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元関脇逆鉾、逝く

2019-09-17 22:30:53 | 他スポーツ
大相撲の生観戦で上機嫌だった私ですが、冷水を浴びせられるような残念なニュースが今朝ありました。写真の元関脇、逆鉾の井筒親方の訃報です。場所前から体調を崩していたようですが、58歳という早すぎる死は残念という言葉しか出てきません。弟子の横綱鶴竜にも、所属部屋が変わるなどの影響が出るでしょう。今日は逆鉾の思い出です。

逆鉾は先代井筒親方の鶴ヶ嶺を父に持ち、兄に元十両の鶴嶺山、弟に元関脇の寺尾がいて「井筒三兄弟」と呼ばれていました。入門の際は父に心配されながらも「あの子はちゃらんぽらんなところがある。厳しい相撲界に入るのは賛成。」と背中を押してもらいました。相撲ぶりは父譲りのもろ差しが得意の形でした。

逆鉾のもろ差しは、立ち合いでいきなり入るのではなく、右か左の四つに組んでから巻き替えるのを得意にしていました。上位相手にももろ差しを何度も成功させて、上位キラーでも名を馳せました。父の鶴ヶ嶺からは、「もろ差しになるまでは逆鉾の方がうまいが、なってからは私の方がうまい。私はほとんどきめられなかったので」とコメントを出していました。

鶴ヶ嶺といえば、技能賞の常連だった名力士だったので、このコメントを引き出したということは逆鉾もよくやったという証明だと思います。逆鉾の持っている記録に、当時の新記録だった9場所連続関脇在位というものがありました。その間の成績はほとんどが8勝7敗なので、逆鉾が大関になれなくて惜しいというイメージはないですが、それでも上位全員と当たる地位で毎場所勝ち越せる実力者でした。

また、弟寺尾との、兄弟同時関脇という記録も達成しています。逆鉾が関脇をキープしている間に、寺尾が追いついてできた記録で、この兄弟はお互いの相撲を「心配で」と見守る関係でした。その後長く現役を続けた寺尾とは対照的に、逆鉾は肩を痛めて急速に衰え、「兄親方弟現役」という関係だった時期もあります。

親方としては弟子の鶴竜を横綱に育てました。「逆鉾のもろ差しと寺尾の突き押しをミックスした力士に」と夢を語っていましたが、その夢は叶ったと思います。私にとって、相撲に熱狂した少年時代のヒーローだった逆鉾の、早すぎる死には言葉がありません。最後は三兄弟で最期をみとったと聞きます。最後まで一緒に戦った三兄弟だったと思います。
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