思いがけずにH部さんから連絡が入る。どうやら、営業先でドタキャンをくらったらしい。時間が空いてしまったから「新宿で酒でもどうですか?」という。これは奇遇だ。わたしも、この日新宿で仕事する予定だった。
H部さんは、わたしと飲むときは、常々「熊猫流の酒の飲み方を教えてくださいよ」という。彼が言う「酒の飲み方」という言い方がよく分からなかったが、それに対して、わたしは「立ち飲みで隣り合った人と友達になるのが自分流」などと答えていた。
この日最初に訪問した立呑み「ひなどり」(特筆すべきこともないので、記事は省略)で、H部さんは退屈そうだった。さして、話しも盛り上がらず、我々は早々に店を出て2軒目に行くことにした。
「次はわたしのよく行く店にしましょう」と言うH部さんに連れられていった店が「日ごろ」だった。
小さなお店。7,8人も座ればいっぱいになってしまいそうな、小さなお店。
そこに聡明な雰囲気の女将さんと京都ご出身というお料理上手の女性が切り盛りする。
H部さんが座ると、女将さんは「いつものでいいですか」と尋ね、H部さんは「はい」と答えた。
何も気取らずに、自然なやりとり。それだけで、あぁいい雰囲気だなと感じる。
出てきたのが大きなお銚子。日本酒が好きなH部さんの「いつもの」は日本酒の冷やである。
「煮物がありますが」。
さりげなく、我々の話に邪魔にならない程度に女将さんが酒肴を進める。
「いただきます」とH部さん。
その煮物は抜群においしかった。薄味の出し。京都出身のH部さんがこの店に通うのもよく分かる。
女将さんは時折、話しに入りつつも、決して自分からは出てこない。その凜とした姿と奥ゆかしさに、わたしは感動すら覚えた。
だから、お店の雰囲気も締まっている感じがする。落ち着いているというより、引き締まっていると言った方が相応しい。
藤子・F・不二雄 のSF短編「やすらぎの館」を思い出す。その不思議な包容力がなんとなく似ている。
「やすらぎの館」のお母さんに、「日ごろ」の女将が重なって見える。
居酒屋というものは何だろう。
うまい酒とうまい酒肴だけが居酒屋の目的ではない。そこに人が介在するから楽しいのだ。
これが、H部流の飲み方なのだろう。
日本酒をちびりと飲りながら、女将さんや周囲のお客さんとの話に花を咲かせる。その贅沢な時間を求めて、H部さんは酒場を訪れる。おおいなる癒しを求めて。
ある意味、贅沢だなと思う。
それを前提にすると、コスパなどという考えは無意味だ。そして、そこに居酒屋の価値を求めているのであれば、なんと不毛なことだろう。
居酒屋の愉しみは人との出会いと話しなのだ。
カウンターに「誕生日大辞典」が置いてある。
おもむろに手にとって、読んでみる。これも女将の趣味なのだろうか。
新宿の渇いた街に一筋の光。
その光はほんわかとして温かみに溢れた光。まるでその陽だまりの中に包まれているみたい。
「日ごろ」はそんなお店である。
H部さんの飲み方は、その後のわたしに大きな影響を与えた。
「日ごろ」以降、わたしの居酒屋観と飲み方は確実に変わっていったと思う。
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