やったね!ノムケン!
2000本安打達成、ホントにおめでとうございます。
山本浩二監督、衣笠祥雄氏の2000本安打の瞬間、それぞれラジオで聴いていたけれど、このたびの野村さんの記録達成をテレビで目の当たりにして、こんなに涙が出るなんて・・・・・。
しかし、ヤクルト川島投手の球、ド真ん中だったぞ。実は古田敦也捕手、けっこう甘い球を要求していたりして・・・・・。
何故、こんなに涙が出るのだろう。
それは多分あなたがこの16年間常にひたむきにプレーしていたからだと思います。
佐々岡真司投手はこう言っています。
「ボクの中で野村選手はヘッドスライディングのイメージ」と。
あの、一塁へのヘッドスライディングでどれだけ、ナインを鼓舞してきたか。どれだけ、ナインや選手に勇気を与えてきたか。
あなたのヘッドスライディングが内野安打となり、その後打ちあぐねていた投手を攻略した試合を何度見てきたことか。
こんなシーンを思い出します。
甲子園球場での阪神戦。あなたが打った打球は詰まったショートゴロ。一塁を駆け抜けたとき、送球はショートバウンドとなり、一塁手(誰か忘れたけど外国人選手だったと思う)が前へ落としました。判定はもちろんセーフ。しかし、その後、とった行動は今まで後にも先にも、それが初めてです。
一塁手が落としたボールは僅か30~40cm程度転がっただけなのに、あなたは一塁へ帰塁するふりをして一転、二塁に走り、ヘッドスライディングで進塁に成功しました。
アウトになれば暴走。セーフなら好走塁。あなたはいつもそのギリギリのところを常に走っていた気がします。
わたしが一番心に残っているシーンは、確か95年の夏の広島市民球場。対ヤクルト戦。首位スワローズと迎えた首位攻防。その日、スワローズが試合の主導権を握り、カープが追いすがると、再びヤクルトが突き放すという展開でした。8回裏に何点かを返し、1点差としながらも、9回表に再び得点されその差は2点差。しかし、9回表にドラマが待っていました。しかし、ここでラジオ中継が終了してしまいます。
わたしは何か分からない胸騒ぎのようなものを感じ、不思議と負ける気がしなかったように思います。まだ、インターネットなどがなかった時代。他の野球中継にダイヤルを合わせ、各地の途中経過に耳を澄ましていると、なんとあなたのサヨナラ本塁打が飛び出したという報。ランナー2人を置いてスワローズのストッパー高津臣吾投手のシンカーを捉え、右翼席中断への本塁打が出たといいます。7x-6のつり銭なし。
その日のスポーツニュースを録画し、何度も何度も繰り返し、見たのを覚えています。
昨年、奥田民夫氏が広島市民球場でライブを行った前後、カープ戦のテレビゲストに呼ばれた奥田氏は最も心に残る試合として、このシーンを挙げていました。
打球が右翼席に吸い込まれた瞬間、一塁ベース上でくるりと一塁ベンチに向かって右手を天に掲げた、その姿を今でも忘れません。
先日、Yahoo!の掲示板を眺めていたとき、カープの歴代選手ベストオーダーなるもスレッドがたっていました。
二人の御仁がベストオーダーとしてあげていたのはいずれも1番遊撃手、高橋慶彦選手でした。確かにカープの黄金期を支えた名選手で、わたし自身も好きな選手のひとりでしたが、わたしは迷うことなく、1番遊撃手はあなた野村謙二郎を指名します。
息子さんが生まれたあの年、ヘルメットの脇に「颯一朗」というステッカーを貼り、最も輝きをみせた95年のシーズン。打率.315、本塁打32本、盗塁30個。トリプルスリーを記録したこの年はカープ史上最強、いや12球団屈指のトップバッターでした。
これからも1日も長くグラウンドに立ち、カープの闘志を若い選手に伝えていってください。
これからも心から応援しております。
2000本安打達成、ホントにおめでとうございます。
山本浩二監督、衣笠祥雄氏の2000本安打の瞬間、それぞれラジオで聴いていたけれど、このたびの野村さんの記録達成をテレビで目の当たりにして、こんなに涙が出るなんて・・・・・。
しかし、ヤクルト川島投手の球、ド真ん中だったぞ。実は古田敦也捕手、けっこう甘い球を要求していたりして・・・・・。
何故、こんなに涙が出るのだろう。
それは多分あなたがこの16年間常にひたむきにプレーしていたからだと思います。
佐々岡真司投手はこう言っています。
「ボクの中で野村選手はヘッドスライディングのイメージ」と。
あの、一塁へのヘッドスライディングでどれだけ、ナインを鼓舞してきたか。どれだけ、ナインや選手に勇気を与えてきたか。
あなたのヘッドスライディングが内野安打となり、その後打ちあぐねていた投手を攻略した試合を何度見てきたことか。
こんなシーンを思い出します。
甲子園球場での阪神戦。あなたが打った打球は詰まったショートゴロ。一塁を駆け抜けたとき、送球はショートバウンドとなり、一塁手(誰か忘れたけど外国人選手だったと思う)が前へ落としました。判定はもちろんセーフ。しかし、その後、とった行動は今まで後にも先にも、それが初めてです。
一塁手が落としたボールは僅か30~40cm程度転がっただけなのに、あなたは一塁へ帰塁するふりをして一転、二塁に走り、ヘッドスライディングで進塁に成功しました。
アウトになれば暴走。セーフなら好走塁。あなたはいつもそのギリギリのところを常に走っていた気がします。
わたしが一番心に残っているシーンは、確か95年の夏の広島市民球場。対ヤクルト戦。首位スワローズと迎えた首位攻防。その日、スワローズが試合の主導権を握り、カープが追いすがると、再びヤクルトが突き放すという展開でした。8回裏に何点かを返し、1点差としながらも、9回表に再び得点されその差は2点差。しかし、9回表にドラマが待っていました。しかし、ここでラジオ中継が終了してしまいます。
わたしは何か分からない胸騒ぎのようなものを感じ、不思議と負ける気がしなかったように思います。まだ、インターネットなどがなかった時代。他の野球中継にダイヤルを合わせ、各地の途中経過に耳を澄ましていると、なんとあなたのサヨナラ本塁打が飛び出したという報。ランナー2人を置いてスワローズのストッパー高津臣吾投手のシンカーを捉え、右翼席中断への本塁打が出たといいます。7x-6のつり銭なし。
その日のスポーツニュースを録画し、何度も何度も繰り返し、見たのを覚えています。
昨年、奥田民夫氏が広島市民球場でライブを行った前後、カープ戦のテレビゲストに呼ばれた奥田氏は最も心に残る試合として、このシーンを挙げていました。
打球が右翼席に吸い込まれた瞬間、一塁ベース上でくるりと一塁ベンチに向かって右手を天に掲げた、その姿を今でも忘れません。
先日、Yahoo!の掲示板を眺めていたとき、カープの歴代選手ベストオーダーなるもスレッドがたっていました。
二人の御仁がベストオーダーとしてあげていたのはいずれも1番遊撃手、高橋慶彦選手でした。確かにカープの黄金期を支えた名選手で、わたし自身も好きな選手のひとりでしたが、わたしは迷うことなく、1番遊撃手はあなた野村謙二郎を指名します。
息子さんが生まれたあの年、ヘルメットの脇に「颯一朗」というステッカーを貼り、最も輝きをみせた95年のシーズン。打率.315、本塁打32本、盗塁30個。トリプルスリーを記録したこの年はカープ史上最強、いや12球団屈指のトップバッターでした。
これからも1日も長くグラウンドに立ち、カープの闘志を若い選手に伝えていってください。
これからも心から応援しております。
でも、2000本目は希望通りの勝ちゲーム。それも真っ赤に染まった本拠地広島球場。
相手は、初ヒットを打ったヤクルト。古田に2000本祝福の花束を渡した野村が、今度は古田から受け取る。古田もヤクルト戦で決めて欲しかった思います。同じソウル五輪組ですしね。
心からおめでとうと言いたい。プロ野球ニュースを見ながら涙しました。
清原の500号のとき、1塁ベース近くに「おめでとう」と書いたノムケン。やっぱり、あんたはスゴイよ。