水滴の中に景色が写っていました。景色を撮ろうとしたら、偶然写っていました。
今日は、島本町で、セミナー。
人間関係を見つめなおす手助けをしてくれます。
相手との関係を見ていくと、自分が見えます。相手だと思っていたら、自分と自分との付き合い方だということが、徐々にわかってきます。
人間関係が相手によって起きると捕らえている限り、問題を解決するのは難しいです。
自分の相手に対する影響力を見ることから、はじまります。
相手に起きることは、自分にも起きるし、自分に起きることは相手にも起きる。
「長話で、困った。」という時、相手を見ていますが、自分が聞くことでその長話を支えた。そこを見れば、自分にはいろいろな選択肢があったことに気がつきます。
無視する、時間がないことを伝える、他の話をする、相手の話を楽しんでしまうなどなど、うまくいくかどうかはともかく、その関係のできごとが起こっている時に選択肢はたくさんあったのです。
それなのに、他の気持ちの良い選択肢をとらない自分。せっかく、相手が話してくれる場面にいながら、心はどこかへさまよう。ダブルスタンダードな自分。それこそが、問題が起きる兆候であると知れば、いろいろな関係性で起きてくる問題を回避したり、解決したりすることができるはずです。
また、長話と捕らえているのは、自分。長いか短いかは、主観的なものです。
人生に相手が登場した途端、全ては相手との共同作業。
話している相手を支えている自分。相手に添っている自分。共同作業がうまい自分を、自分で評価していれば、相手との共同作業を楽しめたはず。
せっかく相手との共同作業がうまくいっているのに、心の中で、長い話とか、困ったなぁと、考えている自分がいるということは、その共同作業の質を考えると、悪いと考えざるを得ません。
話をしてくれる相手に、感謝で聴いていれば、もっと、その時間を有益に、質の高いものにできたかもしれません。
問題が起きていないところに、問題を見る自分自身が、問題をわざわざ引き起こしているともいえるかもしれない。
こういう作業を繰り返していると、へたくそな自分、等身大に近い自分にがっかりするかもしれませんが、自分に問題があるとわかると、希望がわいてきます。
なぜなら、自分の問題なら、自分が研鑽を積むことで、なんとかなるかもしれない。ということだから。