昔の自分を振り返る一枚は、1995年に駒場スタジアムがリニューアルオープンした当時です。このときに、シーズンチケットの枚数が飛躍的に増えて、私のような後発サポにもスタジアム参戦のチャンスができました。しかし、当時の駒場スタジアムの自由席の場所取りはハードで、連日開門前の長い行列に並ぶのが続き、サポーターもなかなか大変でした。
当時の試合は、1995年の2ndステージ開幕戦、清水エスパルス戦だった記憶です。この当時はJリーグ開幕当時は弱かった浦和レッズが初めてJリーグで結果を出し始めた年で、1995年の1stステージで最後まで優勝を争う3位という結果を出しました。2ndステージ初戦の横浜フリューゲルス戦に勝利し、駒場スタジアムもそれまでの1万人収容から、現在の姿である2万人収容に拡大され、浦和レッズというチームの将来の明るさを、根拠はないものの確信していました。
また、当時の浦和は豪華なメンバーでした。元ドイツ代表のゲームメーカーのウーベ・バイン、CBの中心選手として1990年W杯優勝の実績があるギド・ブッフバルトがいました。オジェック監督が下位に低迷していた浦和を劇的に変えた年ということもあって、この開幕戦に勝って勢いを付けて欲しいと、期待して駒場スタジアムに行きました。
当時はゲーム展開をメモするノートを書いていなかったので、詳細な試合展開は覚えていないですが、そういう節目の試合に浦和は弱いという変な伝統はこのときからでした。清水に敗れた浦和は、その後DF田口の不祥事などでも揺れ、この2ndステージは優勝争いに顔を出すことは叶いませんでした。この写真は駒場スタジアムのピッチに赤いシートを張って、「Come Home」と呼ばれたイベントが開かれ、試合後にそのシートを切ってサポーターに300円で販売していました。
その赤いシートは、つい最近まで自宅に保管されていました。今でもあるかどうかは確信がないですが、この写真が当時、浦和レッズに期待を持っていた若き日の自分をちょっと思い出すきっかけになりました。今年、埼スタの芝生張替えに伴い、浦和レッズの2試合が駒場スタジアムで開催されます。さて、どういう席割になるか、私はチケットを無事確保できるか、正式発表まではわからないです。
当時の試合は、1995年の2ndステージ開幕戦、清水エスパルス戦だった記憶です。この当時はJリーグ開幕当時は弱かった浦和レッズが初めてJリーグで結果を出し始めた年で、1995年の1stステージで最後まで優勝を争う3位という結果を出しました。2ndステージ初戦の横浜フリューゲルス戦に勝利し、駒場スタジアムもそれまでの1万人収容から、現在の姿である2万人収容に拡大され、浦和レッズというチームの将来の明るさを、根拠はないものの確信していました。
また、当時の浦和は豪華なメンバーでした。元ドイツ代表のゲームメーカーのウーベ・バイン、CBの中心選手として1990年W杯優勝の実績があるギド・ブッフバルトがいました。オジェック監督が下位に低迷していた浦和を劇的に変えた年ということもあって、この開幕戦に勝って勢いを付けて欲しいと、期待して駒場スタジアムに行きました。
当時はゲーム展開をメモするノートを書いていなかったので、詳細な試合展開は覚えていないですが、そういう節目の試合に浦和は弱いという変な伝統はこのときからでした。清水に敗れた浦和は、その後DF田口の不祥事などでも揺れ、この2ndステージは優勝争いに顔を出すことは叶いませんでした。この写真は駒場スタジアムのピッチに赤いシートを張って、「Come Home」と呼ばれたイベントが開かれ、試合後にそのシートを切ってサポーターに300円で販売していました。
その赤いシートは、つい最近まで自宅に保管されていました。今でもあるかどうかは確信がないですが、この写真が当時、浦和レッズに期待を持っていた若き日の自分をちょっと思い出すきっかけになりました。今年、埼スタの芝生張替えに伴い、浦和レッズの2試合が駒場スタジアムで開催されます。さて、どういう席割になるか、私はチケットを無事確保できるか、正式発表まではわからないです。