記事を書くあてもないのに、とある会合に招かれた。2つの団体がひとつに合併するメモリアルな総会である。両団体とも勝手知ったる会で、とりわけ片方の団体は、自分が駆け出しの記者時代から参加させてもらっており、かれこれ付き合いは四半世紀に及ぶ。参加者の中でも、自分が最長になり、この事務局も、「熊猫さんが、生き字引き」とまで言われてしまう。その歴史ある会合に呼ばれることは光栄だったし、感慨深いものがあった。
自分が会合に参加させてもらった27歳の頃は、おっかないおっさんの集まりだった。しもんまさとさんに似た、H口議長、ティアドロップスのサングラスをかけたY崎さん、パンチパーマの外見は完全に反社のF田さん。一癖も二癖もある人ばかりだった。時の流れは早く、その会はいつしか事業継承がテーマとなり、世代交代が進められた。今や、会は、その息子さんらが運営している。彼らは自分らより、歳下である。親父さんよりもアクが強い人はいないが、それでも変わった人は多い。
その会合の歴史的な日に立ち会えることができる。それだけでもう充分だった。また、このコロナ禍で、会合は全く開催されず、今回の会は、約2年3ヶ月ぶりとなった。久しぶりに見る彼らの顔が懐かしく、それだけで気持ちがいっぱいになった。このコロナ禍でも、みんな逞しく生きていたんだなと実感する。
総会の後は懇親会が開催された。気持ちはもうコロナ明けだった。
「菩提樹」は、もう随分前から、この会の懇親会の会場になってきた(「中華さすらひ」未収録)。仏教センター伝道ビルにある中華料理店である。
オードブル盛り合わせからスタート。海老のシンガポールカレー風味炒め、焼売と海老蒸し餃子、豚三枚肉の煮込み、唐揚げ、ふかひれと白菜のスープ、胡瓜のチャーハンと次々に料理が運ばれた。
紹興酒もしこたまいただき、気分はいい。
でも、どうやら自分は俗世から解脱は出来ないようである。ただし、その一筋はまさに光明だった。コロナ禍のブランクを埋める暁の光。
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