上野駅の駅前広場に踏切音が聞こえる。駅は高架になっているから、踏切などあるわけがないのだが、踏切音は確かに聞こえる。
信号待ちの時間に音の主を探すのだが、どこから鳴っているのか分からない。
上野駅の構内に入らず、北へ向かった。歩道橋とJRの高架、そして首都高速。アメ横の地上戦は、途端に空中戦に変わった。
台東区役所は高速道路の向こうに僅かに見える。
上野駅と昭和通りの間の一角。ここも雑然としている。
N刊自のF崎さんが通った店の前を通ると、立ち飲んでいる人がいる。
「まさか」。
ここは、何度も通って、確認したはずだった。立ち飲みじゃないことを。
だが、確かに、文庫本を片手に、かくしゃくと背筋をたてて、立ち飲み酒をする紳士がいるではないか。
「ヤスキチ」という酒場は、そのF崎さんが贔屓にした酒場である。彼が店に入ると、何も言わないのに、ウーロンハイが出てきたという。
F崎さんは「あの店、立ち飲みだよ」と仕切りにわたしに言った。だが、実際に行ってみると、そこは椅子が置いてあった。転んだのだろうとわたしは思った。
その後、その店はわたしの記憶から完全に消えた。約1年ぶりにその店を偶然通ると、そこに立ち飲みの紳士がいたのである。
わたしは、我を忘れて、店に入り、何事もなかったかのように、その紳士の横に立った。紳士は、文庫本を読むのに集中しながら、「冷奴」を食べていた。
「やるな、この紳士」。
わたしは咄嗟にそう思った。
このたたずまい、只者ではないと。両足をピンと伸ばし、膝などを一切遊ばせるわけではなく、立つ姿は、まさに鍛え抜かれた立ち姿。立ち飲みの初心者は、足を遊ばせたり、膝を曲げたり、或いは肘をカウンターにつけながら、だらしなく酒を飲む輩が少なくない。だが、この眼前の紳士には一部の隙もなかった。
多分、わたしの存在には気が付いているだろう。だが、その存在を意に介していない。ページをめくるスピードは変わらず、自分の時間を全うしている。
わたしは、メニュー表を繰り、ドリンクメニューを探した。
おや、「麦とホップ」の樽生(350円)があるじゃないか。これは素晴らしい。わたしは、迷わず、その飲み物を頼んだ。
普段、家で飲む麦芽飲料。そう、この紳士に対峙するには、平常心こそ必要。そのためにはいつも飲んでいるものがいい。
酒肴にまずは「もつ煮」(400円)を頼んだ。
しかし、この紳士の立ち姿、微動だにしないたたずまいは敵ながら天晴だ。
さて、「麦とホップ」の樽生。缶よりも雑味が少ない。
これはうまい。スピリッツが強くて、喉がひりひりするけれど、これはこれでうまい。
そうやって、「もつ煮」をつつきながら、「麦とホップ」を飲み干すと、もう足がだるくなってきた。足を投げ出してしまいたい。肘をカウンターにつきたい。そういう衝動に駆られる。
そうか。わたしはいつも立ち飲みではだらしない姿で飲んでいたのだ。そんな自分に気が付いた。
だが、となりの紳士はほぼ姿勢を変えず、本を読みながら、日本酒を飲み、そして時折「冷奴」をつつく。
まだまだ、わたしは修業が足りないようだ。
ブルース・リーは「燃えよドラゴン」の中でこう言っている。
「敵はいない。己がないから」。
自己があるから、人は基準を見出す。
「まいりました」。
わたしは、心の中で紳士にそうつぶやき、勘定を払った。
紳士の横を通り過ぎたとき、こんな声が聞こえた。「若いの、立ち飲みは立って飲むのではない。飲んでいるから立っているのだ」。
恐らく、わたしには一生かかっても、この言葉を理解できないかもしれない。
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