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小野伸二の思い出

2017-04-26 20:29:16 | 浦和レッズ
先週の札幌戦は、浦和サポにとって思い出深い小野伸二選手が敵として埼玉スタジアムにやってきました。もう20年近く経ちますが、小野伸二が入団した1998年のことは今でも鮮明に覚えています。

小野伸二は、清水商業高校から浦和入りしました。もっとも、清水商業時代、小野伸二はテレビに映る冬の高校選手権に一度も出ていませんでした。U-17W杯のエクアドル大会に出場したものの、当時U-17W杯はテレビ中継がなかったので、マスコミやプレーを見たファンはすごいと言うけれども、どこがどうすごいかはほとんど誰も知らないという状態で、駒場スタジアムの開幕戦のピッチに右MFとしてスタメン出場してきました。

小野伸二が印象を残すにはその試合で十分でした。ダイレクトプレーで、周りに当たり前のようにパスを送る姿は、マラドーナのように個人技を見せるタイプとは全く違うタイプの天才です。のちに入ってきた情報によれば、左足でアウトサイドやハーフボレーが蹴れるなど、キックの種類の豊富さが小野伸二のダイレクトプレーの秘密でした。

18歳で日本代表にも入ったことで全国的な知名度を誇る選手になり、バーモントカレーのCMにも出演しました。当時のセリフ「小野伸二、バーモント育ち」は今でも思い出せます。中田英寿とも比較され、中田の厳しいパスとは違って優しいパスを出す、新しいタイプの天才出現を感じました。

小野伸二と感覚が合っていた浦和の選手は、ベギリスタインと田中達也を思い出します。小野伸二と合うタイプは、ここに出して欲しいと共通理解をしてくれるタイプで、ベギリスタインは小野がボールを持つとスペースに出てパスを引き出すセンスが抜群でした。田中達也は、体の向きを工夫して小野がボールを出しやすいように配慮するセンスを持っていました。

日本代表でも、2002年に鈴木隆行の同点ゴールをアシストするなど活躍し、オランダのフェイエノールトでは2003年にUEFA杯(現欧州リーグ)を優勝します。日本人選手で、初めて欧州のタイトルを取った実績は大きく、浦和を去るときの「世界で輝け伸二」のデカ旗のメッセージには十分応えたと思います。最後のクラブになる可能性が高い札幌で、できるだけ長くプレーして欲しいですね。

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