声の仕事とスローライフ

ただ今、仕事と趣味との半スローライフ実践中。遠方の知人友人への近況報告と、忘れっぽい自分のためのWeb忘備録です。

フランス一人旅~マダムMを訪ねて(21)

2016-01-09 11:50:44 | 旅の楽しみ
『帰国の途』

1月11日(日本時間12日)

AM6時起床。

ホテルのレストランでマダム一家と朝食。

カフェ・オー・レはミルクとコーヒーとが別々のポットに入って出てくるのだが、それを自分でカップに入れて好きな割合で飲めるスタイルが気に入った。
是非日本に帰ってからやってみたい。

荷物をまとめ、8時にチェックアウト。

112ユーロ・・・ムッシュの会社で部屋をとってもらったお陰で、三ツ星なのに思ったよりも安くてビックリ。



支払いを済ませた頃、マダム一家がロビーに下りて来た。
マダムたちは荷物をそのままホテルの部屋に置いたまま、私を見送った後、パリ観光。
(いいなぁ・・私も一緒にもう一泊したい)

ホテルのすぐそばにあるパリ・リヨン駅からメトロに乗りシャトレで乗り換えRER(パリ高速鉄道)でド・ゴール空港へ・・。

今回はなんと言っても、寒い最中だったのでメトロで演奏しているストリート・ミュージシャンたちに会えなかったのが残念。

ストリートとはいっても、
パリの地下鉄のミュージシャンたちはレベルが高いので有名らしいのだ。
さすがに、この寒さでは彼らにも堪えるのだろう…。


地下鉄の通路にはたくさんのポスターが張ってるが、どのポスターもフランス的なデザインが美しい。
『ハリー・ポッター』や『天空の城ラピュタ』の映画ポスターもあった。

RERの中では、妙な若者がうろうろしていた。
座席の空いているところに来ては何かチラシのようなものを置いていく。
そして、乗客に話し掛けてはコインをもらっているようだ。
私とマダムが座っているところまで来ると、
マダムに何やら話し掛けたが、マダムが素っ気無く
「Non!」というとすぐに去って行った。

訊くと、勝手にチラシを置いていっては、それを読んだ人にコインをせびるのだという。

パリの電車の中には、押し売りのようなことを平気でする若者も多いのだとか・・・。

もう一度、彼の姿を探すと後ろの方に座っていた日本人の若い女の子2人組みと話していた。

そういえば、さっきバック・パッカ-の格好で妙な毛糸帽をかぶり、だらしないスタイルの女子大生風の2人組みを見かけたが、

あまりのヒドさに「日本の女の子は、みんなああいう子ばかりだ、と思われたら嫌だよね・・」
とマダムと話たばかり。

ガムをクチャクチャしながら、派手なメイクに茶髪、ダボダボのズボンに古着風のブルゾン
渋谷辺りにいれば違和感はないが、パリでは完全に浮いている。
パリの若い女の子が皆、美しく見えるのは仕草がチャーミングであることに加え、ファッションセンスもいいのだ。

パリを訪れる若い女の子は、その辺りを学んで欲しい。
(・・と、また小言になってしまった。)
その彼女たち、どうやらあの妙な若者につかまってしまったらしい。
お金目当てだとも知らずに・・し~らないっ!

教訓その??・・・パリの電車内でウロウロしている若者がチラシを座席に置いていったら無視しよう。うっかり読んだらお金を払わなければならないかも・・。
断るなら「Non!」とはっきり言う事。

シャトレ駅を出て約30分でド・ゴール空港到着。
ここで、また空港バスに乗り換えてターミナル2へ。



9時20分に、空港カウンターにチェックインのため、いったんマダム一家と別れてアエロフロートのカウンターに向かう。

パリに着いた時は荷物も調べられなかったが、ここはまずカウンターに入る前にチェックが
あって、各航空会社のカウンターの入り口付近には警官が立っていて中に入って行くだけでチェックされるという厳しさ。

アエロフロートはマイナーな航空会社なので、
ここでもエール・フランスのカウンターで時間が来ると看板を付け替えて代行していた。
すでにかなりの人数が並んでいたお陰で、待つこと30分・・・もしかしてこのままマダム一家とお別れ、なんてことになるのでは?と心配になってくるほどスローペースだ。
マックでお茶しようって約束したのに・・・。

ようやく私の番がまわってきた。

待った割には「自分で荷造りしましたか?」と一言訊かれただけ・・・。

バッゲージを預け、チェックインを済ませると、一目散にExitへ。

短い迷路のような通路を走って抜けると、出口にマダムが立っていた。
「ああ~、よかった。もう逢えないかと思ったよ」
「今、係りの人に訊いたらココから出てくるって教えてくれたのよ。タッタッタッタッて足音が聞こえたからユミだと思ったら、やっぱりそうだった。」

・・・私の自衛官時代からのカカトをつけて走る癖をマダムは覚えていた。

マダム一家と出発前の30分を空港内のマックで過ごす。
窓から見える空港の敷地には、所々まだ雪が残っていた。

 「次に逢う時は日本だね!」

マダム一家に別れを告げて、再びゲートへ向かう。



出国審査は、成田に比べると相当チェックが厳しいらしい。
一人一人、最初から上着を脱がされて検査している、思った以上にここでも時間がかかっている。
少し早く飛び立つ別の便に乗り遅れそうな乗客については、順番を繰り上げてやっているらしく相変わらず前に進むのが遅い。

待っている間、ガラスの向こうで手荷物検査の係員がモニターを観ながらチェックしている…

その様子がこちらからも見える。

バッグの中身が透き通って、次から次に流れてくる荷物の中身を映しているのだが、
まるでイラストを見ているようだ。

それらを険しい顔で観ているのかと思うと、けっこう和やかに隣の係員と談笑したりしている。
(オイオイ、頼むよぉ。ちゃんとチェックしてよぉ!もし、武器を持ち込まれたらどうするんだい。)


予定通り11時45分に搭乗。

でも、チェックに時間がかかったせいか離陸したのは12時35分だった。

モスクワまでは5時間、
成田まではそれから10時間だ。

成田到着は現地時間12日11時前の予定だが、この調子だと恐らくまた遅れるだろう。

モスクワでのトランジットは、時間が遅れて到着したため約30分。空港のロビーで待っただけ。

ここでもパリの友達を訪ねて一人旅をしてきたという30歳くらいのOL風の女性と雑談。
相当買い物をしてきたらしく、手荷物を両手にいっぱい抱えていた。

思えば、私は買い物らしい買い物をしていないよなぁ・・。

もともと、ブランド物にはそれほど興味がない。
わざわざ航空運賃使って、パリに行ってまでヴィトンを買う人の気持ちが理解できないのだ。

モスクワからは、端正な顔つきのロシア人の青年と隣り合わせになった。
青年というよりも少年といったほうが似合っている気がしないでもない。
日本に留学でもするのだろうか・・。

ほとんど無表情だが親切な子で、私が寝ていると起こしてくれて機内サービスのトレーを出してくれたり、二度目の機内サービスの時など

「ボクは飲み物はいらないが
アナタはどうしますか?」

などと、気遣ってくれるのだ。
子供っぽい顔に似合わない低い声だ、もしかして大人ぶっているのかもしれない。

その彼が、途中から急に様子がおかしくなった。

どうやら体調が悪いらしい。

エコノミー症候群にでもなったのだろうか、
座席の前に頭をつけてじっとしていたかと思うと、立ち上がってトイレの方へ行って30分以上も帰ってこない。

しばらくして帰ってきたかと思うと、ぐったりした様子で体を横にして寝ている。

大丈夫だろうか・・・。

機内食は全部平らげていたようだし、お腹の調子が悪いのでもなさそうだ。

長男とそう変わらない年に見えるが、日本についてから誰か迎えに来ているのだろうか・・
など色々心配になってくる。


12日午前11時、成田に到着。

早めに支度するために座席から立ち上がった彼に「大丈夫?」と訊くと

「アリガトウ・・」と日本語で答えた。

どうやら、大丈夫らしい・・・一安心。

1月12日の成田は、とても暖かく感じた。

飛行機が遅れたので、次の前橋行きのアザレア号は2時間待ちだ。

到着ロビーのソファに座ったとたん、猛烈な眠気が襲ってきた。

時差ぼけ、によるものらしい・・意識が朦朧としている。
なんて気持ちがいいんだろう。

そのまま荷物に寄りかかって爆睡してしまった。

小一時間は寝ただろうか、目が覚めたら、なんだか悲しくなった。
ああ、ここは日本なんだ・・。

そして、バスを待つ時間改めて色々なことを考えた。

いい思い出ばかりの旅だった。
行く先々で知り合った人は、良い人ばかりだった。飛行機の中でも、空港でも、TGVでも・・・。

トラブルがつきものといわれている海外単独旅行・・・運が見方してくれたのだと思う。

色々な人に助けられて今回の目的であるマダムMに逢いに行くことができた。

そして、とても大切なことがわかった

私は周りの友人たちから、持ち前の度胸の良さでアヴィニョンまでの一人旅をしてきたように
思われているが、実はそうではない。

『人間、やはり一人では生きていけないんだ』

肌の色は違うけれど、色々な人たちに助けられて無事、アヴィニョン到着できたのだ。

そのことを忘れてはいけない。
ロシア人もフランス人も、みんな親切だった。

このことに先ず感謝するべきであろう。

そして何より、このチャンスを与えてくれたマダムM、私のために会社を1週間も休んで案内してくれたムッシュI、遊んでくれたコリーに、心からお礼を言いたい。         
                   

 マダム、ムッシュ、コリー、今度は軽井沢で逢いましょう!

                                            

(日記はここまでです。最後まで読んでいただき、ありがとうございました! )                             

2003年1月5日~12日までの旅日記より

想い出をバックにシャンソン歌ってみました…
マダムM&ムッシュIに感謝を込めて。


清水由美 

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

フランス一人旅~マダムMを訪ねて(20)

2016-01-09 11:21:20 | 旅の楽しみ
             
『モンマルトルの丘』

45度の傾斜をケーブルカーで上って行くと丘の上には夕刻のサクレクール寺院が聳え立つ。
             
中に入ると厳粛な空気が漂い、礼拝をする人々の息遣いだけが聞こえる静けさ。


              
2ユーロでローソクを買って灯す。
          
クリスチャンでもない私が変?かとも思うが、このお金で寺院の修復工事をするのだという但し書きがあった。
少しでも・・・という気持ちで記念のコインも購入。



寺院を出てパリ市内を一望する。
映画「アメリ」では、印象的に使われているモンマルトルの丘。

アメリが覗いた望遠鏡は、アレだろうか・・。


             



              
下りは、徒歩で丘を降りる。



              
私たちが降りて行くと、下から日本人らしき女の子が地図を片手に上って来た。
学生風の若い女性だ。
              
ムッシュから聞いたところでは夕方4時以降はモンマルトルには行くな、というのはフランス在住の日本人駐在員の中では常識なんだとか。
              
そういえば、ケーブルカーの乗り口付近で、アラブ系らしい妙な男たちを、多く見かけたが・・以前、身ぐるみはがれ痛い目に遇った日本人もいたらしい。

あの女の子は、こんな時間から・・大丈夫だろうか…。

「モンマルトルの丘」は、パリの中では私が一番行きたかった場所。
             
シャンソンには、ここをテーマに歌った名曲が多い。
古くから若い芸術家達の集う場所・・
憧れの地のイメージが悪くなるのは残念なことだ。

             
 
夕食の時間まで本屋に入って立ち読み。
欲しい本がたくさんあったが、なかなか決められず荷物になるので今回は断念。
(トランクはすでに満杯状態)
             

小腹がすいたので、日本食街(うどん屋に入る)
パリのうどん屋さんはどんなものか・・・興味津々。
             
狭い入り口は5人がようやく座れる位のカウンターとテーブルが2つ3つ・・地下に降りて行くと、ワイン蔵のようなスペースに壁際に沿って、木でできた大き目のテーブルを囲んで7~8人が座れそうなスペースが2つ。
             
不思議な空間だ。
従業員は全員日本人、もちろん日本人客も多い。
一瞬、パリであることを忘れてしまう。
             
コリーはもちろんキツネうどん、私は小町うどん、を食べたが麺は讃岐風でコシがあってまあまあだった。
             
味付けは関西風、なんだか懐かしい味だった。
             
しっかし、こんなパリで「うどん屋」をやって果して儲かるのだろうか。
            
テナント料、高いだろうなぁ・・・
従業員の女の子は、語学留学中のアルバイトだろうか。
物価の高いパリ・・ アルバイト料でやっていけるのかなぁ・・。
             
根掘り葉掘り訊いてみたくなるのは、私の悪いクセだ。
             
その衝動を抑えて、ググっとスープまで全部平らげた。
          

ホテルに戻り、午後10時までお茶。

マダム一家と一緒の、パリ最後の夜を過ごす。             

何度もしつこく言うが、明日帰ると思うとやはり淋しい。

                                           

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

フランス一人旅~マダムMを訪ねて(19)

2016-01-09 11:17:03 | 旅の楽しみ

『パリでモンブラン』


1月10日 (現地時間 2003年1月10日)

 朝から曇り空。午前6時起床

カマルグ米でチャーハンを作ってもらって腹ごしらえ。

マダムの家で食べる朝食はこれが最後・・・
上げ膳据え膳で、随分と楽させてもらったお陰でお腹の辺りが少々窮屈に感じる。

顔も日本にいる時よりも幾分、ふっくらとしてきているようだ。
(化粧乗りもいいぞ・・・エヘ♪)

午前8時、マダム一家とアパルトメントを出る。
(もう、ここへは一生来ることはないのだ・・・。)そう思ったら,急に寂しくなった。

そして、マダムもあと3ヶ月でここを去ることになるんだな・・と思ったとたん
その時のマダムの気持ちを思って、胸がキュンとなった。
2年間、暮らした部屋には様々な思いが詰まっている。

私には、わずか4~5日ではあったけれど、とても快適に過ごさせてもらった
マダムのアパルトメントに心から感謝をして部屋を出た。


マダムの運転する車で、アヴィニョンTGV駅を目指し出発。

うっすらと雪に覆われたブドウ畑ともお別れ・・
いつかきっとプロヴァンスの青い空を
見に、また来よう。

アヴィニョンTGV駅は、来た時と同じくらい寒々としていた。

午前10時10分発のパリ・リヨン駅行きのTGVに乗ってすぐに私とマダム一家が座っている座席番号と同じチケットを持った黒人男性がやってきた。
別に、珍しいことではなくよくあることらしい。座席のダブル・ブッキングは・・。

2人連れらしいその男性は、私たちが4人連れであるのを知って、隣の席にかけていたのだが、そこへ別の親子連れが・・・。
とうとう、座席に座るのを諦めてデッキの補助椅子の方へ移動して行った。
(気の毒に・・・)
来る時も列車番号表示が違っていて戸惑ったが、ダブル・ブッキングがなかったことはラッキーだったと改めて感じた。

教訓その?・・・フランス国内の列車では、座席のダブル・ブッキングはよくある
そういう場合は、早い者勝ち。自分の座席番号を見せてにっこり笑い、堂々と座っていればよい。その逆の場合、同じ座席番号のチケットを持っている人が先に座った場合は、潔くあきらめよう。


午後1時 パリ・リヨン駅到着。

パリは、-7℃・・・さ、さむい!

着いてすぐに、予約してあったホテル「Mercure」へチェック・イン。
ひとまず荷物を置き、半日パリ市内観光へいざ出発。

 メトロ(地下鉄)で、リヨン駅からピラミッド駅へ・・。

オペラ座通りを歩いてオペラ座へ行って記念写真撮影

         
コンコルド広場からエッフェル塔、凱旋門、ルーブル美術館などを一望
         
アンジェリーナのモンブランを食べる

見た目は薄茶色の歪な形をしているので一見するとモンブランには思えない。直径約10cmはあるだろうか・・かなり大きめ。

一口食べると、そのマッタリした栗餡の感触に驚く。

日本のモンブランはもっとサラリとしているが、ここのは重量感があって、舌にネットリとへばりついてくる感じ。

かなり甘い・・・中には甘さを抑えた生クリームが、これまたズッシリと入っている。渦巻き栗餡の部分が甘いので、ほとんど生クリームには甘さを感じない。



生クリームの下は、落雁のような白い砂糖菓子が土台になっているらしい。
甘党の私ではあるが、さすがにコレは甘い。
            
この甘い甘い、モンブランを、ムッシュは1個半(半分はコリーの食べ残し)平らげた。
            
店内を見回すと、3組の日本人らしき人たちが・・・みんな「モンブラン」を食べている。
            
雑誌で紹介されて以来、日本人観光客は必ずここに来ると「モンブラン」なのだそうだ。
             
因みに、「アンジェリーナ」にいったら黙って座ってみてください。必ず、モンブランが出てくるでしょう。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

フランス一人旅~マダムMを訪ねて(18)

2016-01-09 11:14:08 | 旅の楽しみ
『法王庁~アヴィニョンでの晩餐』

薄暗くなりかけていた石畳の広場には人影も無く、
ライトアップされた法王庁は何とも形容しがたいほどの威厳に満ち、

今自分がこの場所にいること自体が
信じられないほど美しく神々しい場所だった。



内部は展示室になっているというが・・閉館時間を過ぎてしまった今回は入れない。
見学は楽しみに取っておこう、いつかまた訪れた時のために・・。



帰り際、有名な「アヴィニョンの橋で♪」のサン・ベネゼ橋を車の中から見る。
こちらもライトアップされて、城壁から続く夜景が美しい。

夜はバニョール市内のレストランで・・
「カエルのハーブフライ」と「ニース風サラダ」、



マダムおススメの「ウフ・ア・ラ・ネージュ」を食べる。       

カエルには抵抗のない私。

おいしそうに食べるね、と言ってコリーが横から珍しそうに覗くので「食べてみる?」といってすすめた。

「うん」と言って、おそるおそる手にとったコリー、
「カエルの形をしてる・・」と言いつつ
ひとかじり。
「あっ、おいしい・・」
「おいしいでしょ?もっと食べてね。」というと
「もういいよ・・」だって。
こりゃ、カエルの形してなけりゃ抵抗無く食べたかもね。

斜向かいに座ったマダムは、カエルにパクついている私を黙って見つめている。

「たべる?」と訊くと、

「ううん、私は遠慮しとく。ユミがあまりに美味しそうに食べているから見とれていたのよ。
ほらよく外国映画で、気取ってカエルを食べている女の人が食べ終わったあと、カエルの骨についた肉を歯でチッチってやるでしょ?あんな感じだなぁって思ったのよ」

私の頭には、マダムのその言葉で『奥様は魔女』の母親役、エンドーラの姿が浮かんだ。
(きっとマダムには私が魔女に見えたにちがいない。)

しっかし、食べ終わったあとの皿は悲惨だ。

あんまり見たくないなぁ・・と思っていたらウェイトレスが皿をさげに来て
代わりにデザートの「ウフ・ア・ラ・ネージュ」を置いて行った。
パフェ用のグラスに入れられたウフ・ア・ラ・ネージュはフワフワしたあま~いプリンのような味がした。

ムッシュがいきなり、「あ~っ、カエルの残骸の写真撮っておけばよかった・・・」
と悔しがった。

バニョール最後の夜の晩餐は「カエル20匹を食べる魔女」・・・
コリーお気に入りのハリー・ポッターの世界だ。

明日はパリだ。
あぁ~、かえりたくない。

その夜、お腹の中でカエルたちが泳ぎながら
「ケエロ!ケエロ!・・」と
大合唱している夢を見た。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

フランス一人旅~マダムMを訪ねて(17)

2016-01-09 11:13:17 | 旅の楽しみ
『アルル~アヴィニョン法王庁』


アルルの闘技場を後にして、ゴッホをテーマにした記念館へ・・。

ここはゴッホの作品というのではなくゴッホ縁の品物や、ゴッホに影響を受けた現代画家たちの作品が展示されている。
(正式名称はわからない)
記念館は3階建ての細長い建物で、街中のごく目立たない場所にあった。

1階のミュージアムショップをさらっと観て、2階へ続く狭い階段を上っていくと
ゴッホの直筆の手紙が展示されていた。

意外にも、とても几帳面で美しい文字だった・・・
まるで上下に線を引いて書いたかのような粒の揃った筆記体の文字が並んでいる。きっと繊細な人だったのだろう。

ゴッホが精神を病んだのは、この性格が災いしたに違いない。                         


記念館を出て、有名なカフェ・ヴァン・ゴッホへ・・・。


ここもシーズン・オフとあって通りに面したカフェの椅子はそのままで店は閉まっていた。

ゴッホは、耳を切り落とした後、アルル療養生活をおくったということだが
「エスバス・ヴァン・ゴッホ」というゴッホが描いた「アルル療養所の庭」を復元した病院が     
このアルルの観光名所になっているらしい。

なるほど、絵から復元したというだけあって、季節柄、花壇に花こそないが               
そのまんまだなぁ・・・と妙に感心。



アルルを出てアビニョンに着いたのは夕方。

アビニョンは・・街全体が城壁に囲まれた何ともロマンチックな街だ。殺風景なTGV駅とは、えらい違いだ。
夕方近くとあって、城壁の中からゾロゾロと学生風の若者たちが出て来るところだった。

アヴィニョン大学の学生たちだという・・・日本人留学生も多いらしい。
(いいなぁ・・・私も〇十年若ければ、もう一度こんなところで学生生活をしてみたいものだ。)

デパートの中のような狭い駐車場にマダムの車は停まったが、いったいここがどんな場所なのか、どういう造りになっているのか全く想像ができない。

狭い階段をムッシュの後について上って行くと目の前がいきなり開けた。

そこには中世ヨーロッパを象徴するかのような荘厳な城がそびえていたのだ。

「うわ~っ!」
思わず歓声をあげてしまった。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

フランス一人旅~マダムMを訪ねて(16)

2016-01-09 11:11:54 | 旅の楽しみ
『アルル~アヴィニョン法王庁』

1月9日 くもり

昼過ぎからアルルへ出発することになり、
まずはマダムのスクランブルエッグとクロックムッシュで軽いブランチ。

フランス人は、クロックムッシュ(ハムとチーズを挟んで表面を焼いたホットサンドイッチ)をよく食べると聞いているが、
以前から不思議に思うのは、このクロックムッシュという名前である。

クロックというのはサクッとかパリッという意味で、ムッシュは英語で言う所のMr.という意味らしいのだが、
ミスター・ドーナッツみたいな軽い乗りで付けた名前なのだろう。

そういえば何かの料理本で読んだが、クロックマダムというのもあるそう・・。

クロックマダムはクロックムッシュの上に目玉焼きを乗せただけのものだとか
オーブンやトースターではなくフライパンで作るのがホンマもんだと聞いている。

フライパンで作るからカリッとして美味しいのだということを、マダムの作ったクロックムッシュは実証している。

チーズハムトーストは日本でもよく食べるが、今度はフライパンで焼いてみよう。
きっといつものと違って、カリッとした美味しいのができるかもしれない。

腹ごしらえが済んで、いよいよアルルへ・・。

アルルといえばビゼーの「アルルの女」とゴッホの描いた「跳ね橋」が有名。

バニョールから、小1時間くらいでアルルに到着。



これまでに何度も、南フランスを訪れる客に付き合わされているコリーにはさぞかし退屈だろう。
車の中でクイズをしながらだったので、あっと言う間に着いたような気がした。             

アルルの闘技場は、石畳の坂道を登って行ったところにあった。



まだ雪が残っている石段を上がって行くと、古い石造りの闘技場が見えてくる。
シーズン・オフと言う事もあって、改修工事中だった。


紀元前1世紀のふる~い建造物だが、大きな円形の闘技場では今でも闘牛が開催されているのだという。



オランジュの古代劇場もそうだったが、こちらの人は古いものを保存するだけでなく大事に使っているのだ。
「木の文化」の日本では、紀元前の建物なんて信じられないが「石の文化」であるヨーロッパでは家にしろ公共の建物にしろ何百年もの間、存在し続けることが出来る・・・

このこと自体私にはスゴイことのように思えるのだが、
フランス人たちは当たり前に使い、当たり前に生活している・・・。

その事実を、今回の旅で目の当たりにした私は度々カルチャーショックを受けてしまった。







  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

フランス一人旅~マダムMを訪ねて(15)

2016-01-09 00:28:11 | 旅の楽しみ
『バニョール銀座で』


1月8日
 
朝から雪。

午前中、歩いて近所で開かれているマルシェ(市場)に行く。

寒さのせいか、いつもより出店数が少ないとマダムが言っていたが、広場全体が活気があって
楽しそうに人々が行き来している。
(これが噂にきくマルシェかぁ・・)

衣料品から、食料品、生活雑貨などありとあらゆるものが所狭しと並べられ、観ているだけで
楽しい。

「ユミ、見てよ。この皮のコート20ユーロよ!」

マダムが手に取ったベージュのムートンのコートが日本円にして約2500円・・・や、やすいっ。
サイズが合えば本当にお買い得。
でも、よ~く見ると袖が長いんだなぁ・・フランスサイズは。

実は、私は皮のコートでは一度失敗している。

大学時代、世話になった大阪フィルのK講師がドイツに旅行に行った時、
皮のコートを買ってきてもらって当時の値段で3万円払ったのだが・・・
肩幅が丁度だったのにもかかわらず袖が長すぎて結局、袖口が邪魔で何度も着られなかった。

いっそのこと切ろうか、とも思ったがデザインが変わるし、バランスがおかしくなるのでやめた。

着なくなって1年後に再び出してみたときは、カビが生えて所々変色してしまっていたので、たぶんゴミに出してしまったのではないかと思う。
その3万円のコートからすれば破格の値段だ。

皮のコートだけではない。
石畳の広場のワゴンに無造作に積み上げられた衣類は、どれもこれも本当に安い。

「パエリア・・まだあるかしら?」

マダムが買って帰ってお昼にたべようね、と言っていたパエリアは屋台のようなところで売られているという。

広場には幾つか、パエリアの屋台があって、それぞれ味も違うらしいのだが
近くの屋台をのぞくと鉄板の中には、黄色のサフラン色のライスと赤茶色のエビが少しだけ・・・。
もうほとんど残っていない状態だった。

仕方が無い、他の店に行ってみよう。

広場中央のオジサンのやっている屋台のパエリアが一番味が良いのだという。

時刻はもう昼に近いせいか、そろそろ店じまいを始めている屋台も多いようだ。
急いで行ってみると、屋台には誰もいない。
オジサンは何処に行ったのだろう・・。

仕方がないので、そこら辺を少し散歩してから、また後で寄ってみよう、ということに・・。

バニョール銀座はあっと言う間に終わるとマダムが言っていたが、それは本当だった。

入り口のクレープ屋さんでシトロンクレープを買ってもらう。
少し酸味がきいた焼きたてのクレープは、歯ざわりが良くて、サクサクしていて本当に美味しい。

次に立ち寄ったのは、マダムの愛息子コリー御用達の靴屋さん。
人懐っこそうな、初老の夫婦がやっている店だ。
10畳くらいの狭いスペースの店内に有名スポーツメーカーの靴が並べられている。

まるで、大阪にいた頃よく通った東三国商店街の雰囲気だ。
ただ一つ違うのは、
バニョール銀座商店街(勝手に名前をつけた)の店はウナギの寝床式で、間口は狭く奥に長い。
一階が店舗で二階が住居という作りが多いようだ。

建物自体は、石造りやレンガ造りだが店舗は外観や内装に手を加え、
近代的に見せてはいるが、ちょっと店の後ろに回ると石の壁が剥き出しになっているところもあって、面白い。

店に入るなりマダムは店主夫妻にフランス語で何やら言ったかと思うと、2人はマダムに体を寄せて頬にチュッ、チュッ、チュッと3回、キスをした。

そして、横にいた私を「日本から来た友人です」と紹介してくれたかと思うと、即座に店主のオジサンは私を抱き寄せ、頬にチュッ、チュッ、チュッと3回キスをしてくれたのだ。

この辺りではこのキスの風習をビスという。

私の場合はマダムから、予め聞いていたのでそれほど戸惑わなかったが、
初めてだときっと、日本人なら戸惑う人も多いことだろう。

(しっかし、バニョールって・・・若くてハンサムな男性はいないみたい。そんな人がいれば何回もビスしたいけれど・・ああ、オジサンで残念。)

・・・と、不謹慎な考えが私の脳裏を過ぎったのは言うまでもない。

さて、先ほどのパエリアはどうなった?

一通りバニョール銀座を歩いて、一番の目的であるパエリアを買いに、来た道を引き返し

マルシェの屋台に帰ってみると・・時すでに遅し、オジサンは店じまいをしている最中。

思わず駆け寄って交渉するマダムであったが、すでにパエリアは売り切れ。
その時、私は意外な事実を知る。

「パエリアの屋台のオジサン」とマダムが言うものだから、
太ったケンタッキーの看板オジサンのような人を想像していたのだが、
実はものすっご~く素適なオジサマだったのだ。

渋めのルックスは・・ブルース・ウィルスを少し太らせた感じだろうか。

マルシェは午前中で閉店。

パエリアを買い損ねたマダムは、気を取り直して「アンテ・マルシェ」でバケットを
買って帰ることに・・。
パンコーナーの横でこの辺では珍しいジュースの自販機を発見。

話には聞いていたが、外に自販機が置いてあるところはないというのは本当のようだ。

ここでも、焼きたてのバケットを買って、かじりながら帰る。
これも外はカリカリ、中はしっとりでほっぺたが落ちそうなくらい美味しい。

午後はマダムのアパルトメントで、「アメリ」を観て過ごす。

夕方、お土産を買いにまた「アンテ・マルシェ」へ・・・。

カートに愛犬を乗せて買い物をしている中年夫婦を発見。
よほど犬が可愛いとみえて、時々ご主人らしき男性が、犬に頬ずりをしている。

犬の顔を見ると「黒のブルドック」・・・けっして器量が良いわけではないが、
不思議なことに犬の表情まで、ゆったりとしていて満足げだ。
これだけ愛されていれば、飼い主にも従順になる筈だと、心の中で納得。

買い物を済ませてマダムの家に帰った時は、もうすっかり暗くなっていた。

夕飯は、コリー考案のオリジナル料理「ポテトのポテトソースかけ&人参のグラッセ」

マダムお得意のサラダリヨネーズ、(半熟目玉とラルドン・・刻みベーコンが乗っかっている)
メインディッシュがロール白菜、飲み物はパナシェ。
そして焼きたてバゲット。

コリーの料理のセンスはなかなかのもの・・・美味しい料理を食べてまたまたお腹がいっぱい。

ここへきて体重が何キロか増えたに違いない。

夜、UNOで遊ぶ。

私はボロ負け。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする