今日は皆既日食が見られるというので、
サングラスを持って出かけました。
朝、空は照っていて、
「そんなのじゃあ、目を痛めてしまう」
と濃いサングラスを見て、オジが言いました。
「じゃあどうしたらええんじゃあ?」
と僕。
すると、オジは、
木の葉を一枚拾って、
白い紙を用意すると、
「小久保君、見ろ」
とオジ。
見ると、
朝の太陽の光が、
虫食いの茶色の木の葉の穴から、
白い紙に影、太陽の影を落とします。
「これで太陽の欠け具合が判る」
僕は抗議しました。
「あかん、こんなんじゃのうて、コロナも見たいし、
この目で、太陽が見たいんじゃ」
オジは考え、僕も考え、
確かに、サングラスでは駄目で、
日食用のサングラスが必要。
その時、溶接屋さんが通って、
溶接するための、黒いカバーを持っていたので、
「あ、それで日食が見えるかも」
と言うと、
「仕事だからね」
と溶接屋さんは言い、
「溶接したら日食見えるよ」
と重ねて、僕の前を笑って過ぎてゆきました。
「もしあかんかったら、このサングラスを割って、
二枚重ねたらええじゃろう、百円だったか千円だったかのメガネだし、オジ?」
「だめだだめだ」
とオジ発し、
見つけてきたのは、
脱臭用に僕が持ってきていた、炭でした。
オジはこの炭をサングラスに塗れば良い、
と発し、
コンクリートの上で、
炭をゴシゴシやって、粉末にしてくれました。
で、
サングラスに炭の粉を塗りましたけれど、
「あかん、オジ、太陽が今度はぜんぜん見えんわ」
と、まあいろいろ我々は試行錯誤をして、
結局は、サングラスに塗った炭を水道で洗って、
空を見てみると、
「オジ、これでええ」
「ん?」
「しやで、曇っとおるやろ、しやで、ちょうどこんでええ」
というわけで、サングラスがほどよく、という天気になってきました。
大量の炭の粉をオジは手に盛って、
「これで鉄粉を混ぜれば、花火になるぞ」
とオジ発し。
日食は9時49分から。
最高に欠けるのは11時7分、
日食が終わるのは12時26分。
それを新聞で調べ、
紙に書いて、貼って、
時は9時半、
僕はドーナツを買って、
日食に備えていました。
9時49分過ぎ、
欠けてきた、
空は晴れていて、
サングラスを目から30センチ離して、
片目をつむって、見てみると、
「おお」ってなもんや。
11時ぐらいになると、
女学生が集まってきて、
空を見て、見えるだの、見えぬだのと、
発し、
しょうがないので、
僕はサングラスを女学生達に貸してあげますと、
一斉に歓声があがって、
女学生達は、きゃきゃと言いながら、
空を、日食を見ています。
オジが、
記念写真、と発し、
女学生達が全員、
空を仰いでいるのを、
デジカメで撮ってあげていました。
空は曇っていて、
肉眼でも、雲の切れ目から日食は見られるのですけれど、
サングラスを通して見ると、
何故だか雲の向こうの太陽の輪郭が、
はっきり見えました。
ほどなく、
雲が厚くなり、
女学生達も、二、三人だけ残って、みんな教室に戻り、
僕もトイレに行こうと、
東に歩いて行くと、
何と、太陽は東の角の、
ビルとビルの隙間から見えていて、
誰かが空を見ていて、
僕もオジも見て、
だんだん人が増えてきました。
知らない人同士が、
なんやら話し合って、
空のショーを楽しんでいました。
お昼前になると、
わんさと人だかりができて、
日食を見ようとするのですけれど、
いかんせん、雲が厚くなっていて、
ほとんど見られません。
それでも、
時折、
雲の切れ目から、
欠けた太陽が見えると、
「おお」
と民らは発し合い、
携帯で写真を撮っていました。
たぶん、僕だけが、
かなり日食を長時間見ることができて、
得した気分です。
日食より、面白かったのは、
11時ぐらい、曇っていたためもあるのだろうけれど、
実際に空は暗く、というほど大げさじゃないけれど、
薄暗くなったこと。
これは初の体験でした。
「鳥が飛ぶのをやめるんだ」
とオジはしきりに言っていました。
夜、途中からしか見られなかったけれど、
テレビで日食特集をやっていて、
インドでは日食に拝んで、
ガンジス川に一斉に沐浴するインド人の姿が、
放映されていました。
今日は午前の休憩も取らず、
ずっと日食というものを見て、
楽しかったです。
日食が終わると、
なんぞが顔にひっついているので、
何かと思ったら、
子供のカマキリで、
振り払って、
植えこみに落としました。
それでも、
カマをあげて威嚇するので、
馬鹿らしくなりました。
ベランダにある巨大になったサボテンの鉢に、
例年いつも今頃生えてくる、
黄色いキノコを、
夜になって発見しました。
今日は友人の誕生日なので、
デコメールを送ると、
とても喜んでくれました。
そして、
今日は新月でもあるのです。
サングラスを持って出かけました。
朝、空は照っていて、
「そんなのじゃあ、目を痛めてしまう」
と濃いサングラスを見て、オジが言いました。
「じゃあどうしたらええんじゃあ?」
と僕。
すると、オジは、
木の葉を一枚拾って、
白い紙を用意すると、
「小久保君、見ろ」
とオジ。
見ると、
朝の太陽の光が、
虫食いの茶色の木の葉の穴から、
白い紙に影、太陽の影を落とします。
「これで太陽の欠け具合が判る」
僕は抗議しました。
「あかん、こんなんじゃのうて、コロナも見たいし、
この目で、太陽が見たいんじゃ」
オジは考え、僕も考え、
確かに、サングラスでは駄目で、
日食用のサングラスが必要。
その時、溶接屋さんが通って、
溶接するための、黒いカバーを持っていたので、
「あ、それで日食が見えるかも」
と言うと、
「仕事だからね」
と溶接屋さんは言い、
「溶接したら日食見えるよ」
と重ねて、僕の前を笑って過ぎてゆきました。
「もしあかんかったら、このサングラスを割って、
二枚重ねたらええじゃろう、百円だったか千円だったかのメガネだし、オジ?」
「だめだだめだ」
とオジ発し、
見つけてきたのは、
脱臭用に僕が持ってきていた、炭でした。
オジはこの炭をサングラスに塗れば良い、
と発し、
コンクリートの上で、
炭をゴシゴシやって、粉末にしてくれました。
で、
サングラスに炭の粉を塗りましたけれど、
「あかん、オジ、太陽が今度はぜんぜん見えんわ」
と、まあいろいろ我々は試行錯誤をして、
結局は、サングラスに塗った炭を水道で洗って、
空を見てみると、
「オジ、これでええ」
「ん?」
「しやで、曇っとおるやろ、しやで、ちょうどこんでええ」
というわけで、サングラスがほどよく、という天気になってきました。
大量の炭の粉をオジは手に盛って、
「これで鉄粉を混ぜれば、花火になるぞ」
とオジ発し。
日食は9時49分から。
最高に欠けるのは11時7分、
日食が終わるのは12時26分。
それを新聞で調べ、
紙に書いて、貼って、
時は9時半、
僕はドーナツを買って、
日食に備えていました。
9時49分過ぎ、
欠けてきた、
空は晴れていて、
サングラスを目から30センチ離して、
片目をつむって、見てみると、
「おお」ってなもんや。
11時ぐらいになると、
女学生が集まってきて、
空を見て、見えるだの、見えぬだのと、
発し、
しょうがないので、
僕はサングラスを女学生達に貸してあげますと、
一斉に歓声があがって、
女学生達は、きゃきゃと言いながら、
空を、日食を見ています。
オジが、
記念写真、と発し、
女学生達が全員、
空を仰いでいるのを、
デジカメで撮ってあげていました。
空は曇っていて、
肉眼でも、雲の切れ目から日食は見られるのですけれど、
サングラスを通して見ると、
何故だか雲の向こうの太陽の輪郭が、
はっきり見えました。
ほどなく、
雲が厚くなり、
女学生達も、二、三人だけ残って、みんな教室に戻り、
僕もトイレに行こうと、
東に歩いて行くと、
何と、太陽は東の角の、
ビルとビルの隙間から見えていて、
誰かが空を見ていて、
僕もオジも見て、
だんだん人が増えてきました。
知らない人同士が、
なんやら話し合って、
空のショーを楽しんでいました。
お昼前になると、
わんさと人だかりができて、
日食を見ようとするのですけれど、
いかんせん、雲が厚くなっていて、
ほとんど見られません。
それでも、
時折、
雲の切れ目から、
欠けた太陽が見えると、
「おお」
と民らは発し合い、
携帯で写真を撮っていました。
たぶん、僕だけが、
かなり日食を長時間見ることができて、
得した気分です。
日食より、面白かったのは、
11時ぐらい、曇っていたためもあるのだろうけれど、
実際に空は暗く、というほど大げさじゃないけれど、
薄暗くなったこと。
これは初の体験でした。
「鳥が飛ぶのをやめるんだ」
とオジはしきりに言っていました。
夜、途中からしか見られなかったけれど、
テレビで日食特集をやっていて、
インドでは日食に拝んで、
ガンジス川に一斉に沐浴するインド人の姿が、
放映されていました。
今日は午前の休憩も取らず、
ずっと日食というものを見て、
楽しかったです。
日食が終わると、
なんぞが顔にひっついているので、
何かと思ったら、
子供のカマキリで、
振り払って、
植えこみに落としました。
それでも、
カマをあげて威嚇するので、
馬鹿らしくなりました。
ベランダにある巨大になったサボテンの鉢に、
例年いつも今頃生えてくる、
黄色いキノコを、
夜になって発見しました。
今日は友人の誕生日なので、
デコメールを送ると、
とても喜んでくれました。
そして、
今日は新月でもあるのです。