被爆者 阿部静子さん 97歳
何回も 挫折しました
闇夜に 荒海へ向かって
叫ぶような気持ちでした
何の実りもない 何の返答もない
1945年8月6日 広島 14万
1945年8月9日 長崎 7万
髑髏 どくろ
一瞬にして
被爆者
枕の上
一点を見て
瞬き もうない
遠くを見ている
何度 死にたいと思ったか
分かりません
外出したら
近所の不良少年が
「赤鬼が通る 赤鬼が通る」と
林たてるわけです
こっちは人に見せないように
うつむいて暮らしておりました
ビキニ水爆実験 1954年
第五福竜丸
苦しさまぎれに
もう我慢ができないから
国会請願行ったわけです
なんとかしていただきたい
わらをもつかむ気持ちでした
日本原水爆被爆者団体協議会 結成 1956年8月
その言葉は
広島 長崎 30万人の人柱
被害者の人柱の上に立って
言っていること なんです
『誰の罪』
障害者の人が言っていた
同じような障害者が
集まると
楽しい
同じ人に会うとホッとする
これは障害者ということだけではなくて
自分と似た人に会うと本当にホッとする
そういったのは以前友達が小説の中でそれを書いていた
早いんだなあの人は本当に早くそれを書いてるんだな 大したもんだよ すごいよって 今でも思っています
大事な番組
言葉
何も言わない
何もしない
これも一番大事な言葉
何も言わないことば っていうのは
口の先から出た言葉ではなくて
言わないということは大事
隣に座っている
それだけでもいいかもしれない
孤独が一番辛いと思う
何も言わない
静かに隣に座る
去っていく
またすぐ隣に座る
何も言わずに
天気の話をしておけばいい
これはすごい問題です
体験として
介護施設及びデイサービス
この
恵
という会社の問題
社会に目に見られない 危ない場所
これは体験としてすごくわかる
今後 いろんな人が介護施設やデイサービスなど そういう問題になっていく
福祉というのは
営利 が始まりに なると
こういう問題が出てくる
内部告発
家族がちゃんとそれを目で見ているか
施設に全部預けてはいけない
これから こういう会社がいっぱい出てくる
気をつけた方がいい
人を見ていれば
いろんなことがわかる
その冷静な目を
みんな 本当に必要だと思う
このニュースは本当に実感 だな
どうしたらいいか
優しい人は優しい顔になる
冷たい人は冷たい顔になる
本当に顔に出る
言葉は嘘だ
表情で全部出る
冷静に観察すること
言葉に騙されてはいけない
障害者が狭い時に
押し込められる
泣きそうになりそうだった
最後の方でお父さんが
卵焼きをやってるんだよ
この番組ってなんか大きい賞を取れると思うかもしれない
ドキュメンタリーの映画みたいで
ものすごく美しい
出てくる人たちが本当にいいんだよね たまらんわ
私の父の出身が 田原町 なんです
私も 兄も小さい時から父のふるさとに行ってたくさん面白かった
福江の古い町で
じいちゃん ばあちゃんもいて いとこがいっぱいいて 猫もいて
近くに 福江港があって
じいちゃんは昔から 船乗り
と言っても 船乗りはもうじいちゃんは引退して
当時 じいちゃんは 伊良湖岬でフェリーや水中翼船 ホバークラフトが来る時に
綱を引っ張ってやってた仕事が じいちゃん
もと君も僕も小さい時はじいちゃんの両腕でぶら下がりができた
じいちゃんは言葉を言わずに
モト 君と僕にこの腕にぶら下がってみろ
っていうのを自慢のじいちゃん
腕のこぶを自慢していた
じいちゃんは小柄でニコニコしてるんだけど 日焼けでかっこよかったな
父の長男の方が
伊良湖岬のお店をやって
民宿をやって
そんなことを
思い出す
田原町の人っていうのは というか あそこら辺の人ってみんな のんびりしてて
同僚の人も 田原町の人だけで
表情とか喋り方が全然違う
介護施設のスタッフも
田原町出身だともう全然本当に違う
ふるさとが本当に同じだと全然違うんだね
とまぁ 個人的な思いもあるんだけど
外海でいろんな思い出があったし 内海 もあったし伊良湖岬で本当に遊んでたまりちゃんがカレーを作ってくれて 僕 と げんちゃんが食べてて 今でも懐かしい
という感じで この番組は本当に良かったな 泣きそうだったな
分かった
分かったぞ
言葉とは音楽のことだ
言葉とは リズムのことだ
参った 興奮したすごいよ わかったぞ わかったぞ 言葉がわかったぞ 言葉がリズムだ
今まで文章の中から
言葉はリズム だっていう風に
学んでいたけど
これは自然に
歌って リズムがあって
言葉があるんだね
リズムとメロディが
言葉が と言うか 何て言うんだろう
まず声があって
歌になって
リズムになって
言葉になるんだ
文字はもういらんよ
興奮した
9月2日に書いた言葉の番組が
下地になっている
いろんなことが 下地になっていて
今日新しい何かがわかった
夜になったらもう復習だ
この目次のやつを全部読んでみよう
センテンスの最初の方で相当 興奮した やってみよう
佐賀県 だからSAGAなんだね
性のさがと思った
すごいなあと思って
もともとテニスが本当に大好きで
好きっていうのは 力になる
私も 左半身麻痺になって
リハビリに入って
私は車椅子の時でも車椅子がすごく早くできる
なんでかって言うとどうやって歩くようになったかというと リハビリの 大村先生からすごく良かった これはラッキーだった
基本的に頑張ったねとか努力なんて言われてるけど実は違う
歩くのが好きだったんですね
5月に倒れてすぐに手術して
8月末に車椅子と自分の自主トレで歩くようにして
今年の初め だったかな
車椅子を解放して
しばらく歩行器から解放して 今 杖となる
人によっては 病気も違うからいわゆる 脳の出血に関しては場所によっては全然違うから 何とも言えないんだけどね 自分の場合はそういう感じ ラッキーかもしれないね
🌿
この大谷選手 はやっぱりテニスが本当に好きだったんだよ
好きっていうのは 力になるんです
大谷選手の病名は調べてみるけどもいろいろ症状とか見えてると まあ 簡単に なると 難病となる
大谷選手 がすごく頑張って今までできなかったことができるとなると
ディレクターさんの人が
すごく感動するらしいです
大谷先生を見てて ディレクターが感動するらしい
大谷先生から見れば
そんな風に大谷選手の近くで
感動してくれる
とやっぱり 頑張れちゃうよね
その大谷選手との出会いはディレクターの人なんですね その出会いっていうのは本当に大きいと思う
私もすごくわかる どれだけ リハビリの先生に出会ったか それによって 縁があってそれで力になってくんですね みんなのおかげです森川先生 清水先生
たくさんの理学治療士 と 言語聴覚士 という プロのプロです上飯田リハビリテーション病院は
本当の本物です
介護のスタッフが そして 看護師たち クリーニングを おばちゃん 給食でご飯をくれる人 たくさんの人がいっぱい 大事 伊東ドクターは本当にすごかった
ニコニコしてても力を持っている人たち
患者さんで朝から 自主トレをやってる人もいる
こうやっていろんな人に助けられて 今います
選手にしか知らない
いろんなものがある
アスリートになったことはないけど何だろう
気持ちがあったら
本当にできるんだな
と思った
人間って力になる時がある
その本人の努力や頑張り 何というのもあるんだろうかもしれへんけども
出会う人に力をもらう
そして人間の体っていうのは 思っているも以上にできるっていう事なんですね
だから こういう番組見ると
自分の体がどれだけでもできると思った こういう番組だけで本当に私はいろいろ 縁があるね 大谷選手 さんありがとうございます
大谷選手の姿を見てるとどれだけでも頑張れるんだなと思った
明日は3ミリでもいいから 前に行く
地味だけどこの1ミリであっても 0.5ミリであっても前に行く
モチベーションは
褒めてくれること
この映画はすごく良かった
しかし私は
この映画の中で
ハンセン病
及び らい病というのは
映画を見ていたというのに
ハンセン病のことを
知らずにいた
その偏見の中に私もいた
こういう番組に初めて
知ることがあった
あの映画は 監督と俳優さんの有名さで見たけど
一番なのは病気について知らなかった私
何を見ていたんだろう
差別と偏見 ということを
2つの言葉で一緒に言われてるけど
こないだ ある方と長い電話で話していて
偏見ということが やっと私は伝えることができた
差別というよりも 偏見というものが
社会の全てに
偏見の中で生きてるということを
私は思うのだ
それは私の体が
健常者から身体障害者となった時に
やはりそういった目で
見られるのが社会
そうやって みんな
左半身麻痺であっても
避けていく感じがする
自分の中もまた
自分の中の身体障害者を
自分自身が避けていると思う
そういう意味で私との戦いであり
社会の偏見との関係というのは
山内さんのように
言葉がある人はそれをやっていかなければいけないと思った すごく学んだことがいっぱいある 頑張ろう 私も 左半身麻痺という身体障害者としてそれを社会にアプローチしてくっていうのは やっぱり 障害者の人のためにあっても一番自分のためにであってもそれやってくのが 言葉の人である 頑張ろう
2018年12月放映
フィクションではなく ドキュメンタリーにした方が本当に良かった
らい病
ハンセン病に知らなかった
この山内さんはとにかく頭が良いと言うか言葉がはっきりした人
愛情も伝えて
言葉の力を 娘さんにも伝えていた
最後の方にリンゴの例えは
詩の言葉だ
これだけたくさん言葉を持ってる人っていうのは
言葉の人であるというのは
ハンセン病の人の無言の人たちのために 山内さんが言葉となって伝えている
無菌という意味もわかった
哲学というのは
文学ではなく
山内さんからの口からもらえる
生活からの哲学と生きる姿勢です
言葉の人であり
生きる人の人であり
意思が強い物があり
愛情も与え もらっている
自立する力がある
山内さんは
文学でなくても
強い言葉の人であり
思想である
体が強くなる
体が熱くなる
ハンセン病 または らい病
伝染しない
遺伝しない
この2つだけは
偏見が社会にある
薬によってハンセン病が治る
医学が発達したことと
もう1つは
ある意味では戦争に負けて
民主主義が日本に入った 意味
たくさんもらった
人間と他の生物は
檻がある
必要のない壁
大丈夫な鳥かご だって
本当はいらない
生物は自由だ
銭だけだ
統治した連中はこういううまいものを一生生きるために壁を作ったんだよ
喧嘩だけは絶対ダメ
喧嘩ばっかりする人はやっぱりそれは 壁とか 監獄 になる
トンネルとか壁とか列車とかそんなのみんな 言葉がなくなって地球外生物とコミュニケーションができて簡単に体ではなくて 知能からコミュニケーションができる そうすると普通に空なんか簡単に行ける
鳥だってみんな自由じゃなくて それだけの自分の範囲がある
見えない壁 ってのは
人と人との間で 民主主義であっても見えない壁 っていうのはたくさんある
自分の中で見えない壁
これを考える 思う
介護施設
退所
3月末
帰宅
母に
ボブディランの番組
鶴舞
時
父
ボブディラン
録画
今年になって
初めて見た
小学生時
吉田拓郎
日本のフォークソング
ボブディラン
影響
当時
何で
ボブディランが影響
って思
ボブディランに話すは多く
疑問
高田渡が
どうして
ボブディラン と言葉を
言わなかったのか
本当の意味
分かっていない
たくさん
冷静
坂本美雨さん 最近 いっぱい出てくる
父ちゃんもお母さんも いい娘さんやね
法然
地獄
極楽
阿弥陀仏様
阿弥陀如来 菩薩様
勢至菩薩様
観音菩薩様
雲
琵琶
笛
楽器
たくさんの楽器
踊り
南無阿弥陀仏
全ての人を浄土に行く という風な感じで法然がその時の全ての人の名前を書いてたという
時代はもっと早くなくなった
南無阿弥陀仏
この言葉は今でも生きている
2001年
23年前
国連
緒方貞子もいた
人道主義が
まだ生きていた
今は 緒方貞子はどう思うんだろう