羽田イノベーションシティの目の前はロータリーとなっている。この広場に自動運転バスが往来するのかと眺めに行ったら、記念碑なるものを見つけた。
「旧三町顕彰の碑」というらしい。
大鳥居の脇にあった記念碑にも書かれていた旧三町を顕彰する目的で建てられたらしい。その旧三町とは羽田鈴木町、羽田穴守町、羽田江戸見町で、海老取川より東に町があったらしい。羽田という地名も昔からあったということが分かる。にわかに信じがたいのが、その旧三町にはかつて、海水浴場、浄化海水プール、競馬場などがあって一大行楽地だったという。海水浴場はまだ分かる。けれど、競馬場は想像がつかない。
その旧三町が消失したのが日本の敗戦時。連合国軍が東京飛行場を接収し、その周辺地域の旧三町に対して48時間以内の強制退去を命じたという。突然、降って沸いたかのような強烈退去って、余りにも理不尽すぎないか。しかも2日以内って。そうして、この3000人が暮らしていた町が消失したらしい。
この時の経験と方法を日本政府は、その後の成田で使ったというのは穿ちすきだろうか。強制代執行を連発した成田で。つまり、羽田も成田も収奪の歴史なのである。奇しくも漢字2文字、最後に田がつく東京国際空港は昔から血生臭い歴史に塗られているのだ。実は羽田の大鳥居の呪いは土地を奪われた人々の怨念だったのではないだろうか。
その歴史から抹消されてしまった旧三町が、顕彰の碑で、また現代に浮かび上がった。碑の横にある解説版にはかつて暮らした人の証言なども記載されている。
なお、この碑は羽田地区町会連合会、地域の団体、空港関連企業等が共同で制作し、大田区に寄贈したのだという。顕彰碑であるとともに、鎮魂の碑でもあるのだ。
日本ってその遥か前から築城や城下町の移転、藩の移封・転封とかでやってますし。
鉄道建設や高速道、ダム湖なんかもそうじゃないですか。近年では駅前の再開発とかもね。
お上は絶対ですから。上から目線でどけよというのがまかりとおっていて。ダムとか飛行場とか国策は特にですね。
この日は成田と羽田の共通項を見つけて考えさせられる1日でした。