おふくろが危篤になり1週間が経った。
ボクは仕事場と成田を往復する日々を送っていた。おふくろの病室に簡易ベッドを置いてもらい、ボクは寝泊まりした。
その日は土用の丑だった。
ボクは病室を抜け出して街に出た。
向かった先は「川豊」。
成田随一、いやいや日本でも一流の部類に入るうなぎの名店である。
土用丑の夜7時半。もしかすると店にはまだ行列が絶えないのだろうと予測してみたが、呆気ないほどに客はひいていた。
入口の会計で食券を購入。
瓶ビールと2000円のうな重を頼んだ。
店の奥にある座敷に通されて、ボクはキンキンに冷えたキリンラガーをグラスに注いだ。座敷から見える店の中庭が美しい。
瓶ビールにはうなぎの背骨がついてくる。この甘辛に煮た背骨がまた格別にうまい。
庭を眺めながらビールをひとしきりあおっていると、隣にボクよりも年配の夫婦が座った。
「こんなに空いているなんて。夢にも思わなかった」
奥さんが旦那にそう言った。
ボクもそう思う。
するとボクの前にお重が運ばれてきた。
それを見て、複雑な気持ちになった。
酸素マスクをつけさせられたおふくろは死線をさまよっている。ボクは、うまいものを食べてしまっていいのだろうか。
そもそもボクはおふくろに一度として、うまいものを食わせてあげたことはあっただろうか。
さっさと食べて、早く病室に戻ろう。
柔らかいうなぎに甘い薄ダレ。
ふんわりと焼かれたうなぎは、「川豊」らしい格別な蒲焼きだった。
もし、おいしさという感覚を今おふくろと共有することができたのなら。
今はそう思う。
ボクがおふくろの立場だったら、病室を抜け出しうまいものをひとりで食べに行った子どもを責めるだろうか。 それともそんな思いなど一笑に付すだろうか。
これを読んで、何故か涙が出てきましたが、温かい気持ちにもなりました。
また、大きな力をいただいたような気がします。
ありがとうございました。