![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/39/3e/9f77cca42bbb4171a41a0975b3d46a78.jpg)
自宅の近所に神谷堀公園という公園がある。
ここはかつて、甚兵衛堀という隅田川からひいた運河があり、そこを埋め立てでできたのがこの公園ということである。なるほど、確かに地形もさることながらお堀の石垣も残っている。
この甚兵衛堀について調べてみると、この甚兵衛堀にはかつてでっかん坊橋という橋がかけられていたことが分かった。この奇妙な名称は、かつてお坊さんがこの橋の上でおいはぎに殺害され、夜な夜な幽霊となって現れたことからつけられたといわれている。ちなみに、神谷から豊島にかけては興味深いことにだいだらぼっち伝説があるが、もしかするとこの殺害されたお坊さんとこの伝説はおおいに関係があるのかもしれない。
さて、このでっかん坊橋は、その後大坊橋と名称を変え、さらには大防橋に名前を変えて、昭和63年頃まで残されていたことが分かった。そこで、わたしはその橋跡を探してみることにした。
北区のHPによると、王子5丁目団地の北側に大防橋跡を示すレリーフがあると記されている。現地に赴き、探してみたものの、もはやない。どうやら撤去されてしまったようだ(2014年5月、再び設置されていた。どうやら工事中につき、1度撤去されていたようだ)。
だが、大防橋はどうやらこの辺にあったことが分かった。
わたしは3か月にわたって現地調査を行った。
当初、大防橋は王子五丁目団地の北東側の入口にかかっていたと考えた。この入口の形があまりにも不自然だったからだ。だが、もし、ここにかかっていたとしたら、大通りの北本通りを横断して橋をかけなければいけない。しかしながら、北本通りという大きな通りをまたぐ甚兵衛堀には神谷橋がかかっていた。
ということは、五丁目団地から大日本印刷の入口に行く細い小路のどこかにかかっていたことになる。
次に目をつけたのが、コンビニのスリーエフ脇にある小さい道。この隙間の小路が実は甚兵衛堀の跡でhがないかと考えたが、よくよく考えると、神谷堀公園の角度から推定すると少し違う。そもそも道の幅が堀としては狭すぎた。だが、きっとこの辺りに違いない。
次に目をつけたのが、交番の裏側5mくらいの地点。
五丁目団地の柵もここは少し違う作りになっている。怪しい。実に怪しい。
結局、ここが大防橋跡地であると結論付けた。道幅3mくらいの小道。かつて、ここに橋があり、町をゆるがす殺人事件が発生した。その後、ここはミステリースポットとなり、今はもう風化した。
全ての場所に歴史あり。
なお、五丁目団地の西側、王子北駅はこの春、その役割を終えた。
線路が閉鎖され、この貨物駅もいつか解体されるのだろうか。桜田通りの桜の運命は。
そんなことが最近、やけに気になる。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます