親父の死後、不思議なことが幾つか起きた。
ひとつは既述したが、初盆の墓参りの帰り、なんとなく思いたって、徒歩1時間、かつて自宅があった場所を訪ねた。売却から28年。親父自慢の家だったけど親父とお袋が揃って、その後の家を見に行きたかったのだろうと、ボクは思った。けれど、これはたいして不思議ではない。親父を喜ばそうと、自分の意思で出かけたと考えるほうが、合理的だ。親父とお袋が導いたというのは、後付けの理由だったのかもしれない。
もうひとつは、菩提寺から旅行に誘われた件である。菩提寺では時折、檀家を誘って旅行に行くのだという。初めてのことなので戸惑ったし、檀家の総代も参加されるというので、自分のような若造が参加しても楽しめないのではないかと逡巡した。けれど、日程を聞いて「おや?」と思った。
旅程の日は、親父の誕生日だったからである。
旅行に参加を決めたのには、もうひとつ理由があった。行き先が、霊場恐山。我が家の本家は、恐山のあるむつ市にあった。きっと、何かのご縁だろう。そう思って、ボクは参加を決めた。
恐山に行くのは、初めてのことではなかった。11歳の頃、親戚と出かけたことがあった。実に34年ぶり。そのときは、日帰りで親戚の家に泊まったが、今回は宿坊に宿泊となった。
恐山に行ったことがある人は分かるはずだが、山は、強烈な硫黄の匂いで充満している。それが、霊場たる所以なのだが、場内は天然温泉が出ている。その数4つ。
恐山の境内に3つの小屋があり、そこが浴場となっている。ボクは、てっきり宿坊の内湯も含めて、4つと思っていたが、そうではなかった。宿坊の裏手に、もうひとつの小屋があり、そこが4つ目の浴場らしい。けれど、それを知ったのは、後のことである。
ともあれ、ボクは夜、宿坊を出て、境内に入り、「薬師の湯」を目指した。この湯が、男湯なのである。境内にある、他の二つの湯のうち、ひとつは時間による男女入れ替え制、そしてもうひとつが女湯だ。入れ替え制の「冷抜の湯」に行ってみると、「女」と表示されていた。そこで、ボクは「薬師の湯」に入ることにした。
浴場は、掘っ立て小屋である。
扉を開けると、人は誰もおらず、ボクだけの貸し切りだった。
浴槽は中央に縦置き。しかも浴場と浴槽はほぼフルフラットだった。浴槽。湯は白く濁っており、かなり濃いお湯であることがうかがえた。そういえば、恐山の入場料を支払った際にもらったしおりには、温泉に長い時間入っていると、湯あたりすると書いてあったっけ。
Wikipediaによると宇曽利山湖河口のphは3から4、とあるブロガーさんが測った「薬師の湯」のphは2.1。かなり強い酸性である。
入ってみると、湯の力強さが伝わってくる。湯温は43℃くらいで、適温。とても気持ちがいい。裸電球の薄暗い浴場は雰囲気も抜群だ。
子どもの頃、水曜スペシャルかなんかの幽霊特集で、霊場恐山にカメラを設置し、怪奇現象を撮影するというものがあった。あちこちに設けたカメラのうち、ひとつだけ不思議な影が撮影された。そのシーンは、温泉の小屋だった。もしかすると、あの小屋は、この「薬師の湯」だったのかもしれない。当時は、「あ、幽霊だ」と思った、その影も、今となっては、あれは単なる湯けむりだったのだと思う。
あまりにも気持ちがよかったが、15分程度であがり、小屋を出た。
頭上を見上げると、満点の星が輝いていた。
「人は死ねばお山さ行ぐ」。
下北地方では、昔から、こういうことが言い伝えられてきた。お山とは、恐山のことである。
親父が恐山を訪れたことがあるかは知らない。もしかすると、親父は、恐山を見たかったのかもしれない。
ボクは、そう思った。
翌朝、早く起きて、もう一度「薬師の湯」に浸かった。朝の自然光で、お湯は緑色に見えた。とても気持ちがいい。
そして、我々一行は恐山を後にした。
次の目的地は、盛岡だったが、途中三沢を経由した。ガイドの役割をした男性が、「あの向こうに見えるのが、三沢基地です」と言った。
そうか、親父は三沢基地を見たかったのか。かつての職場であり、お袋と出会った場所。
その日は、親父の誕生日。なんという偶然なのだろう。
東北地方、素晴らしい温泉が数多くあるようだが、この温泉も、とてもいい感じだね。
あと、不思議だと思う事が起こったり、虫の知らせとかがあったりというのは、俺はそれだけ、自分が長く生き、多くの経験をしたことで、結びつける事柄が多くなったからなんじゃないかと思ってるよ。
でも、そういうことを考え、結びつけたりして、強く故人を偲ぶということも、またとても大切なことだと思う。
素晴らしい旅だったな、師よ。
地の果てだよ。
山に登ると、足下の下を水が流れているところが幾つかあるのが分かる。
多分、温泉だと思う。
すごいところだよ。