ルアンパバンは落ち着いた古都だった。
早朝の托鉢。
これががこの町のクライマックスだったといっていい。
托鉢とは信者の家々を回り、施しを頂く修行は毎朝行われ、鮮やかなオレンジ色の袈裟をまとって続く坊さんの行列はまさに息をのむ光景だった。
一体、わたしはどこに迷い込んでしまったのか、と思えるほど、それは不思議な行進だった。彼らの真摯な姿はどこかピリピリとしており、少しでもその動きを乱すようなことをしてしまえば、たちまちわたしは見えない何かにさらわれてしまうような静粛さがあった。
その息をのむ光景をみた後、わたしは何かぐったりとしてしまい、船着場近くのカフェで練乳入りのコーヒーとパンで朝食をとった。
そして、散歩に出かけるのだが、ものの10分で町を一周してしまうために、滞在から2日目にはもう何もすることもなくなってしまった。
そこで、町の中央にある市場に出かけるのだが、この市場がまた面白かった。
市場の大きさはたいして広くもないのだが、木造の建物の中はまるで迷路のように入り組んでおり、ひとたび入れば必ず迷子になった。
市場の中は食物や日用品などがそろっており、その中には一体何に使うのか分からないものも多く、見ているだけで飽きることはなかった。
ラオスの人々、ルアンパバンの人々は商魂に長けているとは言いがたく、わたしが近づいても何かを売りつけるような姿勢を見せなかった。
しかし、その代わり、わたしに話しかけることもなく、それはそれで少しつまらなくも思えた。
夜になるとこの市場の周囲に屋台が出た。
屋台といっても、バンコクのようにそこで食べられるようなものではなく、小売のみの屋台であった。
食べ物はあまり種類がなく、わたしはだいたい鶏肉を焼いた串とご飯を買って、晩御飯は宿で済ませた。
食べ物に関して言えば、ラオスは少し物足りなかった。
バンコクや香港と違って外食文化ではないのだろう。
食べ物屋もそれほど多くはなかった。
市場には色とりどりの衣装をまとった少数民族が商売をしていた。
とりわけ、ピンクの衣装が眩しい少数民族が広い面積で店を出していた。
到着して3日目の朝、わたしは、いつものとおり市場を散歩し、なにげなしに少数民族の店の前を歩いていると、透明の袋が陳列されているのが見えた。
おや?と覗き込むと、それはやはりガンジャだった。
ヴェトナム、タイとほとんど見ることのなかったガンジャだったが、ここでは堂々と売られている。
「いくらか」と尋ねると2ドルと店番の少女は答えた。
それはそれは見事なガンジャだった。
※当コーナーは、親愛なる友人、ふらいんぐふりーまん師と同時進行形式で書き綴っています。並行して語られる物語として鬼飛(おにとび)ブログと合わせて読むと2度おいしいです。
早朝の托鉢。
これががこの町のクライマックスだったといっていい。
托鉢とは信者の家々を回り、施しを頂く修行は毎朝行われ、鮮やかなオレンジ色の袈裟をまとって続く坊さんの行列はまさに息をのむ光景だった。
一体、わたしはどこに迷い込んでしまったのか、と思えるほど、それは不思議な行進だった。彼らの真摯な姿はどこかピリピリとしており、少しでもその動きを乱すようなことをしてしまえば、たちまちわたしは見えない何かにさらわれてしまうような静粛さがあった。
その息をのむ光景をみた後、わたしは何かぐったりとしてしまい、船着場近くのカフェで練乳入りのコーヒーとパンで朝食をとった。
そして、散歩に出かけるのだが、ものの10分で町を一周してしまうために、滞在から2日目にはもう何もすることもなくなってしまった。
そこで、町の中央にある市場に出かけるのだが、この市場がまた面白かった。
市場の大きさはたいして広くもないのだが、木造の建物の中はまるで迷路のように入り組んでおり、ひとたび入れば必ず迷子になった。
市場の中は食物や日用品などがそろっており、その中には一体何に使うのか分からないものも多く、見ているだけで飽きることはなかった。
ラオスの人々、ルアンパバンの人々は商魂に長けているとは言いがたく、わたしが近づいても何かを売りつけるような姿勢を見せなかった。
しかし、その代わり、わたしに話しかけることもなく、それはそれで少しつまらなくも思えた。
夜になるとこの市場の周囲に屋台が出た。
屋台といっても、バンコクのようにそこで食べられるようなものではなく、小売のみの屋台であった。
食べ物はあまり種類がなく、わたしはだいたい鶏肉を焼いた串とご飯を買って、晩御飯は宿で済ませた。
食べ物に関して言えば、ラオスは少し物足りなかった。
バンコクや香港と違って外食文化ではないのだろう。
食べ物屋もそれほど多くはなかった。
市場には色とりどりの衣装をまとった少数民族が商売をしていた。
とりわけ、ピンクの衣装が眩しい少数民族が広い面積で店を出していた。
到着して3日目の朝、わたしは、いつものとおり市場を散歩し、なにげなしに少数民族の店の前を歩いていると、透明の袋が陳列されているのが見えた。
おや?と覗き込むと、それはやはりガンジャだった。
ヴェトナム、タイとほとんど見ることのなかったガンジャだったが、ここでは堂々と売られている。
「いくらか」と尋ねると2ドルと店番の少女は答えた。
それはそれは見事なガンジャだった。
※当コーナーは、親愛なる友人、ふらいんぐふりーまん師と同時進行形式で書き綴っています。並行して語られる物語として鬼飛(おにとび)ブログと合わせて読むと2度おいしいです。
ガンジャが登場したな。
さて、師がどんな風に酩酊するか、ちょっと楽しみだな。