遊びをせんとや

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これは観に行かねば ~小早川秋聲 旅する画家の鎮魂歌~

2021-08-30 06:12:25 | 美術館、博物館
いよいよ8月も終わり、先を見越して

会期は9月一杯あるけど、やっぱり今週行っとこと思って久しぶりに京都文化博物館へ出かける。



  

小早川秋聲の結構まとまった回顧展。

全く忘れ去られていた日本画家だが、2年ほど前に日曜美術館で取り上げられた。
これを観たような気がする。
でも直接行こうと思ったきっかけは新聞の記事だ。

珍しい従軍画家、戦争賛美の画家。だと私も思っていた。

でもこの人、凄ーく多才。絵を描くだけでなく、馬術や武術なんかも秀でていたみたい。
二十歳の頃


イメージとしては大和和紀の漫画「ハイカラさんが通る」伊集院静みたいな感じ。
しかも住職の二代目。当然、出家はしてはるお坊さん。

日本画と言えども、中国に渡り、現地で水墨画も勉強した。

だからこんな作品もさらっと描けちゃう。「絲綢之路」


昭和の初期にヨーロッパにもわたり、アルプス山脈で遭難しかけたりもする。

山奥の山賊に襲われそうになるが、馬術と武術を買われて仲間に誘われたり。

その頃の風景を日本画の岩絵の具で描いた色紙大のスケッチがすごく素敵。
ヨーロッパの光を知ることで、色に幅が出てきてそれを表現するのに、岩絵の具がぴったり。


全て撮影禁止だったので、HPや色々なブログからお借りしました。

やがて、子供が生まれて長女を描いた。「未来」


回りに描かれている玩具の色々が印象に残る。
日本の玩具を描いたスケッチとかもあったから。

お母さんのお里が神戸のすごいお金持ちで幼少期にそこで育って、10代で京都の日本画家に弟子入りしている。

また、結婚した奥さんの里もお金持ちで全く金銭には困らなかったそうだ。
だから、この時代に海外に行くのも抵抗がなく、ヨーロッパで飛行機に乗ることも意に介さなかったらしい。

東本願寺から依頼されて従軍画家になる。

そこで描かれた「御旗」


私は左の旗(たぶん日章旗だと思うんだけど)が巻かれているのが印象に残った。

そして「國之楯」


この作品は本当は、背景に桜の花びらが描かれていたそうだ。

これはレプリカです。

それでも頼んだ陸軍にも「返却」されたそうだ。なんかわかるように気がする。あまりに凄すぎたから。

戦後、花びらは消されたそうだ。

小早川秋聲は戦争画を描く時も決して、戦っている時の絵は描かなかったそうだ。

「なんでもやってみなければわからない。」と戦地にも赴き、凄絶な場面も目にしただろう。
戦士たちと行動を共にしたからこそ描けた作品群だった。

なんともふり幅の大きなパワフルな人物だ。好奇心の塊のような。

かなりの作品数があり、観にきて良かったと思った。

空いているJRで早い目に着き、近くの古民家を改装した「ブルーボトルコーヒー」というカフェでアイスカフェオレを飲んだ。


 

  

岡崎ばかりに行っていたので、久しぶりに烏丸あたりに来てお店が様変わりしてた。
窓から見る京都の街はのんびりしていた。