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席に通されるまで、多少の時間がかかった。
土曜日の夕方。池袋の街は人いきれ。店内も相当混んでいた。
通りに面した席に通され、行き交う人の流れをただぼんやりと眺めていると、黄昏ていく池袋の街が、急にもの悲しく映りこむ。
人と人が出会う場所である喫茶店は、人と人がすれ違う場所であること。そんな当たり前のことに気づく。
いや、池袋の雑踏では、すれ違うことすら気づかないのかもしれない。
「服部珈琲舎」。
大正2年の創業だという。
「まだ、竹やぶがあちこちにあった」と同店のホームページは当時の池袋を今に伝える。
恐らく、数えきれないドラマを、この喫茶店は演出してきたことだろう。
隣の席に座るカップルの会話が耳に入ってくる。
彼女はケータイに手をやりながら、あまり楽しそうに見えない顔でこう言った。
「アシタ、チョータノシイコトガアル」
それを聞いた彼氏は、少し戸惑ったように返した。
「ドンナコト?」
ボクは、1200円もするケーキセットのカプチーノに手を伸ばしながら、その会話を聞いてしまった。
結局、彼女の言う。
「チョータノシイコト」 というものが、どんなことか分からなかった。
ただ、彼女は、その会話を通して、彼氏にちょっとしたテストをしているように感じた。そのテストというのは、出方ばかりうかがう彼氏の行動を引き出すもののような。
誰もが通る淡い思い出。
そして、成熟しない男の苦い記憶。
喫茶店は、人と人の交差点である。恐らく、いつの時代も。
何故か、ボクが食べる甘いケーキも、いつしか苦くなった。
男は、いつの時代も愚かであり、いつの時代も奥手である。
ひとつのテーブルにいつもひとつのストーリーがある。
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