本当のトムヤムクンはもっと酸っぱいと思う。レモングラスが効いた、あの強烈な酸味がなければ、トムヤムクンの醍醐味は味わえない。
だから、カップヌードルのトムヤムクンを食べて、「ちょっと違うじゃん」と思ったのはわたしだけではないと思う。
それでも、カップヌードルの勇気を称えたい。しかも、トムヤムクンに似た味といっても、それが決しておいしくなかった訳ではない。
いや、おいしかったのだ。
トムヤムクンといえば、やはりあの海老だ。お椀から突き出したあの大きな海老をカップヌードルはどう表現したか。
「やっぱりな」と思ったのは、あの干し海老こそがクンだったのだ。
いいじゃん。カップヌードル。いいじゃん。
あの小さなカップで繰り広げられるタイ王国の旅。
思い起こすのは、洪水のアユタヤで食べたトムヤムクン。レストランの周囲を女子学生が無邪気に泳いでいたあの不思議なレストラン。
正直、おいしいとは思えなかったトムヤムクンは、ただ単にボクのタイ免疫がなかっただけのこと。
お湯をかけて3分間のドキドキとワクワク。
3分間に秘められた懐の深い時間。ウルトラマンなら一暴れ。その3分間に思いを込めて。ボクらはカップヌードルの香りを嗅ぐ。
あぁ、異国の香り。ナンプラーとパクチーの渾然となったペーストがお湯に溶け、湯気に混じって鼻腔に届く。
これだよこれ。
沢木耕太郎が遙かインドの地で食べたカップヌードルの描写を思い浮かべる。ブッダガヤのアシュラムでともに過ごした農大生が分けてくれたというカップヌードルのエピソードである。
「自炊用の鍋に、はるばる日本からやってきた麺を入れ、ヒマラヤ山中から流れてきただろう水を加え、インドの大地に育った青菜を加え、しばし煮た。それは久しぶりの豪華な昼食だった」(沢木耕太郎「深夜特急 インド・ネパール編」より)。
日本で生まれたカップヌードルが、世界を巡り、そして日本に戻ってきた。世界の麺。
爆発的な売れ行きで生産中止となったトムヤムクンヌードル。
忠実にトムヤムクンを再現できていたかは疑問だが、でも期待に違わぬおいしさであったことは間違いない。
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