今年の秋は暖かい。
炬燵好きのわたしが、未だに炬燵を出していない。
例年だったら、10月の下旬には既に足を突っ込んでいる状態。
今日も日中に庭に出て、休みの夫と庭の手入れをしていたら汗ばむほどだった。
ガレージには父が捨てないでとっておいた、空き箱やどうみてもガラクタ、犬の要らなくなった道具がワンサカ溜まっていた。
若い頃の父は、なんでもかんでも捨ててしまう人だった。
学校のお知らせのプリントをその辺に置きっぱなしにすると、父は目を通さないで捨ててしまう。
小学生のわたしは、泣く泣く懐中電灯を点けて裏のゴミ箱にさがしに行く。
今ではそんな若いときの事が嘘のように、父は捨てないで溜め込んでいる。
それが年をとるということなのだろうか。
そう言いながらも、わたしにも捨てられない物が多すぎるのだ。
人生だって、思い切って捨てられたらどんなにスッキリするだろうと思えることも多い。
シンプルライフに憧れているけれど、結局捨てられなく溜め込む一方。
思いっきりの悪さが、何とも生活をしにくくしている。
炬燵好きのわたしが、未だに炬燵を出していない。
例年だったら、10月の下旬には既に足を突っ込んでいる状態。
今日も日中に庭に出て、休みの夫と庭の手入れをしていたら汗ばむほどだった。
ガレージには父が捨てないでとっておいた、空き箱やどうみてもガラクタ、犬の要らなくなった道具がワンサカ溜まっていた。
若い頃の父は、なんでもかんでも捨ててしまう人だった。
学校のお知らせのプリントをその辺に置きっぱなしにすると、父は目を通さないで捨ててしまう。
小学生のわたしは、泣く泣く懐中電灯を点けて裏のゴミ箱にさがしに行く。
今ではそんな若いときの事が嘘のように、父は捨てないで溜め込んでいる。
それが年をとるということなのだろうか。
そう言いながらも、わたしにも捨てられない物が多すぎるのだ。
人生だって、思い切って捨てられたらどんなにスッキリするだろうと思えることも多い。
シンプルライフに憧れているけれど、結局捨てられなく溜め込む一方。
思いっきりの悪さが、何とも生活をしにくくしている。