時間を潰したくて、以前よく通った喫茶店に行ってみると、きれいに閉店していた。つい2週間前はまだ営業していた記憶があるのに。
仕方なく、近隣の喫茶店を探して、発見したのが「cafetas」(カフェタス)である。
港区芝、第一京浜沿い。浜松町と田町のちょうど中間である。
青い扉が印象的なカフェ。サードウェーブを意識した、いまどきのカフェといった趣である。
古木でこしらえたテーブルが店の奥の空間にでーんと居座り、コンセントが付いている。いわゆる電源カフェ。そんでもって、wifiが設備されているのだから、ノマドを意識した第三の波系cafeといえる。
だが、サードウェーブにばかり気をとられていては、同店の本質を見失ってしまうかもしれない。
それが、コップに書かれた「The Third Place」である。都市社会学でいうところの「第三空間」という意味だろう。
すなわち、それはレイ・オールデンバーグが著書で訴えるところの家庭と職場の中間に位置する第三の場なのである。
近年、米国で言われるところの「The Third Place」は最新のデバイスを片手に、電源とwifiを駆使する都市型生活者のための場とする喫茶店であり、「cafetas」もその流れをおおいに意識したコンセプトを掲げている。
ボクの場合、喫茶店に求める第一のプライオリティは安らぎである。このニーズを具現化させることはそれほど容易いことではない。店舗の規模、店員やオーナーの気配り。店舗の雰囲気、そして五感で感じるありとあらゆる工夫である。
これは狙ってできるものではない。何故ならば、お客とお店側との相互的作用がその要素を大きく左右するからだ。
そもそも、家庭と職場の中間としての場に相応しい空間てなんだろうか。
仕事でもなく、家庭でもない。
あえて、言葉に当てはめるならば、地域やローカル性かもしれない。
米国でいうところの都市型生活者、或いはノマドは、東京においてさえ、あまりピンとこない。
何故ならば、日本人はすでに日常的に「The Third Place」をもっている。それはマイク・モラスキーか指摘するように、居酒屋である。
しかし、だからといって、喫茶店における「The Third Place」としての機能を否定するわけではない。喫茶店は、元来そういう機能を果たしてきた。
しかしながら、「カフェタス」にそれは求められないと率直に思う。
例えば、壁にかけられたモニタからは、どこぞのファッションショーを放映し、おおいにシャレオツを装っているのだが、ボクにはそれが、見せかけだけの演出にしか感じられず、どうも気持ちは落ち着かない。
そもそも、地域としての発信がない。
とは言うものの、まだ同店はオープンしたばかりのようだ。今後に期待をしたい。
ボクが頼んだドリンクは「玄米コーヒー」。
厳密に言うと、これはコーヒーではない。玄米の薄皮を焙煎して、コーヒーに模したドリンクである。
玄米と焙煎の薫りが香ばしさを提供してくれる。
だが、肝心のコーヒーをついつい飲み損ねてしまった。
次回はコーヒーを絶対にいただこう。
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