兵庫県香住町(現香美町)で原発立地を阻んだ「世直し運動」の心意気・・・
民主商工会の全国組織、全商連発行の『月刊民商』の2012年3月号に、兵庫県の西北部、香住町(現香美町)で、1960年代末から70年代にかけて関西電力の原発立地をめぐる闘いが紹介された。
その運動の中心核をになったのが、但馬地域の民商運動の担い手の一人だった自転車店の有田実さんだ。
青く澄んだ海と入り組んだ海岸線。
日本海に面した兵庫県美方郡香美町の香住は山陰海岸国立公園になっています。ちょうど1年前の3月、東京電力福島第一原発の事故後に1本の電話がかかってきました。「兄さんに伝えておいてほしい。(香住の)原発建設に反対してもらって感謝している。私は誘致派だったが、建設が中止になって本当によかった」と。匿名電話を受け取ったのは、香住で50年以上も「有田自転車商会」を経営する有田実さん(76)。長年、兵庫県連但馬民商の副会長で香住支部の支部長を務めています。
実さんは、町議会議員だった兄とともに原子力発電所建設阻止に貢献しました。その話は後で紹介するとして、まずは実さんが歩んできた人生から―。
口減らしのような形で地元の自転車店に就職。でも、勉強したいという思いは強く夜学にかよい卒業。そして自分の技術を生かしたいと思い独立したといいます。
商売が好きで、利益や金儲けよりも、お客さんの気持ちや立場に立って、納得のいくまで仕事をしたといいます。
人とのつながりを大切にした実さん。地元の青年団団長やPTA会長なども務めました。そういう実さんの生き方が歓迎され、結果として商売に活気をもたらしたといいます。
さて、原発立地にかかわる話です・・・
原発建設阻止運動
時代に先駆けた住民の勝利
香住町(05年の合併で現香美町)の下浜地区三田浜。穏やかな海が広がっています。67年の秋、ここへ関西電力の原発を誘致することが県と町の発表で明らかになりました。原発建設の動きはその数年前から起きていました。
実さんは、誘致候補地の地元有力者の息子と友達でした。「彼が教えてくれたんです。『関電が入ってきた。原発建設の契約が進んでいる』とQその話を兄に伝えました。兄はとにかく勉強家で、若い時分から原子力発電の本を読んで研究もしていました。敏感な兄が『これは大変や』となって……」
実さんの兄、有田晃さん(85)は、66年の町議選で初めて日本共産党の議席を獲得していました。
ふるさとを守ろう、原発は絶対に安全とは言えない、誘致反対―。原発建設のたくらみを知った町民有志は、ビラを町の全戸に配り、宣伝カーで原発の危険性を訴え、学習会や講演会を開催しました。有田晃町議は運動の推進役となりました。町民学習会では演壇に立ち、原発「安全神話」の正体を暴く手づくりのパネルを使ってわかりやすく語りかけ共感を広げました。
実さんも、友人や知り合いに声をかけ反対運動に力を注ぎました。
「講演会に講師を呼ぶために、僕は一人で京都大学の湯川秀樹博士の研究室に行きました。そのとき湯川先生とは会えませんでしたが、代わりの先生が香住に来てくれました」
決起集会やデモ行進、漁師の海上デモと町始まって以来のとりくみが日を追う乙とに高揚し、原発賛成の議員が圧倒的多数だった町議会が揺れ動きました。3年余りに及ぶ粘り強い運動が実って原発反対の町民が多数派となったとき、70年9月の町議会で、町長は誘致断念を表明せざるをえませんでした。
誘致予定地だった三田浜で民宿「三田浜荘」を営む、民商会員の福田昌子さん(69)は振り返ります。
「私も原発について学び、家族とも話し合って反対運動に参加しました。いま思えば運動は大変でしたが頑張ってよかった。香住の未来にプレゼントができました。もし有田町議さんがおられなかったら原発は多分できたでしょう。すごく立派な方で、みなさんが感謝しています。弟の実さんの行動力も素晴らしいです。温かい人で、自分はさておき他人のことを第一に考えて力を尽くされます。信頼しています」
時代に先駆けた町民ぐるみの勝利でした。但馬民商の歴史を築いてきた会員たちも、原発建設阻止の運動に大きな足跡を残したのです。
実さんが民商に加わったのは半世紀近く前のこと。税務署の強権的なやり方を見聞きし、怒りを覚えました。公正な社会にしていきたいという思いが募りました。
行動力抜群の実さん。視線の先は、地域から社会、政治へと向きます。
「民商でずっと活動してきた僕には、世の中を変えたい、人間らしく生きていける社会にしていきたい、そういう根本的な願いがあります。小さな業者が生き生きと営業できる社会、地域に根差して商売が繁盛するような世の中にしていく。中小業者の社会的役割も考えています。われわれが働きがいを持って歩んでいけるなら、商売も栄え、社会も国も豊かに変わっていくことができる。僕にとって民商運動とは、世直し運動そのもの。これが僕を支え続けるエネルギーです」
社会も政治も日々激しく動く時代。実さんは「ときめきますよ。まだまだやることがある」と胸を張ります。
青春時代から持ち続けてきた「世直し運動」の情熱が、いま、より多くの人々と手を結んで強烈に発揮できるときだと実さんは手応えを感じています。「変えられないものはない。歴史は前へ動かせる」と確信しています。
原発を阻止した闘いの地、その地から日本の社会変革の鼓動が聞こえてくるようですネ!
餘部の海岸 荒波_5 posted by (C)きんちゃん
香美町餘部の海岸の荒波です。
民主商工会の全国組織、全商連発行の『月刊民商』の2012年3月号に、兵庫県の西北部、香住町(現香美町)で、1960年代末から70年代にかけて関西電力の原発立地をめぐる闘いが紹介された。
その運動の中心核をになったのが、但馬地域の民商運動の担い手の一人だった自転車店の有田実さんだ。
青く澄んだ海と入り組んだ海岸線。
日本海に面した兵庫県美方郡香美町の香住は山陰海岸国立公園になっています。ちょうど1年前の3月、東京電力福島第一原発の事故後に1本の電話がかかってきました。「兄さんに伝えておいてほしい。(香住の)原発建設に反対してもらって感謝している。私は誘致派だったが、建設が中止になって本当によかった」と。匿名電話を受け取ったのは、香住で50年以上も「有田自転車商会」を経営する有田実さん(76)。長年、兵庫県連但馬民商の副会長で香住支部の支部長を務めています。
実さんは、町議会議員だった兄とともに原子力発電所建設阻止に貢献しました。その話は後で紹介するとして、まずは実さんが歩んできた人生から―。
口減らしのような形で地元の自転車店に就職。でも、勉強したいという思いは強く夜学にかよい卒業。そして自分の技術を生かしたいと思い独立したといいます。
商売が好きで、利益や金儲けよりも、お客さんの気持ちや立場に立って、納得のいくまで仕事をしたといいます。
人とのつながりを大切にした実さん。地元の青年団団長やPTA会長なども務めました。そういう実さんの生き方が歓迎され、結果として商売に活気をもたらしたといいます。
さて、原発立地にかかわる話です・・・
原発建設阻止運動
時代に先駆けた住民の勝利
香住町(05年の合併で現香美町)の下浜地区三田浜。穏やかな海が広がっています。67年の秋、ここへ関西電力の原発を誘致することが県と町の発表で明らかになりました。原発建設の動きはその数年前から起きていました。
実さんは、誘致候補地の地元有力者の息子と友達でした。「彼が教えてくれたんです。『関電が入ってきた。原発建設の契約が進んでいる』とQその話を兄に伝えました。兄はとにかく勉強家で、若い時分から原子力発電の本を読んで研究もしていました。敏感な兄が『これは大変や』となって……」
実さんの兄、有田晃さん(85)は、66年の町議選で初めて日本共産党の議席を獲得していました。
ふるさとを守ろう、原発は絶対に安全とは言えない、誘致反対―。原発建設のたくらみを知った町民有志は、ビラを町の全戸に配り、宣伝カーで原発の危険性を訴え、学習会や講演会を開催しました。有田晃町議は運動の推進役となりました。町民学習会では演壇に立ち、原発「安全神話」の正体を暴く手づくりのパネルを使ってわかりやすく語りかけ共感を広げました。
実さんも、友人や知り合いに声をかけ反対運動に力を注ぎました。
「講演会に講師を呼ぶために、僕は一人で京都大学の湯川秀樹博士の研究室に行きました。そのとき湯川先生とは会えませんでしたが、代わりの先生が香住に来てくれました」
決起集会やデモ行進、漁師の海上デモと町始まって以来のとりくみが日を追う乙とに高揚し、原発賛成の議員が圧倒的多数だった町議会が揺れ動きました。3年余りに及ぶ粘り強い運動が実って原発反対の町民が多数派となったとき、70年9月の町議会で、町長は誘致断念を表明せざるをえませんでした。
誘致予定地だった三田浜で民宿「三田浜荘」を営む、民商会員の福田昌子さん(69)は振り返ります。
「私も原発について学び、家族とも話し合って反対運動に参加しました。いま思えば運動は大変でしたが頑張ってよかった。香住の未来にプレゼントができました。もし有田町議さんがおられなかったら原発は多分できたでしょう。すごく立派な方で、みなさんが感謝しています。弟の実さんの行動力も素晴らしいです。温かい人で、自分はさておき他人のことを第一に考えて力を尽くされます。信頼しています」
時代に先駆けた町民ぐるみの勝利でした。但馬民商の歴史を築いてきた会員たちも、原発建設阻止の運動に大きな足跡を残したのです。
実さんが民商に加わったのは半世紀近く前のこと。税務署の強権的なやり方を見聞きし、怒りを覚えました。公正な社会にしていきたいという思いが募りました。
行動力抜群の実さん。視線の先は、地域から社会、政治へと向きます。
「民商でずっと活動してきた僕には、世の中を変えたい、人間らしく生きていける社会にしていきたい、そういう根本的な願いがあります。小さな業者が生き生きと営業できる社会、地域に根差して商売が繁盛するような世の中にしていく。中小業者の社会的役割も考えています。われわれが働きがいを持って歩んでいけるなら、商売も栄え、社会も国も豊かに変わっていくことができる。僕にとって民商運動とは、世直し運動そのもの。これが僕を支え続けるエネルギーです」
社会も政治も日々激しく動く時代。実さんは「ときめきますよ。まだまだやることがある」と胸を張ります。
青春時代から持ち続けてきた「世直し運動」の情熱が、いま、より多くの人々と手を結んで強烈に発揮できるときだと実さんは手応えを感じています。「変えられないものはない。歴史は前へ動かせる」と確信しています。
原発を阻止した闘いの地、その地から日本の社会変革の鼓動が聞こえてくるようですネ!
餘部の海岸 荒波_5 posted by (C)きんちゃん
香美町餘部の海岸の荒波です。