どうぶつえん獣医師奮闘記④ 5時間におよんだライオンの手術
37年間で一番印象に残る診療はタケオというオスのライオンの手術です。タケオはもう1頭のオスと折り合いが悪く、けんかは絶えませんでした。
1979年11月のある夕方、痛々しく左後肢を引きずって歩くタケオの姿がありました。どうやらオス同士の争いで堀に落とされ骨折したようです。翌日午前10時から始まった手術は昼食抜きで続行し、5時間にもおよぶ私自身も初めて経験する大手術となりました。(写真左下)
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金物屋で買う
長時間の麻酔維持に苦労しましたが、体重150キログラムのライオンを手術しやすい位置に動かしたり、骨折部位をレントゲン撮影のために動かしたり、骨折端を合わせたり、そのたびに6人がかりで動かすありさま。冷えこみの厳しい日でしたがそれだけで汗だくでした。
しかも複雑骨折のために手術は容易ではなく、遊離した骨片を医療用ステンレスワイヤでつなぎ、下腿骨(脛骨)の骨髄内にはステンレスのピンを挿入することにしました。
しかし動物園にあったピンは犬用で細すぎるため、窮余の一策、近所の金物屋で太いステンレスの棒を買ってきてもらうように頼みました。それを削って骨髄の中に通しましたが、医療用のピンの安全性に比べ、金物屋のステンレス棒ではどのような影響が起きるか保証の限りではありません。
急を要することからやむを得なかったわけですが、骨折部の整復、ピンの挿入、骨片の固定、皮膚の縫合、ギプス包帯…5時間におよぶ手術が終わった時には空腹と寒さ、そして極度の緊張もあってまさに疲労困懸。さらに腰をかがめての手術で、終了後は獣医師一同、しばらく立ち上がれなかったのを覚えています。
最長記録樹立
その後3カ月たっても進展はなく、タケオは横たわる日が続きました。二度と歩けなくなるのではと気持ちが落ち込みかけたころ、タケオは少しずつ患肢を動かし、床に付けようとする動作が見られだしました。
7カ月経過したある日、手術後初めて外の運動場に出しました。久しぶりの外の空気、陽光、土の匂い、すべて懐かしかったことでしょう。かばうような歩き方で一歩一歩、しっかりと地面につけて歩きだしました。完治不能かと思われたあの複雑骨折が治ったのです。
その日は感激の一日でした。しかし心の隅では、いずれ骨髄の中のピンが腐食して骨髄炎を併発し、長生きは望めないとも思っていました。
ところが群れに戻ったタケオは、その後なに不自由なく歩き、走り、さらには17頭の子どもまでもうけて、93年2月に老衰で亡くなりました。手術後13年も生き、21年8カ月の天寿をまっとうしたのです。天王寺動物園のそれまでのライオンの長寿記録19年5カ月を大きく上回る最長記録まで樹立したのです。
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亡くなったタケオから取り出した下腿骨は骨標本となって私の書斎の机の上に置いてあります。骨折の跡も分からないほどきれいになっており、骨をつないでいたワイヤが3カ所で骨に食い込んでいるのが、名残といえるだけ。
金物屋のピンは膝関節側に5ミリほど顔をだしていましたが、錆もなく光沢を放っていました。動物の回復力のすばらしさに驚きを感じるとともに、銀色に輝くピンには感謝の念がこみ上げてきました。(おわり)
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「しんぶん赤旗」日刊紙 2010年9月24日付掲載
暖房のある手術室に移動することもできなかったのでしょうね。
でも、金物屋でステンレスのピンを買ってくるという気転がよく働きましたね。経験の積み重ねでしょうね!
37年間で一番印象に残る診療はタケオというオスのライオンの手術です。タケオはもう1頭のオスと折り合いが悪く、けんかは絶えませんでした。
1979年11月のある夕方、痛々しく左後肢を引きずって歩くタケオの姿がありました。どうやらオス同士の争いで堀に落とされ骨折したようです。翌日午前10時から始まった手術は昼食抜きで続行し、5時間にもおよぶ私自身も初めて経験する大手術となりました。(写真左下)
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金物屋で買う
長時間の麻酔維持に苦労しましたが、体重150キログラムのライオンを手術しやすい位置に動かしたり、骨折部位をレントゲン撮影のために動かしたり、骨折端を合わせたり、そのたびに6人がかりで動かすありさま。冷えこみの厳しい日でしたがそれだけで汗だくでした。
しかも複雑骨折のために手術は容易ではなく、遊離した骨片を医療用ステンレスワイヤでつなぎ、下腿骨(脛骨)の骨髄内にはステンレスのピンを挿入することにしました。
しかし動物園にあったピンは犬用で細すぎるため、窮余の一策、近所の金物屋で太いステンレスの棒を買ってきてもらうように頼みました。それを削って骨髄の中に通しましたが、医療用のピンの安全性に比べ、金物屋のステンレス棒ではどのような影響が起きるか保証の限りではありません。
急を要することからやむを得なかったわけですが、骨折部の整復、ピンの挿入、骨片の固定、皮膚の縫合、ギプス包帯…5時間におよぶ手術が終わった時には空腹と寒さ、そして極度の緊張もあってまさに疲労困懸。さらに腰をかがめての手術で、終了後は獣医師一同、しばらく立ち上がれなかったのを覚えています。
最長記録樹立
その後3カ月たっても進展はなく、タケオは横たわる日が続きました。二度と歩けなくなるのではと気持ちが落ち込みかけたころ、タケオは少しずつ患肢を動かし、床に付けようとする動作が見られだしました。
7カ月経過したある日、手術後初めて外の運動場に出しました。久しぶりの外の空気、陽光、土の匂い、すべて懐かしかったことでしょう。かばうような歩き方で一歩一歩、しっかりと地面につけて歩きだしました。完治不能かと思われたあの複雑骨折が治ったのです。
その日は感激の一日でした。しかし心の隅では、いずれ骨髄の中のピンが腐食して骨髄炎を併発し、長生きは望めないとも思っていました。
ところが群れに戻ったタケオは、その後なに不自由なく歩き、走り、さらには17頭の子どもまでもうけて、93年2月に老衰で亡くなりました。手術後13年も生き、21年8カ月の天寿をまっとうしたのです。天王寺動物園のそれまでのライオンの長寿記録19年5カ月を大きく上回る最長記録まで樹立したのです。
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亡くなったタケオから取り出した下腿骨は骨標本となって私の書斎の机の上に置いてあります。骨折の跡も分からないほどきれいになっており、骨をつないでいたワイヤが3カ所で骨に食い込んでいるのが、名残といえるだけ。
金物屋のピンは膝関節側に5ミリほど顔をだしていましたが、錆もなく光沢を放っていました。動物の回復力のすばらしさに驚きを感じるとともに、銀色に輝くピンには感謝の念がこみ上げてきました。(おわり)
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「しんぶん赤旗」日刊紙 2010年9月24日付掲載
暖房のある手術室に移動することもできなかったのでしょうね。
でも、金物屋でステンレスのピンを買ってくるという気転がよく働きましたね。経験の積み重ねでしょうね!