浜松町駅金杉橋口すぐの玉川屋酒店の前を通りかかる。
17時ちょっと過ぎ、人気はない。
おもいっきし、入りづらい。
よし、やめた!玉川屋酒店は立ち飲みラリー山手線編までとっておこう。
そこで、神田に行くことを決めた。
何故なら、山手線編の神田はちょっと雑に攻めすぎたから。行けてない立ち飲み屋が多々あることに気が付いたのだ。
特に「伊勢」に行けてないのは、タチノミストとしてはもぐりになってしまう。
「伊勢」にチャレンジすること、2回。一度は入る勇気が持てず、素通り。そして、2ヶ月前にもチャレンジするものの、店は休業だった。
何か途轍もない忘れ物をしているような日々を過ごしてきた。今日、この日その忘れ物を取りに行ってみようではないか。
神田駅北口、徒歩10秒。
ガード下のたたずまいは、戦後のそれを連想させる歴史の重みがある。創業66年というから、昭和20年、つまり戦後すぐの創業である。
創業の地がこのガード下なのか、実は分からないし、もしそうだとしても、建物は何回かリフォームをしただろう。だが、この神田のガード下にたたずむ姿はまさに戦後の焼鳥屋のそれである。
戦後直下、有楽町に現れたガード下の焼鳥屋さん。橋本健二先生の著書「居酒屋考現学」にその写真は掲載されているが、恐らくそれと似たような風景がこの神田にも展開されたことは想像に難くない。
その歴史を今に伝えるのが「伊勢」かもしれない。
漫画「ビリーバット」にあるように、はじめはそれこそ怪しい店だったのかもしれない。だが、その怪しさは、60年以上の月日を持ってもまだ同店を同店とたらしめん要素として残っている。
店内の暗さ。
カウンターの色は木の上に黒いプラスチックのようなもをラミネートしている。
テレビなどはなく、ラジオからはくぐもったアナウンサーの野球中継。中日VS讀賣戦。
焼きとんではなく、あくまで焼き鳥にこだわったメニュー。
外観ばかりでなく、その中身もまさに頑なである。
瓶ビールはサッポロ。それを小柄な定番のコップであおる。
いい雰囲気である。
もし、創業時から変わったとすれば、それは鶏であろう。現在は地鶏を使用している。「ビリーバット」のチャーリー・イシズカではないが、「おい兄ちゃん、これなんの肉だよ」と言われた時代ももしかするとあったかもしれない。
だが、今では地鶏である。
実はわたしは一度「伊勢」の焼き鳥を食べたことがある。御徒町南口の目の前にあった店舗だ(当ブログ未掲載)。
会社の忘年会で訪れたからなのか、その時はあまりおいしいとは思わなかった。
だが、今はどうだろう。ふっくらとした焼き具合。大きな身であるにもかかわらず、中までしっかりと焼くその技術。
中でも、「ささみ」が絶品であった。貴重な肉を惜しげもなく使い、大きく串に刺した一品はわさびで頂く。
なんともまぁ、これを立ち飲みとして頂くとは、なんか失礼な気さえしてきた。
ビールを飲み終えて、さて何を飲もうか。
実は焼き鳥と日本酒ってわたし自身はミスマッチと思い敬遠してきたのだが、「伊勢」にはお酒しかない。
菊正宗である。それを冷で頂く。
本醸造だが、すっきりとしてうまい。焼き鳥の脂をほどよく流してくれる。
あぁ、いい気分だ。
焼き鳥は戦後の復興そのものであるように思う。
焼きトンではなく、あくまで焼き鳥である。こうして焼き鳥を難なく口にできる今、もう一度そのことを改めてかみしめる必要があろう。
震災の復興に向けて。焼き鳥が食べられる幸せを。
17時ちょっと過ぎ、人気はない。
おもいっきし、入りづらい。
よし、やめた!玉川屋酒店は立ち飲みラリー山手線編までとっておこう。
そこで、神田に行くことを決めた。
何故なら、山手線編の神田はちょっと雑に攻めすぎたから。行けてない立ち飲み屋が多々あることに気が付いたのだ。
特に「伊勢」に行けてないのは、タチノミストとしてはもぐりになってしまう。
「伊勢」にチャレンジすること、2回。一度は入る勇気が持てず、素通り。そして、2ヶ月前にもチャレンジするものの、店は休業だった。
何か途轍もない忘れ物をしているような日々を過ごしてきた。今日、この日その忘れ物を取りに行ってみようではないか。
神田駅北口、徒歩10秒。
ガード下のたたずまいは、戦後のそれを連想させる歴史の重みがある。創業66年というから、昭和20年、つまり戦後すぐの創業である。
創業の地がこのガード下なのか、実は分からないし、もしそうだとしても、建物は何回かリフォームをしただろう。だが、この神田のガード下にたたずむ姿はまさに戦後の焼鳥屋のそれである。
戦後直下、有楽町に現れたガード下の焼鳥屋さん。橋本健二先生の著書「居酒屋考現学」にその写真は掲載されているが、恐らくそれと似たような風景がこの神田にも展開されたことは想像に難くない。
その歴史を今に伝えるのが「伊勢」かもしれない。
漫画「ビリーバット」にあるように、はじめはそれこそ怪しい店だったのかもしれない。だが、その怪しさは、60年以上の月日を持ってもまだ同店を同店とたらしめん要素として残っている。
店内の暗さ。
カウンターの色は木の上に黒いプラスチックのようなもをラミネートしている。
テレビなどはなく、ラジオからはくぐもったアナウンサーの野球中継。中日VS讀賣戦。
焼きとんではなく、あくまで焼き鳥にこだわったメニュー。
外観ばかりでなく、その中身もまさに頑なである。
瓶ビールはサッポロ。それを小柄な定番のコップであおる。
いい雰囲気である。
もし、創業時から変わったとすれば、それは鶏であろう。現在は地鶏を使用している。「ビリーバット」のチャーリー・イシズカではないが、「おい兄ちゃん、これなんの肉だよ」と言われた時代ももしかするとあったかもしれない。
だが、今では地鶏である。
実はわたしは一度「伊勢」の焼き鳥を食べたことがある。御徒町南口の目の前にあった店舗だ(当ブログ未掲載)。
会社の忘年会で訪れたからなのか、その時はあまりおいしいとは思わなかった。
だが、今はどうだろう。ふっくらとした焼き具合。大きな身であるにもかかわらず、中までしっかりと焼くその技術。
中でも、「ささみ」が絶品であった。貴重な肉を惜しげもなく使い、大きく串に刺した一品はわさびで頂く。
なんともまぁ、これを立ち飲みとして頂くとは、なんか失礼な気さえしてきた。
ビールを飲み終えて、さて何を飲もうか。
実は焼き鳥と日本酒ってわたし自身はミスマッチと思い敬遠してきたのだが、「伊勢」にはお酒しかない。
菊正宗である。それを冷で頂く。
本醸造だが、すっきりとしてうまい。焼き鳥の脂をほどよく流してくれる。
あぁ、いい気分だ。
焼き鳥は戦後の復興そのものであるように思う。
焼きトンではなく、あくまで焼き鳥である。こうして焼き鳥を難なく口にできる今、もう一度そのことを改めてかみしめる必要があろう。
震災の復興に向けて。焼き鳥が食べられる幸せを。
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