今は夕方で、
窓の外は雨雲で、
雨が少し降りだしています。
雷鳴が遠くから聞こえ、
木の緑の葉は、
連日の湿度と、ほどなく降り来る雨を待って。
今、近くで雷鳴です。
さっき、選挙カーの音がうるさいので、
耳栓をしているのですけど、
見なくとも、
外で大粒の雨の音が聞こえてきています。
まだ僕はこの画面から目を離していません。
外では、雨が、降っている、雷もまた鳴るだろう。
午前中に干した洗濯物は、乾いているし、
布団も部屋に入れて、窓を閉めてあるから、
二階へ行く必要はありません。
静かが、好きで、
雨なら、なおさらです。
雷なら、刺激ですし、
こうして、
言葉を打っている時が、
一番、こころが落ち着きます。
実際の事物、たとえば雨と、
言葉で書く雨は違い、
その差異が最近、
ひときわ、実感してきています。
言葉にすると、
事象はまったく変わり、
現実を写し取ろうとするのだけれど、
言葉の世界というものが、確実にあって、
それはまったく現実の世界とは、
別モノであるという実感。
その世界で、
僕は安らぎ、遊んでいるのでしょう。
何でもないことを、
何でもあるように書くこと、
の喜び、
言葉は最高の道具です。
言葉にすると、
もっと、きれい、
言葉にすると、
もっといとおしく、
言葉にすると、
光り輝き、
言葉にするだけで、
一の喜びが、
十の喜びになります。
その逆はありません。
言葉が僕の友達であり、
言葉は僕を一番、安心させてくれるからこそ、
こうして何でもないことを、
僕は書いています。
凹んでいても、
身心が疲れていても、
言葉を書くと、
僕は回復します。
藤井貞和が、
「ことばのつえ、ことばのつえ」
と書き、
谷川俊太郎が、
「実際の<私>と、言葉で書く<私>とは違う」
と書き、
大江健三郎が、
「人生の親戚」
と書きます。
言葉、
言葉、
言葉、
言葉に、
言葉。
そして、
また言葉が来て、
言葉と言葉が連なって、
次の言葉に繋がって、
縦に、横に、
斜めに、
空に、
雲の上に、
草の水滴に、
蝉の白い腹に、
雨に、
音に、
暑さに、
言葉が沿って、走り、
静かに、している、
時、
言葉が歌う、微笑む、
僕に添ってくれる。
窓の外は雨雲で、
雨が少し降りだしています。
雷鳴が遠くから聞こえ、
木の緑の葉は、
連日の湿度と、ほどなく降り来る雨を待って。
今、近くで雷鳴です。
さっき、選挙カーの音がうるさいので、
耳栓をしているのですけど、
見なくとも、
外で大粒の雨の音が聞こえてきています。
まだ僕はこの画面から目を離していません。
外では、雨が、降っている、雷もまた鳴るだろう。
午前中に干した洗濯物は、乾いているし、
布団も部屋に入れて、窓を閉めてあるから、
二階へ行く必要はありません。
静かが、好きで、
雨なら、なおさらです。
雷なら、刺激ですし、
こうして、
言葉を打っている時が、
一番、こころが落ち着きます。
実際の事物、たとえば雨と、
言葉で書く雨は違い、
その差異が最近、
ひときわ、実感してきています。
言葉にすると、
事象はまったく変わり、
現実を写し取ろうとするのだけれど、
言葉の世界というものが、確実にあって、
それはまったく現実の世界とは、
別モノであるという実感。
その世界で、
僕は安らぎ、遊んでいるのでしょう。
何でもないことを、
何でもあるように書くこと、
の喜び、
言葉は最高の道具です。
言葉にすると、
もっと、きれい、
言葉にすると、
もっといとおしく、
言葉にすると、
光り輝き、
言葉にするだけで、
一の喜びが、
十の喜びになります。
その逆はありません。
言葉が僕の友達であり、
言葉は僕を一番、安心させてくれるからこそ、
こうして何でもないことを、
僕は書いています。
凹んでいても、
身心が疲れていても、
言葉を書くと、
僕は回復します。
藤井貞和が、
「ことばのつえ、ことばのつえ」
と書き、
谷川俊太郎が、
「実際の<私>と、言葉で書く<私>とは違う」
と書き、
大江健三郎が、
「人生の親戚」
と書きます。
言葉、
言葉、
言葉、
言葉に、
言葉。
そして、
また言葉が来て、
言葉と言葉が連なって、
次の言葉に繋がって、
縦に、横に、
斜めに、
空に、
雲の上に、
草の水滴に、
蝉の白い腹に、
雨に、
音に、
暑さに、
言葉が沿って、走り、
静かに、している、
時、
言葉が歌う、微笑む、
僕に添ってくれる。