Kobby loves 埼玉&レッズ

埼玉と浦和レッズを愛する管理者のブログです。

ニューカッスル対リバプール

2023-02-26 21:22:05 | ワールドサッカー
イングランド・プレミアリーグのニューカッスル対リバプールのビデオを見ていました。ニューカッスルのホーム、セント・ジェームスパークでの試合で、立ち上がりは4-4-2気味のニューカッスルのFW陣のスピードで先手を取りました。GKアリソンが体でジョエリントンのシュートをブロックしていなければ、序盤でニューカッスルのゲームになったかもしれません。

もっとも、スピードではリバプールも負けていません。写真のファビーニョからサラーにつなぎ、浮き球のパスにヌニェスが走り込んで、GKポープとの1対1を落ち着いて決め、前半10分でリバプールに先制点が入ります。また、リバプールの長所に、自陣から長い距離を走れることがあります。GKアリソンのパントキックから、一気に敵陣まで攻め込める、スピードを発揮できます。

2点目もリバプールでした。18分、これもリバプールらしいパスをつないでからの攻めで、ガクポがDFラインの裏へ抜け出て2-0とリードします。W杯オランダ代表での活躍で価値が高騰し、オランダのPSVからリバプールに加入したガクポですが、早速自らその価値を証明しました。この試合が荒れ模様になったのはリバプールの速攻からでした。

リバプールのサラーが敵陣に抜け出し、GKポープが頭でクリアしようとペナルティーエリアの外に出ますが、その処理はミスになり、バウンドしたボールを手で処理してしまいます。これは、エリア外の手の使用という反則で、決定機を反則で止めたという判定になり、ポープは退場になり、左MFのアンダーソンに代えてサブGKのドゥブラースカを入れざるを得なくなります。

これで、ニューカッスルはイサクを1枚だけ前に残し、攻めるときだけ両サイドのサン=マクシマンとジョエリントンがフォローに行く、4-4-1で戦わざるを得なくなりました。しかし、この数的不利でニューカッスルのサッカーは思った以上に機能しており、CKからボトマンがヘディングシュートを放ちクロスバーを叩き、これまたCKからアルミロンがミドルシュートも放っています。

11対10の試合にしては面白いと感じたこのゲームは、どう決着したか、ビデオの続き(後半戦)を見られたら書きたいと思います。
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相手に取られ過ぎたCK(2/25横浜FM対浦和)

2023-02-26 19:13:15 | 浦和レッズ
昨日のアウェイ横浜FM戦は、0-2と浦和の完敗に終わりました。浦和は、開幕戦でFC東京に敗れているスタメンを入れ替えず、そのままの陣容で臨みました。相手がリーグ王者横浜FMであることを考えると、引き気味に入ってロースコアの勝負に持ち込む手もあったでしょうが、スコルジャ監督は開幕戦の内容を良かったとみて、この試合も1トップはリンセンでした。

結果的にはこの判断がミスになりました。浦和は攻めに出るか守るかが中途半端な内容になってしまい、リンセンはシュートチャンスまで行けず、SBの明本が上がったときにわずかにシュートチャンスがあった程度でした。横浜FMの4-3-3は、3枚のMFの一角にトップ下タイプの西村が起用されており、残る2枚の渡辺と喜田はほとんどの動きが守備になる、デメリットもある布陣です。

それをカバーできるのは、西村の運動量の多さです。彼が前から守備をして、FWのラインにも上がって行けるので、横浜FMに気持ちよく回されてしまいました。何本もパスがつながり、逆サイドまでクロスを回されて、アンデルソン・ロペスが頭で合わせた前半18分の失点は、浦和がもし守る布陣だったら、ブロックを引いて守れたかもしれません。

さすがにスコルジャ監督もこの内容は悪いと見て、後半の頭からリンセンを下げて興梠をFWに投入してきました。これで多少流れができました。興梠の、下がりながらキープして周りを生かすプレーで、浦和がボールを持てた時間もありました。GK西川も、ミシャ時代から長年コンビを組む興梠の動きはわかっていて、ロングボールを正確に興梠に入れた場面も作れました。

それでも、ゴールという結果にはつながりませんでした。その要因となったのは、13本も相手に取られたCKにあるとみています。DFラインからつなぐことができないので、DFがボールを触るとゴールラインを切るクリアしかできず、必然的に相手ボールのCKが多くなる結果になりました。1点リードしている横浜FMはゆっくりと時間を使ってもよいので、CKを多く与えたことは直接失点につながってはいないですが、流れを悪くする要因でした。

最後は、ホイブラーテンがマルコス・ジュニオールに引き付けられたピンチからヤン・マテウスが独走して2点目を失い、ゲームは0-2と完敗に終わることになります。2試合見て、いろいろ問題点も見えてきたと思われるので、次のC大阪戦は思い切っていろんな選手にチャンスを与えて欲しいです。それをすれば、立て直せるだけの選手はいるはずと思っています。
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長友佑都の記憶

2023-02-26 11:43:08 | 他チーム
浦和レッズ敗戦のため、レッズの選手を取り上げるネタはできず、相手のFC東京から長友佑都選手の記憶です。長友の名前を最初に聞いたのは、北京五輪予選で消化試合になった最終戦のマレーシア戦に、当時明治大学の三年生だった彼が出場していたときです。当時から、圧倒的なスピードと、左右両方のSBができる能力を持っていました。

もっとも、長友は遅咲きの選手で、明治大学でも二年生の途中までレギュラーになれず、一年生のときは応援団で太鼓を叩いていたというエピソードがあります。彼の著書によれば、開花以前はベンチプレスで重い重量を上げても成果につながらず、体幹を鍛えるように調整法を見直したことが、開花につながったとあります。

長友は大学四年生のシーズンを、明治大学ではなくFC東京とプロ契約を結ぶ決断をしました。母子家庭だった彼は、これで学費の心配をしなくて済むと喜んでおり、背番号も即戦力の期待の「5」でした。当時、味の素スタジアムで長友がボールを持つと、その高い身体能力で何かやってくれるのではと、スタンドがざわめいたことが印象的でした。

海外挑戦についてはクラブと約束を交わしていて、クラブでタイトル、五輪代表入り、日本代表入りなどのすべての条件をクリアして、セリエAのチェゼーナ移籍を勝ち取りました。チェゼーナは強いチームではなかったですが、何度でも空走りができる彼の身体能力はすぐに上位チームの注目となり、在籍半年で名門のインテルからオファーを受けて移籍します。

このインテル時代が、彼の最も輝いた時期になりました。インテルレベルのチームになると、チームメイトは「代表キャプテン」「代表100試合」などという選手がたくさんいます。この時期を、「毎日がW杯本大会のよう」と表現していました。長友とポジションを争った、ルーマニア代表SBキブは、どうしても長友にチャンスを与えたくないと、負傷をこらえて交代を拒否したエピソードも思い出します。

W杯にも4大会連続出場しました。2010年の南アフリカ大会当時は岡田監督が長友を信頼しており、相手のスピード型アタッカーのいるサイドに長友を置くという起用がなされました。今は古巣FC東京に戻りました。彼の言葉の「ブラボー」でも注目されましたが、身体能力があまり落ちていないので、まだまだFC東京でSBとして起用されると期待しています。
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