どこ行ったの? 薬師寺です。

2010-01-26 14:00:51 | Weblog
唐招提寺からすぐの薬師寺にも行ってみました。
薬師寺の東塔は解体修理中でした。


薬師寺は、唐招提寺と違って真っ赤な建物の美しい様相をしています。
東塔は、1300年前に作られたものが残っているそうで
そのお色も、風雪に耐えた色なんだな~と感じますが、今回は残念ながら拝見できませんでした。
薬師寺金堂には、薬師如来、日光菩薩、月光菩薩が安置され、
また、15日であったために、吉祥天女の画像が拝見できました。


写真は西塔です。
昭和51年再建されました。鮮やかな色彩は奈良時代当時の色彩だそうです。
西塔の仏像を拝見することはできませんでした。


写真の鬼瓦は、薬師寺のお隣に、
西遊記で有名な玄奘和尚を祀る玄奘三蔵院があり、その伽藍を取り巻く土塀におかれた鬼瓦です。

以下は玄奘三蔵院伽藍についての薬師寺HPから参照させていただきました。

「昭和17年(1942)に南京に駐屯していた日本軍が土中から玄奘三蔵のご頂骨を発見しました。その一部が昭和19年(1944)に全日本仏教会にも分骨されましたが、戦時中でもあり、埼玉県岩槻市の慈恩寺に奉安され、その後ご頂骨を祀る石塔が建てられました。薬師寺も玄奘三蔵と深いご縁のある事から、遺徳を顕彰するため全日本仏教会より昭和56年(1981)にご分骨を拝受し、平成3年(1991)玄奘三蔵院伽藍を建立しました。平成12年(2000)12月31日に平山郁夫画伯が入魂された、玄奘三蔵求法の旅をたどる「大唐西域壁画」は、玄奘塔北側にある大唐西域壁画殿にお祀りしています。」

この平山郁夫氏の大壁画を拝見しました。
撮影禁止のために、現地へ行ってのお楽しみです。

二日間の奈良の旅は、車でもない、みんなと足並みを合わせる必要もない
ゆっくりとした時間の中で、仏像や古代の歴史に思いを馳せる旅でした。

あさ、9時ごろから拝観したのですが、気がついたら午後の2時になっていました。
京都駅のデパート地下で、
我が家族のお気に入りのお店の、京都名物ちりめんじゃこを購入し家路に着きました。
以上、奈良に行ってきましたシリーズ一挙報告終わりです。

どこ行ったの? 唐招提寺です。

2010-01-26 11:12:51 | Weblog
奈良行きの二日目は 唐招提寺と薬師寺です。
唐招提寺は、7~8年前に行ったとき解体修理中で拝見できませんでしたので
今回ぜひ拝見したいと思ったのです。

写真は唐招提寺金堂です。
この威風堂々とした建築が好きです。
入場の再いただいた説明には鑑真和尚が作ったとありましたが、
最近の説はお弟子さんたちが作ったということらしい
もっとちゃんと勉強したいと思っています。
奈良時代の盧遮那仏坐像、千手観音立像、平安時代の薬師如来立像が祭られていましたが撮影禁止なので残念。


鑑真大和尚の座像は拝見することができませんでした。
散策しているうちに、鑑真さんのお墓に出会いました。
幾度も幾度も渡航を阻まれながら、それでも意志を貫いて来日した鑑真和尚の生き様に改めて感動しました。
帰りの新幹線で井上靖氏の 天平の甍 を改めて読み直しました。


寺院のあちこちの巨木の足元を、この万両が飾っていました。
見上げるような大きな樹木はいつ植えられたのか・・・


唐招提寺の伽藍、金堂などの軒、四隅に鎮座します鬼瓦です。
悪の入ってくるのを阻んでいるのでしょうか?

金堂の屋根の鴟尾は金色に輝き新しくなっていますが
宝蔵には 奈良時代の大きな鴟尾が保存されていました。

どこ行ったの? 平城京です。

2010-01-26 10:43:27 | Weblog
14日、奈良に・・・以来ご無沙汰ですが
このごろ、奈良はどこ行ったのと聞かれるので報告です。
一日目は平城京でした。


奈良は平城京遷都1300年祭に向かって準備中です。
私はそれを意識したわけではないのですが
奈良に向かう電車から いつも朱雀門が見えていて
いつか行きたいな~ と思っていました。
今回をそのチャンスと
まず、近鉄の西大寺駅で下車、平城京跡を目指しました。
写真は朱雀門前です。


ひろ~い平城京の中を散策しました。
四月の祭りに向けて 突貫工事の最中で無粋なブルドーザーや生コン車が動いていましたが
それでも近所の散策の人々、視察にこられたのかな~と思える人々がいました。
写真は大極殿です。
中には入れませんでした。
とても大きな建造物で、奈良時代の人々が当時それこそ天皇の命令で突貫工事を行った証でもあります。
その技術のすごさもわかります。


散策中、池の中にいた たぶんゴイサギです。
枯れ草の中に寒そう(?)に首をすくめたようにたっていました。


朱雀門に沈む夕日です。
一人旅でしたので、ゆっくり、夕日が朱雀門に懸かるのを待ちました。

この平城京跡は、江戸の昔から開発の危機にさらされてきたとか、
それを住民が守ってきた歴史があるということを帰ってきて赤旗の日曜版で知りました。
朱雀門の内側を近鉄の線路が走っているのもそういうことなのでしょう。

この朱雀門を後に、JR奈良駅までは徒歩で行くことにしましたが
時間にしてどれくらいかは覚えていません。
大きな道路も建設中で
このお金はどこが負担しているのだろ~と
翌日、タクシーの運転手さんに聞いたら 県道とのこと、奈良県の遷都1300年祭にちなむ建設のようでした。

この日の歩いた歩数は16000歩を超えていました。