母校というところ

2006-10-04 00:31:56 | Weblog
先日テレビを見ていたら
岩手県から奄美大島へ、大家族が移住する話が放映されていました。

長子の高校受験で、費用を考えると、奄美が・・・ということらしい。
その子の、受験先が「鹿児島県立大島高等学校」わが母校であった。
久しぶりに、母校の校門を見た。

イヤ、校門は私が通学していた時は無かったから、
校門が出来ていたのを見た といったほうがいいかもしれない

なぜ、当時校門が無かったのか知らない。
でも、校風は自由であった。
しかし、わが同級生は、当時国立一期校を合格した者がいなかったとか、
その後、受験体制を厳しくし、優秀な学校へと努力を始めたとか、
偏差値高くなったのよ、と、同級生で塾の講師が言う。

数年前の同窓会で、その時の校長が、
「当校は、今や有名私立校、国立大に進学しています。」
と、誇らしげに言った。

母校で無くなったのかなー
落ちこぼれは、先生には語ってもらえないのかなー

そういえば、高校2の担任は、私のこと覚えていなかったなー
でも、友達には恵まれたからいっか
と、いろいろ思い出してしまいました。



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2 コメント

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門がなかったというのは♪ (はてなのゆり)
2006-10-05 08:55:03
門がなかったというのは、いかめしくなくって いいですね。

のどかで、ゆったりした 学校の様子が 浮かび上がってきますよ~♪
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ゆりさんへ (福田)
2006-10-06 00:38:28
そうなんです。

本当にいかめしく無かったのです。



私は当時、寮に入っていました。バスの時間も間遠いために通学に困難だったからです。

実家の庁内にも県立高校はあったのですが、いわゆる奄美では、良い学校と言うところに進学させてもらえました。



校風は、戦前の農学校が新制高校になったところで、伝統のある学校でしたが、自由な雰囲気でした。



また、当時、奄美の方言は恥ずかしいものと学校で使うことを禁じられていたのに対し、

高校の古典の先生が、奄美の方言と日本の古典に出てくる古語との関係を教えてくれ、自分の生まれ育った地域の歴史に誇りを持つことを教えてくれました。

それは、単に日本文化と言うことではなく、

自分の生まれ育った地域が、たとえば大和朝廷、たとえば東京などの大都会、例えば有名な観光地に劣ることなく、

あるがままで、特有の文化を育んできたことへの誇り、地方の文化の誇り、を学んだことが、

奄美を大好きにさせました。



そんな学校が大島高校だったのです。

単なる有名進学校になって欲しくない。



奄美の文化、生活の知恵の素晴らしさ、目に映る景色の素晴らしさ、台風の恐ろしさ、真夏の目を開けていられないまぶしさ… こうしたことを東京暮らしのほうが長くなって初めて知ったのですが・・・、



いっぱしの大人として、将来の夢を語り合った親友の顔が思い浮かびます。
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