日曜日、久しぶりに夫、次男、私で井手町の道の駅でお昼食べました。

外は小雨と霧。

ひな祭りのイベンで

煎りたてのほうじ茶試飲させていただきました。
格別な香りで美味しかった。

さて、お昼ごはんは煮込みハンバーグ。

フライ定食

井手町チャンメン。
町おこしうまくいっているようです。
小雨交じりの中、レストランは満席でした。
安くて新鮮なお野菜を買って帰りました。
雛祭り(ひなまつり)は、3月3日に行われる行事で、女児の幸福を祈るために行われ、雛飾り、白酒、菱餅、桃の花などを飾ります。
雛飾り
3月3日は五節句の一つ上巳の節句にあたり、桃の節句(もものせっく)、雛の節句(ひなのせっく)とも呼ばれます。
「上巳の節句」という名称は中国由来の上巳(3月最初の巳の日)に行う行事が3月3日に固定し、桃の節句を指す様になりました。

「桃の節句」は桃の花が咲く時期である旧暦の3月3日(新暦の4月頃)に行われていましたが、明治以降は新暦の3月3日に行なうことが一般的になりました。
しかし新暦3月3日には桃は咲かず、桃の造花を用います。
雛人形の起源は諸説あるそうです。
古代中国には上巳の日(3月最初の巳の日)に川で身を清める風習があり、これが日本に伝わって草や藁など作った人形(ひとがた)に穢れや災いを移して川や海に流す風習と融合しました。
平安時代に上流階級の子女の間には小さな紙人形でままごと遊びをする「ひいな遊び」がありました。
「ひいな」はサンスクリット語で「小さい」という意味の「ヒナ」が語源だそうです。
貴族の間で「幼児の守りとしてその枕もとにおいた「形代(かたしろ)」の一種の「天児」(あまがつ)、同様の目的で用いられた「這子(ほうこ)」も作られました。
天児・這子は後の「立雛」の起源になりました。
室町時代(1336-1493年)に現在の雛人形の原形ともいえる「立雛」が登場。
現在のものと同様、雛が座っている「室町雛」

も室町時代に登場しました。
近世
雛人形主体の節句の歴史は「案外に新しく」、江戸時代初頭に記録に現れ始め、寛文(1661- 1673年)移行に雛祭りが定着。一般化したのは明治以降だそうです。
江戸中期ころまでは雛祭りは「雛遊び」と呼ばれていました。「雛人形」という名称も江戸時代に生まれました。
雛壇は江戸初期には平壇でしたが、宝暦(1751-1764年)・明和(1764-1772年)年間に2、3段、安永年間(1772-1781年)に4、5段、幕末に7、8段となり、十五人揃いの雛飾りも江戸末期に定着しました。
雛人形は江戸時代初期には「ひいな」の名残を残す立った形の「立雛」

でしたが、寛永時代の「寛永雛」

の頃からは紙雛の面影を残しつつも立体化。
享保時代には寛永雛をさらに高級化した「享保雛」が登場。
「高さ約45センチから、時には60センチ以上」もある大きなもので衣装は中国の影響が見られます。
寛永雛は華美であるとして幕府に規制されました。
江戸幕府はこれ以降も華美な雛人形に対ししばしば製作の禁令を出しました。
寛政の改革(1787 -1792年)で規制されたときには、規制を逆手に取り「芥子雛」と呼ばれる精巧を極めた数cmほどの雛人形が流行しました

が、これも規制されます。
京都生まれの岡田次郎左衛門が宝暦2年(1763年)に江戸へ下り、典雅な「次郎左衛門雛」

が普及しました。
「写実的な傾向をたどってきた内裏雛に、復古的な典雅さをもちこんだ次郎左衛門雛の清新さが、江戸の人気を独占し、宝暦から明和、安永、天明(1781-1789年)、寛政(1789-1801年)年間まで、約30年の間にすっかり代表的な江戸雛の位置を確保しました。
江戸後期には「公家などで、有職の間違いを訂正し、宮中の雅びな装束を正確に再現」した「有職雛」

が登場。
次郎左衛門雛とともに人気があったのは古今雛

で、文化の中心が京都から江戸に移ったのちに江戸で成立しました。
古今雛は有職雛と違い「有職にとらわれない華やかな装束」をまとった「写実性の高い身体表現」が特徴です。
「現在の雛人形はこの古今雛にかたどってつくられています。

シャルル・フランソワ・グノー(:Charles François Gounod、1818 - 1893年)
フランス王国パリ生まれ、フランス共和国サン・クルー没
1870年ナダール撮影『操り人形の葬送行進曲』 Marche funèbre d'une marionnetteは、1872年に作曲したピアノ小品です。
作曲家本人によって管弦楽曲に編曲され、1879年に出版されました。
この作品は、グノーが普仏戦争(1870-1871年)

の戦乱を避けてロンドンに住んでいた時期に作曲され、1872年7月13日にロンドンでピアノ版が出版されました。
この作品を完成させた後、グノーはほかの組曲をすべて放棄しました。
楽譜はヴィギエ夫人(Madame Viguier)
に献呈されています。
フランスでは1873年に出版されました。
グノー本人による管弦楽版はフランスに帰国した後の1879年に出版されました。
ピアノスコアに書かれた標題、管弦楽版は3のみ。
1.アレグロ「操り人形が壊れた (La marionnette est cassée !!!)」
2.アダージョ。
「劇団の嘆きのざわめき (Murmure de regrets de la troupe)」
3.アレグレット。
「葬列 (Le cortège)」
4.ニ長調に転調、
「ここで劇団の主要人物たちが立ち止まって一服する (Ici plusieurs des principaux personnages de la troupe s'arrêtent pour se rafraîchir)」
5.ニ短調の主旋律が戻ってきます。
「帰宅 (Retour à la maison.)」
『操り人形の葬送行進曲』管弦楽版