娘の受験が終わり、晴れて一か月半ぶりに「宗屋」へ。
51日ぶりの訪問なのに。いや、そもそもごたまにしか訪問しないのに。マスターはしっかりと自分を覚えてくれている。自分がカウンターにポジションしたのを見計らって、「梅割り」の準備をしてくれるのだ。もうそれだけで、わざわざ電車賃を払ってでも、「宗屋」に来たかいがあるというもの。お店を贔屓にする条件て、人それぞれあると思うのだけれど、自分を認知してくれるというのが大きい要素かなと思う。何度も行ってるのに、全く覚えてくれない店とかももちろんあるし、それはそれで仕方ないんだけれど。でも、自分のことを覚えてくれているとそれはやっぱり嬉しい。
「梅割り」を注いでくれている時、マスターが「レバ刺し、いきますか」と静かにきいてきた。その気遣いもまた嬉しい。自分の黄金パターンをすっかりと把握してくれている。嬉しぎる。
2回目の緊急事態宣言後、初めての訪問。時刻は16時20分。カウンターは満員だが、複数人利用の立ちテーブルは客がいない。終業までまだ時間がある。17時を過ぎたら、いつも通りの入りになるのだろうか。
「レバ刺し」、抜群の旨さ。これだけで、もう充分。マスターの対応と「レバ刺し」、そして「梅割り」だけで、もう目的のほとんどを達成したといってもいい。
マスターとはほとんど話したことがない。いつも目の前にいて話しかけようと思えば、話しかけられるのだが。自分の中では一線を超えないようにしているつもりである。この距離感がちょうどいい。寡黙に飲む。ある意味、禅。今ここにある旨さをしんとした心でいただく。それが、「宗屋」の空気に相応しい。命あるものを食べながら、禅と語るなと矛盾しているが、「成道のための故に、今この食を受く」。「宗屋」には、そんな空気がある。
いつも、「梅割り」を3杯でやめるが、もしかすると4杯いったかも。かもというのはあまり覚えていないから。お会計は2,700円。いつもより使ったような気がする。まぁいいさ。久しぶりの訪問だから。いつもおいしくいただいているから。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます