kotoba日記                     小久保圭介

言葉 音 歌 空 青 道 草 木 花 陽 地 息 天 歩 石 海 風 波 魚 緑 明 声 鳥 光 心 思

ありがとうの来宅者たち

2021年12月16日 | 生活
  



淡々さんは
「小久保さん、曼荼羅エフェクトですよ!」
と言った
「救世主うんぬん」

淡々さんは
疲れている
間違いない……
最近
忙しいからなあ

忍び武士も
疲れている
山に帰る

みんな元気になってほしいな

---

帰宅

ドアを叩くは
サトちゃんと
サツちゃん
それに
メンちゃんとケチャもいる

いやあ
みんな凄い人たち
記念撮影
早速
サツちゃんが風呂に
入りたいというので
用意する

みんなで四方山話
夜更けまで

「来てくれてありがとう」
「いやいや」
「ありがとうね」
「いやいや、なんのなんの」

二階で寝ていた
洗先生たちも起きてきて
「やあ、みんな!」
と洗先生らが言うので
もう大変


ありがとうの
来宅者たち
わたしは下戸だけれど
みんなイケる口なので
夜を徹して
宴会
わたしは
明日
労働があるので
早々に
眠らせていただきました
おやすみなさい

---



怜悧な色彩
久しく



樹木草
保水にて
喜び
慈雨なり


怜悧な色彩







淡々さんの『あらくれ論』草稿

2021年12月15日 | 生活
  




忍び武士
影のボクサーの術を得る

ナナミノキ
鹿児島からやってきた
葉を撫で
「大丈夫だよ」
と声かけ

カラス
つがい
クスノキ
黒い実
食べるカラスと
見張るカラス
交互に
クスノキの実を
食す

淡々さんから
シュークリームとエクレアを
ごちそうになる
ありがとうございます

---

田の広がり
畦の入口をゆく
佳景
地に土
空に愛

---

淡々さんが書いた
『あらくれ論』の草稿を拝読


☆☆☆


あらくれとは何か
暴力的な行為で生活する
暴力団とは
それを異にする

あらくれとは
表層的にも
あらくれ的な無表情を常とし
笑うことは稀であり
常に見ている者をいう

あらくれとは
破壊と再生を繰り返す
万象の理から大きく外れ
社会的に
破壊を好む
または
破壊することを
常にヨシとする者をいう

しかし
あらくれとは
犯罪までは決して進まず
鉄筋を投げ
棒を地面に放り出し
時に声を上げ
怒り顔は
不動明王の如く
芯から怒り
収まることがあっても
破壊美学に迄Mされ
美と
ほど遠い粗野のあるがままをいう

あらくれとは
情にほだされやすく
常に愛に飢え
愛が与えられた瞬間に
鬼血相は仏顔と成る

しかし
ひとたび
与えられた愛が不足すると
直ちに鉄筋を投げ
コンクリート升を
地面に叩きつけるという
極めて
暴力的威嚇を最大に発揮して
周囲を黙らせる者をいう

あらくれとは何か
人間のことである

以上が
淡々さんの『あらくれ論』草稿です




小久保は思考した

2021年12月14日 | 生活
  




四本目の
クスノキの葉にさわり
「もう少し辛抱してよ、大丈夫。大丈夫」と
声をかける

五本目のクスノキも来たようです

---

横(空間) 相対依存

縦(時間) 万象流転

お友達のお坊さんが
般若心経について書かれて本を紹介
「横軸(空間)は、意識してなかったなw」

お書きになっていて
ハッとして
今日
ずっと
横軸について考えていた

相対依存という言い方が難しく
おそらく
並列にある事物があって
その中の一つが自分

並列する事物も
時間軸で破壊、再生を繰り返すけれど
その事物と距離を保って
存在している一点が
自分です


般若心経って
簡単にそういうことを
解説しているお経だと思うけど
仏教思想とか
キリスト教
神道でも
ぜんぶ宗教は
哲学と思想の
かたまりなんですよね
凄いです

もともと
時間の概念はなくて
社会で生きていくために
便宜上
人間が作った概念だけど
本来
生まれたての子供には
空間依存、つまり相対依存があって
時間がない


だから
悟りみたいな瞬間って
時間がなくなる
相対依存の意識しかない

お友達は頭の良いお坊さんなんで
難しい記事だけど
いつもためになります
ありがとう

---

もう少し書きます

相対依存について

地球は太陽に依存
月は地球に依存

太陽は
惑星と
引力によって
相対依存しています


依存という言葉は
人間同士の自立できぬ
心象において
ネガティブなイメージが
先行しがちですけれど
本来の意味は
お友達が紹介した
<互いが互いの存在を保つために在る>
『依存』が正しい


---

全体の中の一点であることによって
全体のバランスが保たれているという意か?

---

生き死にの隣には何があるか?
生き死にがある

立っているということ
これは重力があるので
縦軸(時間軸)を考えがち

万象流転は
日本語の諸行無常と同意

宇宙にゆけば
横(空間)を
意識する

―――


時間軸は
生命の変化が見えやすい

何故か?

自分が始まり
終わるから

常に
縦軸(時間軸)を中心に
わたしたちは
「ああ歳をとった。若い人は良い」
と身体の振幅を体感せざるを得ない

けれど
横軸(空間軸、相対依存)は
他者である

だから
まず
「一次に自我があり、
他者が二次となる」

お友達のお坊さんは
そのことを
意識しないといけないね、
と言いたかったのかな

---

派生するのは
言霊だ

もう一度書きます

子供は時間軸がない
生まれた時は
時間なんてなく
空間しかない

ミルクが欲しくて
泣くのは
言語以外
何物でもない
つまり
まだ人間言語を
獲得する前の
極めて原初的な言語は
叫ぶ、泣く
である

---

昔は『脳』の概念がなかった
頭蓋骨をかち割って
中身を見る解剖がなかった

だから
心、感情、精神と名づけた

解剖学者
養老孟司先生の言葉を想起
「解剖とは名前をつけることだ」

分類し
区別することで
人は安心する
実はすべて相関関係にあるのに、だ


心の病とか
精神的ダメージとか
言葉が古い

脳科学の分野の
言葉に変えるべき

心ってどこにある?
ないよそんなの

精神って何だ
わかんないよそんなの

感情って何
わかんないって!

真実は科学にある

脳細胞と脳細胞を
電気信号によって
伝達するシナプス
電気信号の過剰分泌や分泌減少が
すべて
『精神的苦痛』『心の病』『感情的』
の要因

電気信号が正常に働いていない
それだけのこと
だから
そこを調節する薬があるのに
偏見によって
飲まないのは
正しくない
腹が痛かったら
腹痛の薬を飲む
頭痛だったら
頭痛薬
脳内伝達物質が正常でない場合は
正常値に近づける薬を飲むのは
当たり前です
偏見に負けてはいけないです


発達障害という病名は
最近出てきて
「ああ私はこれだ、発達障害だ」
と安心できる

そういう意味では
養老先生の
解剖とは名前をつけることだ
が活きてくる
わたしは発達障害だ
と自己認識することで
楽になる
原因と結果が結びつく瞬間
ここを安堵とする

腹痛を
漠然と過ごすのではなく
医師によって
胃腸が荒れていますね
では薬
飲んで様子を見ましょう
となる

病名を付ける
臓器の分類を付ける
それで
人にとって
カテゴリーは希望です

脳科学

薬によって
または生活習慣の見直しによって
転居によって
電気信号が
正常に伝達する物質を
適量で放出する

さらにいえば
正常と異常の境目は
ない

―――


腸脳関係は
今や
医学では常識
腸内環境さえよくなれば
脳の環境もよくなる
つまり
うつになりやすい物質を
出すのも
腸だと判ってきている

腸内環境を整え
血行を良くして
口内環境を整備すれば
かなり
『精神的』は正常値に近くなると思う

心が病んだら
腸内環境を食事で整えること
そして
血行をよくすること

思い出してください
心が病んだ時って
たいてい
体が疲れているはずです

心とは何か
腸のことだ

なんちゃって!







オオトシガミ様

2021年12月13日 | 生活
  


この時期になって
ちらほら
呼ばれる『年神様、大年神、歳神』

忍び武士に
「年神様って何」
訊くと
「知らぬ存ぜぬ。気にはなってはいる」
ということで
調べてみました

年神様

系譜は
アマテラスオオミカミの
弟の
スサノオノミコト
の子供です
姉ちゃんか妹が
ウカノミタマ

女神であろうと思われる
ウカノミタマ

ウカノミタマは
稲荷神として生まれ
食物の神様
伏見稲荷大社などの
稲荷はキツネが狛犬代わりになっているけれど
御祭神はウカノミタマ

さて
年神様(大年神<オオトシガミ>)
とはお正月に家々に
訪問する神様で
大聡怩ゥら正月色々
節分あたりに食べる
恵方巻も
この年神様が関わっている

鏡餅は年神様へのお供えらしく
まあ正月に来て
「みんな元気にせなあかんよ」的なことを
言いにくる?
または元気にしてくれる?
という神様?
だと思う
適当に書いたので
興味がある方は調べてみてね

要は一年の始まりに
やってくる
めちゃくちゃ偉い神様
よって大事におもてなし


スサノオノミコトの子供とあって
かなり凄い神様だと思う

---


あり

太陽
きれい

「体に気をつけなさい」

淡々さんに
「山頭火が来るので、用意を」
と指示あり

二本目のクスノキの葉にさわり
「大丈夫だよ」
三本目のクスノキの葉にさわり
「大丈夫だよ、頑張ったね」
と声をかける

1センチくらいの蛾が
クスノキと一緒に鹿児島から
船に乗ってきて
はて
越冬できるのかな
と案じる

帰路
スーパーへ
ダンボールに
食材を詰め
荷台に縛る
途中
荷崩れ
炒飯が反転して
歩道に転がったけれど
大丈夫
あまりこぼれていない
あとは缶詰めの類で
問題なし
縛りが甘かった

---

最近売られている
小あじ揚げ
これが安くて
凄く美味しい
加えて
唐揚げいりの炒飯も
このスーパーのやつは
たまらん
美味すぎ!

ご飯の前に
お風呂
最近は
この入浴剤
良き香り


寝る
今日も一日
楽しかった





土いじり

2021年12月12日 | 生活
  


やれることからやる
起きて
寝て
起きて
寝て

久しぶりに
ベランダの聡怩ニ
土いじり
ああ
良いなあ
土いじり
良いなあ
枯葉を集めて
ハサミで細かく切って
それぞれの鉢や発砲スチロールのプランターに
ばらまき
生ごみを土に埋め
肥料づくり
夏に旺盛だった
野生の朝顔の蔓
すでに種が落ちていたけど
さらに全部とって
プランターにばらまく
しょうがない
旺盛な生命力の
野生の朝顔は
ゴーヤの勢いにも増す
冬でも緑になるもの
なんだっけ
大根なんぞ
葉っぱをほかしておけば
根付くな

洗濯
さまざまなところの

ダンボール、新聞、ゴミ出し
新聞読み
言葉書き
ご飯炊き

食材買い
今日も行けず
明日
行こう



鹿児島から楠がやってきた

2021年12月11日 | 生活
  


カラスに
「おはよー」
草に
「おはよー」
雀に
「おはよー」
木に
「おはよー」
花に
「おはよー」
川に
「おはよー」


朝から9時まで
多忙極まりなし
汗だらけ
ヒートテック着てるので
汗すぐ乾く
よって
体冷えず

鹿児島から
楠がやってきた
近くの
五郎左衛門という木は
夏に日陰を作ってくれて
みんな助かった
五郎左衛門と
楠が会話する
お友達
すぐ近く

樫の木さんに
「これって何の木?」
と五郎左衛門の学名を訊くと
「もちの木じゃないかな」
と発す

ともかく
もちの木と楠は
葉が触れ合うほどに
近い
良かった良かった
みんな友達

「ね、五郎左衛門」
と五郎左衛門の幹を
ペタペタやって
話した
木は凄い
大きくなると
こんなに硬い幹になる
人間なんてぜんぜんダメだ

明後日
楠もペタペタしよう
何ていうかな
まだ話す元気がないかも

だって
鹿児島から
船に乗って
ここまで来たんだから
ストレスも相当強い
早く元気になりますように
五郎左衛門がいるから
大丈夫だと思う
草もいっぱいいるし
大丈夫


母が親から聞かされていたことを
思い出した
「地震がきたら木につかまれ!」
木は根が張っているので
地割れに落ちる心配もない
枝があるので
降ってくるガラスやコンクリート片も
直撃を免れる

街にいても
どこにいても
木は人を助けてくれている


「早速、カラスが巣、作ろうと来てたで」
とサウス先生が言う


カラスが巣を作ったら
落ちる糞で
栄養が獲れる
みんな
友達









2021年12月10日 | 生活
  


東エリア
ヨオコノオバと
淡々さん

かつ丼


ゴボウ
かぼちゃ


---

裏側に行くと
裏がある
そこに
立つ人
添う人
涙する人
励ます人
笑う人
怒る人
歌う人

横道を通る
海が見え
山が見える
空も
雲も

湯布院
高千穂
京都
奈良

経由して
依拠の故郷を
知る

裏がある
表がある

表裏一体
イーヤン

表の言葉に
騙されるなかれ
表の顔に
騙されるなかれ
裏を知っても
知らぬ存ぜぬ
見ざる聞かざる言わざる
それが叡智

以前
吉本ばなな氏が
「死者との対話が一番リアル」
と言っていた
彼女はまだ若かったのに
よく判っている人だった
親子ともども
凄い

ーーー

よく思うこと

詐欺がある
言葉巧みに

文学がある
言葉巧みに

いずれにしても
言葉で騙すことには
変わりなく

詐欺は非合法
作家は合法とは

詐欺師は釈放されたあと
作家になれば良い
作家は常に
詐欺師になればいい
善悪なんぞ
あるものか
人すべて
表皮一体
または
表裏一体

許してあげなさい
ひとすべて
空海は
人を殺めた人間も
許したという
そういうことだと
思う

吉増剛造の影響を強く受けている
音楽家の灰野啓二の言葉
「やってはいけないことなんて本当は何もないんじゃないか」
胸に宿った
良い言葉だ

陰陽















元歌三段活用

2021年12月09日 | 生活
  




起きられず
タイマーを4回かけているのに
眠る
危ない
遅刻しなくて良かった

昔好んだ歌がある
とする
それはみんな一つか二つはあるはず

1 元歌

2 元歌を聞いていた歌っていた過去の自分 → 元歌+自分歌=倍音

3 現在、元歌と自分歌と口ずさむことで  → 元歌+自分歌+現在自分歌=倍倍音


つまり
元歌は変わらない
いつもどこでもそこにあり
不変

自分が歌うことで
元歌が変容し
自分の歌になる

歌い
繰り返すことで
さらに増幅してゆく

元歌と自分史が重なって
オリジナルな歌になる
それは
件p全部に共通する

聞く
見る
読む
側が
常に
試され
変容し続ける

そして
忘れる

歌とともに
成長し
元歌は残るけれど
オリジナルは消える
ただ
自分で歌った情感によって
人生が変わり
この世で
何をしたか
を問われることに
なる

見聞きするものとの
常なる性交
その刹那の連続

わたしたちは
この世で生きている
忘れがちだけど
当たり前だと思いがちだけど
この世で
息をして
体があるというのは
本当に凄いことです
感謝しかない
だから
遊ぼう
たっぷり
もういいわ
というほど
遊ぼう
この世に
せっかく来たのだから

---

黒い軽自動車
ワゴン車

いっぱいのスチロール箱
折りたたみ式の机

「弁当屋が街にやってきた」
と胸で絶叫
ところが
彼は車から離れ
弁当セット全部を
台車に載せて
どこかに行った
目前に弁当屋が来たと
喜んだのに
君よ
どこにゆく
ここにとどまれ
旅するな

---

淡々さんから
大量のカントリーマアムを
いただく
「安かったから」
と発す
ありがとうございます

カントリーマアム
king of biscuit!!

帰路
スーパーへ
納豆
キウイ
揚げ物
炒飯

疲れているので
キウイ二つと
崇ミけのニンニクを食べ
寝る











晴れの日にありがとうございます

2021年12月08日 | 生活

  




忍び武士が
書いたと思われる紙を
カラスが運んできた

祝詞を
覚えろという意か
「忍び武士はどこ行った?」
と訊くと
「かあ」
とカラス答える
そうか
山か

---

くもり、風、晴

ゴミ出し

冬の雨が二日降ったので
今日の晴れのありがたみを知る
当たり前だと思っていることは
当たり前じゃない
体で知る

お天道様
ありがたい

イートインで
ニコニコさんから
コーヒーをごちそうになる
ありがとうございます

淡々さんから十九世紀の
両性具有についての講義を
拝聴

ーーー



靴紐を結び直して
北へ向かった

あり

道を訊かれる
神社

あったかな
この界隈に
スマホの画面をのぞくと
確かにある
「そこを西へ行って一本か二本目を左ですね」
と言いつつ
はて
あるならば
行ってみたい
と早速
自分のスマホで
調べると
あった
知らなかった

最近
神社仏閣に行きたくて
しょうがない

ホローがついた車
アジアから来た作業員
若者
笑って
「サムーイ」
と言ってカイロを持って、歩き出した
「ちょっと待って」
バッグにストックしてある
張るカイロを差しあげる
「カイロ。ハル。あったかい。OK? ハルカイロ」
「OK。アリガトウゴザイマース」
ニコニコ
初めて見るのだろう貼るカイロ
彼は
歩いていった

アジアから来たら
日本は寒いよねえ

異国で親切にされるほど
うれしいことはないはず
しかも観光ではなく
労働となると辛い事が多いだろう
みんな仲良し
元気の子供

帰路
大阪屋へ寄る







ショック・ザ・ニューワールド

2021年12月07日 | 生活
  


終日



濡れガラス発見
寒いだろうなあ。。。

サウス先生から
大量のキッカットチョコレートを
いただく
ありがとうございます

新世界を映した
淡々さんの動画

カルチャーショックを受ける






植物園





腕を
伸ばし
触れ
揺れ



噴水



今年の夏
取り替えた
クーラーは冷暖房
昨今のクーラーは
電気代安し
つける
暖かい
すぐ部屋
暖まり
消して
寝る

雨は疲れる
体が重くなり
芯から冷え
しっかり入浴しないと
あかん

でらシン星人







でらシン星人

2021年12月06日 | 生活
  


  月だがや



  


  おほほ。おーほっほ。



  


  なるほどね。柳ね。へっへっへ。たまらんわ。はっは。




ヘンリーさんから
カロリーメイトを
いただく
ありがとうございます

オリノアネから
シュークリームを
いただく
ありがとうございます

残業
帰宅

終日
雨にて
体冷え
すぐに
入浴

でらシン星人

(『でらシン星人』 =@とても疲労しているの意。
「でら」は方言。名古屋弁で、とてもの意、
 シンは、しんどい、疲れた。の略語、
「星人」は名詞、副詞、形容詞、形容動詞、動詞等の総称。宇宙規模で擬人化されたといわれる。『2021年改正版小久保造語辞典』参照)

登場

すぐ
寝る








こんなことしてられん

2021年12月05日 | 生活
  


昨夜
大洗濯大会
お風呂に入りながら
のぼせるわ


ご飯食べて
寝て
今朝
早く起きて
山の如く積み上げられた新聞を
読んでゆく
実際
山崩れが二回あったので
とにかく
読まねば
一カ月前の新聞を読むという
何というか、、、、

大事なことはメモに残す
しかし
新聞の印刷って
よくできてる
印刷技術って素晴らしい
ガリ版を小学生の時
やったけど
もうかすれるわ
濃いわ
にじむわで
たいへんだった

新聞は凄い
見事な印字
写真も何もかも


洗濯物をしまい

寝ては起きて
新聞読み
こんなことしてられん

かぼちゃを煮ながら
言葉書き
きんぴらごぼうを作りながら
言葉書き
きんぴらごぼう
これが上手にできた
やったー


シンプルなスープ煮込み中
具材は
激安のハムの切れ端
これで相当な塩分が出る

ひじき
切りこんぶ
えのき
いんげん
なめこ
揚げ出し豆腐
赤ピーマン

どれも激安
本物の男は
スープで
栄養を摂る

いかん
こんなことしてる場合じゃない
新聞の続き
新聞出して
ゴミ出して
買い物は明日。。。。かな。



『緊急詩作・鬼スケジュール絶対実行決起委員会』

2021年12月04日 | 生活
  


ヤスオノオジと北エリア

出勤途中
ガビチョウらしき鳥
口から血を垂れて
歩道に横たわるなり
これはいかん
と発し
手袋なく
素手で掬う
軽し
しかもまだ
温かし
今し方
昇天されたのか
車に当てられたのか
植え込みの葉をよけて
葉に隠す

立つ
瞑目合掌
南無阿弥陀仏
南無阿弥陀仏
南無阿弥陀仏

唱えると
きれいなすべての生き物が
やすらかに
天に帰っていけるという

いつだったか
同じような場面があった
その時
あれ?
南無妙法蓮華経だったかな?
南無阿弥陀仏だったかな?
とあわてた

最近調べておいてよかった

南無とは仏様にすべてを預けます
という意

南無阿弥陀仏の阿弥陀仏とは
阿弥陀如来様のこと

阿弥陀様がお迎えにきて
さっきまで元気に飛んでいただろう
ガビチョウを連れていってくれるに違いない
「きっと」
と願う

宗派問わず
言霊を
唱えるということ
これ大事
マジ大事
届くから
見てるから
上から


お札の天照大御神様に訊く
「(昨日の東照宮での徳川家康さんの言葉)『平静の世を願い』って?」
「その通りでしょ?」
とお言葉をいただく
ありがとうございます

もうひとつ
昨日
那古野神社の末社の一つ
白山社の祠で祝詞を唱えると
ぐっーっと引っ張られ
吸い寄せられ
立っていられないほどのことが起きた
今は驚くばかり
その時は何でもないこと
昨夜調べると
白山神社のこと
山岳信仰
山伏
修験道

今日は機嫌が良い
天照大御神様にまた訊く

「もうひとつですけど、アレは?」
「好かれてるのよ」
と天照大御神様がニコニコして言う
「山ですか?」
「お山よ」

やっぱり
「お山」と言うところが
さすが神様
わたしだったら
お山なんて言ったことないわ
山ですよね
みんな

お山よ

ねえ
機嫌がいい朝の神様

こんなこと書いていいのかな
いいか

あと
「那古野神社の本殿の鏡が曇っていました」
と言うと
「そうね。言っておくわ」
とお言葉

ああ
ありがたいです
本殿は天照大御神様の弟様の
須佐之男命(スサノオノミコト)
と奥さんの
櫛名田比売(クシナダヒメ)

八岐大蛇(ヤマタノオロチ)退治

「ありがとうございます」
「ありがとう」

昼間
思いついたこと
神社とは
Wi-Fiだ
しかもほぼ
Free Wi-Fi

パスワードは
祝詞(のりと)

お寺の場合も同じ
真言宗なら
真言
大日如来と
不動明王は同じ仏様ですけれど
真言が違います
親切なお寺だと真言や経が書いてある

まあWi-Fiに繋がらない時があるので
そこはモバイルデータで繋げましょう

---

両足の悪き男子
十八歳くらいだろうか
西へ向かった

もう12月
今年は詩を五個くらいしか作ってない

今日から12月31日までの28日間
一日二個のペースで
56個の詩を
作るという
『緊急詩作・鬼スケジュール絶対実行決起委員会』が
設置された
ああ
ああ。。。

できないということを
許さない
恐ろしい委員会である
うわっ!
やば
こんなことしてられん


















東照宮、那古野神社

2021年12月03日 | 生活
  
  


鶴舞
牛丼屋
上前津

丸の内
東照宮
那古野神社

東照宮
「平静の世を願い」
までは
判った
天井に龍が描かれていた

那古野神社
初めて
赤い鳥居の
稲荷神社を通った

須佐之男命が主神
鏡が曇っていた

末社が凄かった
特別だったのは
『白山社』の祠の前で起きたこと

東照宮でのお言葉にしても
白山社にしても
その時は当たり前のように
マジックにかけられているから
驚きようがない
別世界
一時間半
たっぷり
東照宮と那古野神社を
堪能

参拝の時は
いつでもどこでも思うことなのですけれど
その場(境内なり社殿前なり)に滞在する時間を
たっぷり持つこと
これって経験です
木に触ったり
たくさんある祠に参拝できる
しかも
外部にも面白いところがいっぱい
みんな本殿だけかもしれない
でもね
たっぷりそこにいることで
楽しくなる時がある

12時
黒川

大阪王将なる店に入る

帰宅
14時から20時まで熟睡

起きてから
白山社を調べる
山だ山岳信仰だ
山伏
修験道
真言も書いてある
空海は山で修験道たちと交わっているはず
という


夜の音

西で流れているだろう
小川の音

怜悧な若者
常に
巡らしていた
机上でも
徒歩でも
食べる時
歌う時
見る時
いつもどこでも
巡らす

すべての料理をたいらげるように
歌いながら
笑いながら
習得してゆく







今日は何もなかった

2021年12月02日 | 生活
  




凄い急角度を
JOEさんが運転する車で
駆け下りてゆく
角度が凄い

着いたところは
ICチップの加工場

あるオバアのところに行って
ICチップの修理か交換をする

どこかで音がする
「あれは東照宮から(偉い人が)来ているみたいだよ」
とオバアが言う

わたし
走り出す
そこに向かって
凄い勢いで
何もない道
雲の中を走っているような

着くと
神社だろう
神楽だろう
けれど誰も踊っておらず
民は10人くらい外で
立って見物している
その中に入って
神楽を見る
見えるのは
対になった二人の女性
化粧が沖縄かインドネシアかジャワか
南方系の化粧と衣装

そこで夢が覚めた

いかん
これは
東照宮へ行けということだ
調べると
なんと
名古屋は丸の内にあるではないか
知らなかった
日光東照宮は
幼い時
家族で行った写真が残っているから
行ったのだろうけど
まったく覚えていない

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東エリア
樫の木さんと
樫の木さんから
コーヒーをいただく
ありがとうございます

若いサラリーマン
お好み焼きを食いながら
北へ向かった

『今日は何もなかった』
なんて日はあり得ない
出来事ばかりで
数え切れない
『何もなかった』って
何で言えるんだろう
それはあり得ない
何でもあったのに

橘の叔母のこと
母屋のこと
蔵のこと
風呂のこと
いちじくの木
実を食べたこと
郵便局の
地面が土だったこと
ピアノがあったこと
天秤があったこと
おばあちゃんのこと
思い出しては
また会いたい
と思

眠くて
東照宮へ行けず

朝からバナナかよ
と3本食べる

今朝見た夢は
死の世界の
夢だったかもしれない
と気づいた午後
だから逃れるようにして
走っていったのだと
合点がいく
「夢日記つけたら? 小久保さんはもう神様の領域の人だから」
と淡々さんは言う

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銀の玉
マキノさん

夕の寒さ
電動車椅子の女性
マフラーを巻いて
南へ向かった

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短い動画

補聴器を初めてつけた
赤ちゃん
聞こえる音
やがて
笑む

聞こえるということ
それを当たり前に
思っていないだろうか?
わたしたち

当たり前だと
思っていないだろうか?
わたしたちは