唐突に10万ルピーを支払えと言われたボクは、一瞬言葉を失った。どういうことなのか。眼前の男は、ついさっき、金銭は要らないと言ったばかりだった。
「10万ルピー?」。
わたしが、彼に尋ねると、男は、さも当然と言わんばかりに「うん」と頷く。10万ルピーは、日本円で約30万円。決して安い金額ではない。
「なんで?」。
わたしが、そう尋ねると、彼は落ち着き払った声で、こう言った。
「君が10万ルピーを払うと言ったじゃないか」。
彼はまたもや珍説を持ちだしてきた。
いつ、わたしが、そんなことを言ったのだろう。
「いつ、わたしが10万ルピーを支払うと言ったのか」。
今度は、そう尋ねると、彼はしたり顔で、こう言った。
「お祈りの中で、そう言ったじゃないか」。
わたしは、呆れてしまった。サンスクリット語でリピートしろと言いつつ、そんな罠を仕掛けていたとは。わたしは、笑いながら、「君の言葉を復唱しただけだ」と言うと、彼は、執拗に、「自分で言ったのは、確かだろ」と凄んでみせた。
やれやれ、また変なのに、捕まってしまった。わたしは、彼を無視して、歩き出すと、わざわざわたしの前の進路に立ちはだかり、邪魔をした。
「その10万ルピーで、お前のお母さんが治るなら、安いもんじゃないか」。
彼の言い分は、こうである。
「そんな大金は持ってない」。
と言うと、「インドまで旅に出てきて、お金を持ってないとは笑わせる」と彼は大声を出した。
すると、周囲にいたインド人らが、物珍しそうに我々の周りを囲んだ。
これは面倒なことになった。言い合いをしているだけで、あまりにも不毛だ。彼のことは無視して、この場を離れよう。そう思い、人だかりをかき分けて、そこを離れようとすると、今度は周囲のインド人らが、わたしに罵声を浴びせてきた。
「お前は逃げるのか」と。
しまった。完全にこの男の術中にはまってしまった。
「OK、じゃポリスに行こう」。
わたしは途方に暮れ、そう言った。
すると、これまで余裕しゃくしゃくだった彼はにわかに態度を変えた。
「ポリスに言っても無駄だ」。
彼は何度も繰り返し、わたしに行った。
どうやら、この男は、警察には行きたくないらしい。さては、何か事情があるようだ。
「いや、ポリスに行こう」。
今度は、警察に行く、行かないで、わたしと男は言い合いになった。白熱していた言い争いが、いきなりトーンダウンしたものだから、物見高い野次馬も、興味がなくなり、少しずつ減っていった。
すると、少し離れたところに、茶色の制服を着たポリスが歩いているのが見えた。わたしは、チャンスと思い、大きな声でポリスを呼んだ。
すると、男は突然ものすごいスピードで退散していった。
やれやれ、やっと終わったか。これなら、値段交渉のほうがまだ楽だ。
わたしは、その場に座り込んでしまった。
もう少し、この静かな湖の街を観光して行きたかったが、あまりにも疲れていたし、またあの男とどこかで鉢合わせするのも嫌なので、おとなしく宿に帰ることにした。
帰りのバスに乗り込むや否や、わたしはすぐさま寝入った。
疲れとともに、なんとか切り抜けられたことで、安心したからである。
言葉が通じないのをいいことに、ないことないこと吹聴して自身に有利になるようにしてんだろうなあ。「こいつ、俺への支払いをぶっちぎろうとしてるんだ。」とか言って。
ただ、警官の話しが出た途端に相手がひるむところが、またインドらしいといえばインドらしい気も。やり口が緻密ではないんだよなあ。
それにしても、帰りのバスで寝るって、大丈夫だったのか師よ。インドにおいて公共の場で寝てしまうとか。
まあ、そんなこと言って俺も駅のホームのベンチで深夜全然来ない列車を待ちながら寝たことあるけど・・・。
しかし、怖かったよ。
集団で、何かされるんじゃないかと。
おかげでいろんなこと経験できたけど。
電車とかバスとか、よく寝てたけど。
自分は逆に、野宿を経験しなかったよ。