音楽の喜び フルートとともに

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日曜作曲家の人気の曲

2023-11-09 21:00:00 | 近代
水曜日午後、ピアノのTさんのお宅に打ち合わせに行きました。
トイ・プードルのココちゃんが大歓迎してくれました。

3年ぶり、覚えててくれた。
興奮し過ぎて、動き回るのでうまく撮れませんでした。
子育てサロンのクリスマスコンサートもTさんとは3年ぶり。

フルートとピアノで3曲聴いてもらって、絵本と音楽、
メロディベルで「きよしこの夜」、
鈴やカスタネットで「あわてんぼうのサンタクロース」を合奏。
最後はサンタクロースがプレゼントを持って来て、子どもたちに配ります。
この時にはクリスマス・キヤロルをバックミュージックを演奏します。
演奏しているとココちゃんピアノの下にもぐって丸くなって聴いています。
お利口さん!


しゃべり出すと、椅子の上に乗って、そこから私の膝の上に乗って私の手をペロペロ。
一皮剥ける位舐めてもらって、手がきれいになりました。

ヴィヴァルディの四季の「冬」とか、
ボロディンの「弦楽四重奏曲第2番の夜想曲」なんか、クリスマスっぽいかもとか、何曲が演奏してみたりお茶飲みながらTさんとしゃべったり、ココちゃんもペロペロ。
癒やされました。

アレクサンドル・ボロディン(1833ー1887年)ロシア帝国サンクトペテルブルク生没

グルジアのイメレティ州タヴァディのルカ ゲテヴァニシヴィリ(ロシア名ゲディアノフ)62歳と 25歳のロシア女性エヴドキヤ アントノヴァの非嫡出子として生まれます。

父は彼を実子として戸籍登録せず、 農奴の1人ポルフィリ ボロディンの息子として登録しました。

しかし、ボロディンはピアノの稽古を含めて優れた教育を受け、化学を専攻しました。サンクトペテルブルク大学の医学部に入り、最優秀で卒業後、陸軍病院に勤務、24歳の時にヨーロッパに長期出張しました。

この時ムソルグスキーと知り合い。シューマンの曲を紹介され、興味を持ちました。

ピザ大学では臭化ナトリウムを用いた有機窒素の定量法を発見しました。

26歳の時サンクトペテルベルク大学に化学で入学。元素理論を確立したメンデレーエフと知り合います。卒業後はサンクトペテルブルク大学医学部生科学の助教授、教授と進み、生涯有機化学の研究科として多大な業績を残しました。

作曲は1863年ミリーバラキレフとで会うまで正式に学んだことはありませんでした。

1869年ヴァラキレフの指揮によって交響曲第1番が初演され、交響曲第2番に着手します。この新作は初演時には失敗しましたが、1880年フランツリストがワイマールでドイツ初演の手はずを整え、ボロディンの名をロシアの外に広めました。

1881年「弦楽四重奏曲第2番ニ短調」をジトヴォで作曲、妻エカテリーナ(?-1887年)

に愛を告白した20周年の記念に献呈されました。
1882年初演。

第1楽章 アレグロモデラート
第2楽章 スケルツォ アレグロ
第3楽章 ノクチュルヌ(夜想曲)アンダンテ
第4楽章 フィナーレ アンダンテーヴィヴァーチェ

特に第三楽章夜想曲は人気でリムスキーコルサコフを初めとする弦楽合奏のための編曲など、いろいろな作曲家による編曲版が多数存在しています。

ボロディンは化学者としては、ボロディン反応(ハロゲン化アルキルの合成法、ハンスディーカー反応の別名)に名を残しています。また、求核付加反応の一つであるアルドール反応を発見したとされます。…なんのことやら?
アルデヒドの研究でも知られています。
化学者として生涯給与を得ていたので、忙しく、「日曜作曲家」と自称していたので作曲数はそう多くはありませんが、昨今ますます人気のある作曲家です。