「まるます家」でお会計して、さぁ帰るかという段になった時、T根がさらりとこう言った。
「もう一軒行きましょ」。
え?いや、もう気持ちよく飲んだし、「まるます家」で平成飲みの有終の美を飾ったし、「これでやめようよ」と言ったが、T根は頑としてきかない。家を出る時、かみさんに「酔っ払って帰らないで」と、何度も釘を刺された。このまま、帰宅すれば、気持ちよく帰れる。もう一軒行くと、多分状況は厳しくなるだろう。仕方ない。ちょっと、行くか。
ボクはまず、王子の「平澤かまぼこ」に行く提案をした。T根は、「平成最後の『平澤かまぼこ』」という言葉を最近何度も口にしたからだ。だが、T根は、その提案を一蹴した。電車に乗るのがかったるいらしい。一応、「平澤かまぼこ」の開店状況をネットで確認してみると、29日は閉店だった。
「まるます家」を出て、「丸健水産」の前を通った。相変わらず、行列が並び、混雑していた。赤羽駅前の「マルヨシ」。もう、10年以上も行ってない。その間、店は改装した。朝11時、まだ店は準備中だ。
「じゃ、『喜多屋』に行くか」。
「喜多屋」は一時期、ボクのお気に入りの立ち飲みだった。でも、やはりかれこれ10年は行ってない。だが、「喜多屋」の前まで行くと、見事に店は閉まっていた。どうやら、定休日らしい。
さて、平成最後の居酒屋はどこにおさまるのか。我々は、赤羽の街を歩いていて、一つの確固たる考えがあった。それは、「いこい」の本店はやめておこうと。その「いこい」を通りすぎ、「桜商店」の前にきた。店はやっていたが、店に入る気にはならなかった。「安かろう、悪かろう」の店だから。その店を過ぎると、残る店はあの店だけ。そう、「いこい 支店」。我々は、もう答えがそれしかないというように、「いこい 支店」に吸い込まれていった。この店に来るのは、何年ぶりだろう。まさか、まさか平成最後に訪れる店が、「いこい 支店」とは、夢にも思っていなかった。
11時を過ぎたばかりなのに、店内は超満員だった。これだけの人が朝飲みしているこの上に、ボクは戦慄を覚えた。
「黒ホッピー セット」。
「白ホッピー」はない。
つまみは、「ガツ刺し」と「アジフライ」。
厨房を仕切るのは、声が大きなおばさん。「いこい」のお父さんは、何年か前に引退したときいた。しかし、このおばさんが威圧的だった。大きな声で、出来上がったつまみをいちいち読み上げるのだが、これがかなり怖い口調なのだ。これじゃ、本店の恐怖支配と変わらないじゃないか。
若い男性店員が、無愛想に走り回っている。この男に見覚えがあった。彼は、「いこい」の若旦那じゃないか。いや、そんなはずはない。若旦那は、本店の店長のはず。ここにいるはずがない。ま、いいか。
最後の最後に、「いこい 支店」にたどり着いた理由。それは、「たきおか」、そして「晩杯屋」のルーツを遡る旅。これが、これが結果の意味だったのか。
しかし、平成が終わるまで、あと3時間弱。もしかすると、平成最後の酒場は、「いこい 支店」じゃないかも。この3時間時で、大どんでん返しがあるか。まだ、平成は終わっていない。
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