「今度の芥川賞も私の前を素通りするようなら
私は再び五里霧中にさまよはなければなりません…」
太宰治が、芥川賞を逃した翌年、当時の審査員だった佐藤春夫に宛てた新たな泣訴状が見つかったというニュース…
なんだか切ないです。(T . T)
候補に挙がりながら取れなかったことの悔しさは、
太宰治の「創世記」の中にも芥川賞楽屋噺として描かれています。
(カタカナが読みにくくてイライラしますが…)
第一回の芥川賞候補になった「逆行」は、
太宰そのもの?と思しき4つの短編が描かれていますが、
これだけの作品でありながら
なぜ、芥川賞が取れなかったのでしょう…。
その理由を調べてみると、あぁ…やはり。
この時の受賞作は
石川達三の「蒼氓」だったのですね!
「逆行」が23枚
「蒼氓」が141枚
小説の長さそのもので決まるわけではないでしょうけれど、
「蒼氓」は、ブラジル移住をテーマにした読み応えがある作品、
それに対し「逆行」は、やや私小説のような印象…。(~_~;)
この時の審査員の評価を記したWebサイトを見つけました。
http://homepage1.nifty.com/naokiaward/akutagawa/senpyo/senpyo1.htm
そこにある選評を読んでみると…
佐藤春夫センセイは、最初のうち太宰治の才能を買っていたらしく「逆行」より「道化の華」の方がよかったとも…
川端康成センセイは、作品に対しては、そこそこの評価をしているけれど、当時の太宰治の私生活を問題視していたようなコメント…
当時の太宰に関しては、“クスリ”を買うために芥川賞の賞金が欲しかったという説もありますものね。
審査員のコメントには「真面目であるか否か」等々、小説のスタイルや姿勢を評価する声も出ていたようです。
でも、もし芥川賞が取れていれば、どうだったでしょうか。
あの名作「人間失格」は生まれなかったかもしれないけれど、
「小説を書くのがイヤになったから死ぬ」という遺書を残して玉川上水に飛び込んだ
世間を騒がせた愛人との心中も、もしかしたらなかったのではないかしら…
そう思ってみたりするのは、
私が、やはり凡人だからでしょう…。
(~_~;)