒」を読んで

2011-10-16 13:01:02 | Weblog


照る日曇る日第459回

タイトルに魅せられて読んだが、奇妙な失敗作というべきか。

開業医が水曜日の夜に手当たり次第に住居に不法侵入してスタンガンで気絶させ、麻酔薬を注射して婦女暴行するという話には大いに興味を抱いたのであるが、いったいどうしてそういう事に及ぼうとしたのかという動機が最後まで不明であった。

もしかするとそれは「当方の不明」によるものかもしれないが、いくら同業の医師である妻との関係がおもわしくないからといって、この若くて、お洒落で、金離れのよい東京の開業医が、なにを血迷ってだか連続レイプ事件を引き起こす「遺伝子異常」以外のなんらの必然性も感じられず、そんなことは頭の良い著者だって充分分かったうえで書いているに違いない。

だとすれば、これは暴行された女性たちの被害者同盟や復讐を誓う者たちの怒りや悲しみがいちおうもっともらしく描かれているとはいうものの、お話の本質は医師や病院を舞台にした一種の通俗娯楽小説であって、ここには最近著者が提起した「東京島」や「ナニカアル」などの文学的人生的サムシングは皆無なのであった。


少年の眼の塵をぞろりと舐めて取りしは祖父小太郎 蝶人
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金原ひとみ著「マザーズ」を読んで

2011-10-15 13:46:06 | Weblog


照る日曇る日第458回


3人の独身女性がそれぞれの子をもうけ、育児に翻弄されながらそれぞれの道を切り開いていくありさまが、おのがじしの体験と重ね合わせるようにして愛と共感と激励とともに語られる。

一人は作家、一人はモデル、もうひとりは普通の主婦であるが、いずれも同年代で同じ保育所に愛児を託していることから、この3つの生の軌跡ははじめはゆるやかに、そして最後は激しく切り結ばれるのである。

薬物に依存しながら自己の創造の限界に挑むユカ、幼児虐待の泥沼に転落してしまう涼子、そして美しく聡明な己の分身を悪夢の偶然から喪失してしまう五月……。

三者三様の仕事や異性や子供との対峙の仕方はすべて著者の心身に刻まれた毒と蜜であり、その激烈なリアルが、のほほんと生きてきた私のような男性を戦慄させ、うちのめす。



黄セキレイが私を見ている私も黄セキレイを見る 蝶人

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EMIの「マルタ・アルゲリッチ・ソロ&デュオ集」を聴いて

2011-10-14 16:37:08 | Weblog


♪音楽千夜一夜 第224回


1965年から2009年の間に彼女が演奏した独奏曲と連弾を集めた超バジェット6枚組CDでげす。

しかしソロはシューマンの作品15と46、ショパンの作品24等をスクープしたたった2枚しかなくて、あとの4枚はコワセヴィッチやフレーレや、その他名前を聞いたこともないあれやこれやのピアニストとの2重奏ばかり。

で、演奏はというと、私の嫌いなショパン(コルトーとフランソワの演奏だけは例外)はやはりこの人でもつまらないが、あとは、みないい。すごくいい。とりわけモーツアルトのk501とメンデルスゾーンの作品21は大変素晴らしい。


最後になりましたが、このピアノの天才の演奏をひとことで表現すると


驚天動地生成流動才気煥発丁々発止清新溌剌縦横無尽  蝶人
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ファン・ホセ・カンパネラ監督の「瞳の奥の秘密」を見て

2011-10-13 14:38:25 | Weblog


闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.158


これは英語でもフランス語でもなくスペイン語で喋っているあら珍しやのアルゼンチン映画。部下の男性を愛する女性判事がヒロインですが、後期バーグマン似のこのラテン系のえぐい顔がどうしても気になってあんまり瞳の奥をのぞきたくなかった。

主人公の男性判事が、ふとしたことから妻を暴行され、殺戮された若者の味方になって、いったん放棄された捜索を危険を冒して再開したのも、その美貌の若妻に向けられた殺人犯の瞳の奥の秘密のせいで、人はここからあんまり他人の瞳を凝視するのは問題があるという次元の低い教訓を手に入れることもできるだろう。

ああしてこうしてこうやったそのあとは、驚くべきどんでんがえしが観客の鰯の目のどきもを射抜くのであるが、それは見てのお楽しみ。罪に対する法の罰がなまくらな場合、私怨がいきつく極北の荒野を明示してこの異色のサスペンス映画は終わる。


どこまでも釣り舟草を追いかけてゆく 蝶人
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ジュリアード弦楽四重奏団のモーツアルト集を聴いて

2011-10-12 13:25:56 | Weblog

♪音楽千夜一夜 第223回

お馴染みのソニーによる超格安セットですが、いくら安くても駄目なものは駄目だ!とあら懐かしや土井委員長。ハイドンセットや弦楽五重奏曲の全集を6枚のCDにセットした演奏は見事なのですが、ともかく録音が悪いから聞くに堪えません。

マイクの設定からして近すぎます。まるで大正時代の五右衛門風呂の大衆浴場風で採録したような粗大な音だから、あとで編集しようとしてももう遅い。ともかく録音プロヂューサーがクラッシック音楽のことを分かっていないから、こういう荒く汚らしい調音をするんだな。

今はどうか知らないが、昔のCBSコロンビアやCBSソニーの録音技師はこういうデリカシーのないアホ馬鹿自称専門家が多かったに違いない。

この盤も相当なものだが、少し前に発売されたブタペスト弦楽四重奏団の3回目のステレオ録音も、演奏は素晴らしいのにもっともっとひどかった。リリー・クラウスのモーツアルトのピアノソナタの2度目のステレオ録音も同様で、きっと同じアホ馬鹿技師が手掛けたのだろう。

CBSのみならずドイツグラモフォンの録音技師にも酷い奴がいて、お陰でケンプの2回目のベートーベン全集の出来栄えをさんざんなものにしてしまった。世の中で下手な政治家と指揮者と録音技師ほど罪なものはありませんな。


自閉症を脳障害と認知できず百歳になりたる大病院長 蝶人

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フランシス・フォード・コッポラ監督の「ゴッドファーザー3」を見て

2011-10-11 13:24:24 | Weblog

闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.157

シリーズ最終作はマフィア稼業を揚棄して政財界のみならずバチカン銀行、枢機卿、法王にまで渡りをつけたアルパチーノ・ゴッドファーザーが、一将成って万骨枯れるさまを彼の息子が主演する「カバレリア・ルスティカーナ」が初日の幕を開くシチリアのオペラハウスを舞台に、このオペラの進行とともに劇的に描きつくします。

シチリアを舞台にしたこの愛憎と殺戮の歌劇は、この映画の世界と蝮のように絡み合って複雑な陰影と感銘をもたらすのです。

またこのオーケストラの指揮を担当しているのは恐らくコッポラの父カーマインであり、彼の娘ソフィアが一族の華であり希望の星である愛娘を演じているのですが、この3代続くコッポラ・ファミリーがコリオーネ・ファミリーの栄光と悲惨の物語を演出しているのも、じつに興味深いものがあります。

敵のみならず兄を殺し、妻に逃げられ、病に侵されたゴッドファーザーは、すべてを次期頭領アンディ・ガルシアの若きと差配に委ねて次々に宿敵を暗殺していくのですが、その代償に哀れ最愛の娘を喪ってしまいます。

金も権力もついに親しき者への愛に値しない、という恐ろしく陳腐な、しかし不滅の真実の前にくずおれた主人公の耳に、またしてもあの哀愁のシチリアーノの旋律が諸行無常と鳴り響くのでありました。


お父さん「風のガーデン」に行ってきましたと無事長男帰宅す 蝶人


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フランシス・フォード・コッポラ監督の「ゴッドファーザー2」を見て

2011-10-10 13:13:18 | Weblog


闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.156


シリーズ第2作ではトマト畑で亡くなった先代ゴッドファーザーの生い立ちが二代目アル・パチーノの暗欝な闘争と覇権の確立と交互に描かれる。マーロン・ブランドの若き日を演じるのはロバート・デ・ニーロで、このシリーズを成功させたのはコリオーネ・ファミリーを演じる個性的な役者の顔触れにあるともいえよう。

特に秀逸なのは幕僚役のロバート・デュバルとアル・パチーノの不肖の兄役のジョン・カザール、そして妹役のタリア・シャリアでファミリーの優等生と劣等生が悲喜こもごも内紛を繰り返すから物語はいちだんと生彩を放つのである。

巨大な敵ロスをようやく屠った主人公だったが、どうしても身内の裏切りを許せず、血の粛清を続けて最愛の妻にも去られる。己一個のささやかな幸福を犠牲にして大家族=ファミリーの正義と繁栄を第一義として滅私奉公するそのいびつな姿は、かの連合赤軍の血まみれの悲惨な末路をまざまざと想起させる。

 あらゆる共同体は個我の運命をおしつぶす。コリオーネ・ファミリーよりも、山口組よりも自分、会社や国家よりも圧倒的に自分が大事である。



日記書きましたなぞとつぶやいて客を誘う君は孤独な一匹ブロガー 蝶人
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マイケル・パウエル監督の「うずまき」を見て

2011-10-09 13:02:59 | Weblog

闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.155

これは1945年製作の英国映画で、話も面白いがそれよりも第2次大戦を戦いながらよくもこういうスリルとサスペンスに富んだ奇想天外な冒険恋愛映画をつくったものだと感心する。

アメリカもフランスもそうだが1945年製作の日本映画が成瀬巳喜男の「三十三間堂通し矢物語」と黒沢の「続姿三四郎」くらいしかまともな作品がないのと比べると、1946年の「天井桟敷の人々」、1948年の「自転車泥棒」といい1941年の「市民ケーン」といい本作といい、やはりかつての西欧映画大国の映画力の底力は物凄いものがある。

「うずまき」は25歳のロンドン娘が大富豪と結婚することになり、彼が待つヘブリデス諸島のキーロン島に向けて旅立つが、荒天と新たな恋人の出現にさまたげられ、結局はキーロン島へは行かずにハッピーエンドとなる。

またこの映画には、アントワーヌ・ヴァトーの代表作「シテール島への船出」やエドガー・アラン・ポーの短編「メールシュトレームに呑まれて」の引用がなされているようで興味深いものがある。



11年シャンパンファイトを知らざりし背番号51の秘かな哀しみ 蝶人


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ジャン・ドラノワ監督の「サン・フィアクル殺人事件」を見て

2011-10-08 15:05:30 | Weblog

闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.154



ジョルジュ・シムノン原作のメグレ警視が活躍する探偵小説を、懐かしのジャン・ギャバンが余裕たっぷりに風格の主演を楽しんでいる。サン・フィアクルというのはフランスの地名で、わがメグレ警視の生誕の地である。

 少年時代のメグレのあこがれの的であった伯爵夫人が何者かに脅迫されているというので、何十年振りかで故郷に戻ったギャバンだが、その翌朝哀れ彼女は教会で息絶える。

 思い出深き依頼者の生命の危機を未然に防ぐことができなかったギャバンは、遅まきながら捜査に取り組むが、意外や意外、真犯人はすべての観客のあらゆる予想を覆す者であった、という巧妙なトリックよりも、昔はこういう映画が映画だった、のであるんであるんであるん。


               曼珠沙華刈り残すほどの菩提心 蝶人
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フランシス・フォード・コッポラ監督の「ゴッドファーザー」を見て

2011-10-07 11:50:27 | Weblog

闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.153

マリオ・ブーゾの原作をコッポラが監督し、マーロン・ブランドとアル・パチーノが共演した1972年のアメリカ映画で、この2人の演技と存在感がともども素晴らしい。

特にブランドのしゃがれ声がニノ・ロータの哀愁を帯びたテーマ音楽と低く重く響き合って、このどうしようもないイタリアコルシカ島マフィアの果てしない暗闘と殺戮と愛憎のドラマの通奏低音となっている。

映画のはじめではやくざ稼業とは無縁の秀才であったアル・パチーノが、自らが望んでか望まれてかずぶずぶとこの世界に足を踏み入れ、ラストでは偉大な祖父の押しも押されぬ後継者として頭角を現し、普通の家庭の幸福を夢見るダイアン・キートンの手が及ばない無限地獄に飲みこまれていく、そのコントラストが見事である。



ミンミンと鳴くのはミンミン、ジイジイは油、チイチイはニイニイ蝉、カナカナはヒグラシ、シャンシャンはクマ蝉、ツクツクオーシはその名のとおり

10月の7日に夏の蝉が鳴く 蝶人
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加藤陽子著「昭和天皇と戦争の世紀」を読んで

2011-10-06 13:11:27 | Weblog

照る日曇る日第457回



本書を読むと、満州事変、日中戦争、そしてアジア太平洋戦争のいくたの局面に、昭和天皇がどのようにかかわったのかを詳しく知ることができる。

昭和天皇と戦争相関関係を微に入り細にわたって追及する著者の筆は鋭い。例えば米国への宣戦布告が遅れたのは駐米日本大使館の不手際ではなく、陸海軍の奇襲作戦を効果的にするために統帥部と外務省が意図的に遅らせたこと。ルーズベルトから天皇への親書電報も陸軍が15時間も遅延させたこと。そもそもだまし討ちの汚名を蒙らないためにはワシントンでなくとも東京の駐米大使グルーに布告文書を渡せばよかったこと等々、目からうろこの斬新な指摘も多々ある。

著者がいうように、皇太子時代に西欧を訪れて第一次世界大戦の惨禍をつぶさに目にした昭和天皇は、祖父にならって世界平和の重要性を痛感していたはずである。

ところが長ずるに及んでみずからが総攬する大権が憲法の制約下にあることを知りつつ、宮中、内閣、陸海軍、とりわけ幕僚に対してはラバウルや沖縄などの戦争政策に関しても積極的に発言し実質的に命令している。統帥権を掌握していた天皇は当然首相や閣僚が知らない情報まで把握しており、ある時は適切な、またある時は不適切な政治判断を示しているのである。

特にアジア太平洋戦争については陛下の個人的御聖断によって対米英戦争がはじまり、同じく彼の個人的決断によって終結し、その所為で無慮数百万の無辜の赤子を、海ゆかば海の底で、山ゆかばさいはての凍土や密林で玉砕させたわけだから、連合国がどう判断しようと人間一個の道義的責任ということをまじめに考えれば、形式的な法律論でこの人物を「無答責」と免罪するわけにはいかないだろう。

しかし、これでもかこれでもかと当時の客観的情報を並べて学者的分析を述べる著者は、この重大な問題について沈黙を守っている。じっさい当時の国内外、政官財軍民の動向はあまりにも複雑怪奇に入り組んでおり、本書を読めば読むほど、天皇を含めた諸個人の思想と行動の軌跡を精密に腑わけしてその功罪得失と論じ、あまつさえその因果応報を断じることは神ならぬ身には不可能に近いのではないか、という一種のあきらめにも似た慨嘆が湧きおこるのである。


ブレーキのない自転車に乗る奴はみなみな弾き殺されろ 蝶人

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マイケル・ウインターボトムの「日蔭のふたり」を見て

2011-10-05 13:18:29 | Weblog


闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.151

トーマス・ハーディの「日蔭者ジュード」をマイケル・ウインターボトムが映画化した1996年製作のイギリス映画である。いかにも朴訥なイングランドの農家や荒野が出てくるが、そこで人々は過酷な生活を強いられている。

農家の倅でありながら大学に入ってエリートたらんと志した貧しい若者ジュードだが、その人世は時折は薄日が差した日もあれど、雨と曇天と泥濘の暗い日々が続いた。

初婚の女に逃げられあこがれの美女とついに結ばれたのは良かったが、石工の単純労働の実入りは僅かで、ようやく築いた家庭の幸福も幼い子供3人を喪っては生きる希望も勇気もなえてしまうだろう。「食べるためには人数が多すぎるので」という悲惨な遺書を残して、ジュードの先妻の息子が後妻の2人の娘を殺して首つり自殺してしまうのである。

この悲劇を神の罰と感じた妻は宗教に逃げ込むが、ジュードはあくまでも愛を信じ、2人で再起しようと呼びかける。
ラストの「君がどこにいようとも僕らの夫婦の絆は不滅だ!」という健気なジュードの叫びに間接的に答えるかのようにしてビートルズは「ヘイ・ジュード」という応援歌を作った!?が、この映画も悲惨な階級格差と苦闘するルンペン・プロレタリアートや差別に苦しむユダヤ人への遠いエールになっているようだ。


ヘイ・ジュード! 人生から逃げるな、宿命を恐れるな 蝶人
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ムルナウの「最後の人」を見て

2011-10-04 12:38:52 | Weblog


闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.151

こちらは「タルチュフ」の前年1924年に製作された名編で、ベルリンの名門ホテルの名物ドアマンのエスカレータ物語。

寄る年波に勝てず支配人から洗面所の世話係に降格された主人公は、プライドと共に絢爛豪華なその立派な制服をもはや着られないとしって失望落胆する。

おりしもその夜は姪の結婚式。支配人からはぎとられた制服を夜陰に乗じて盗み出しいつもと変わらぬ上機嫌をよそおいつつ鯨飲する主人公。しかしその恰好ではアトランチックに入れないではないか……。

とかなんとか色々あって人世に絶望した主人公はトイレの前で野垂れ死にするところで映画の幕はいったん降りるのだが、それではあんまり可哀想だというので脚本家がハッピーエンドのシナリオをかくという軽さと瓢逸さがお洒落です。


          お前は歌うな 黙ってそこで大人しくしてろ 蝶人
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ムルナウの「タルチュフ」を見て

2011-10-03 09:10:11 | Weblog
闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.150

ドイツ映画創世記の巨匠ムルナウが1925年に製作した無声映画で、モリエールの原作に触発されて撮った愛はぺテン師に勝つ、という教訓物語。

悪賢い家政婦に財産を巻きあげられ、あわや毒殺されようとしたボケ老人の危機を、彼の孫が救うという話だが、その救助方法が面白い。移動映画上映技師に扮し、家政婦をだまして祖父の家に乗り込み、2人に「タルチュフ」の映画を見せるのである。

偽の宗教家タルチュフにすっかり騙されて言いなりになった馬鹿な夫を、美しい妻と聡明な召使が勇気と知恵を振るって正気に戻し、友人の顔をして隣に座っていたペテン師を追いだす、という映画内映画を見せられた老人は、ようやく自分の隣に座っている家政婦が「女タルチュフ」であることに気づき、孫と一緒に追い出してめでたしめでたしとなる。

シナリオとしては理屈っぽいが、表題役のエーミール・ヤニングや、愛する夫のために必死で彼を誘惑する美貌でお色気たっぷりのスリル・ダーゴヴァーの歌舞伎的な演技が楽しい。


こらそんな所で車を停めて昼寝するな白洋舎の営業マン 蝶人

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アン・リー監督の「いつか晴れた日に」を見て

2011-10-02 13:44:32 | Weblog


闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.149


1995年製作の米英合作映画。漱石がもっとも愛した閨秀作家ジェーン・オースティンの「センス&センシビリティ」を英国の女優エマ・トンプソンが脚色し、台湾人のアン・リーが監督している。

人世の基本は家庭と家族と世間の人間関係にあり、小説の基本もここにあるとするオースティンの小説ほどいたく身にしみるものはないが、これに私淑した漱石もまた同じフレームで「それから」「門」「行人」「心」「道草」「明暗」など彼の後期の家庭小説を書いた。

遺作の「明暗」をのぞいて漱石の家庭小説の大半がペシミスティックで人世深く沈湎して夕べの雲と消えるのに対して、オースティンは山あり谷ありの起伏と波乱を乗りこえて最後には落ち着くべきところに落ち着く。本作における長女エマ・トンプソンがヒュー・グラントに、次女ケイト・ウインスレットがアラン・リックマンと目出たくゴールインするように。

特筆すべきはエマ・トンプソンの脚本で、ラスト近く恋人を取り戻したよろこびに日頃の冷静さをかなぐり捨てて随喜の涙を流す迫真の演技、さらに英国の田舎の美しい風景と共に観客の心を激しく揺さぶらずにはいない。


毎日空の写真を撮り続ける人の心は寂しい 蝶人
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