音楽の喜び フルートとともに

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雨も雪もむなしくふることなく大地を潤し

2025-02-09 09:00:00 | バロック
土曜日、夕べから降り出した雪は枚方では植栽か日陰に少し残っている程度。道路は通常運行できそうです。

朝母退院。というわけで、夫の運転で牧野出発…と思いましたが、京都は雪が積もっているだろうと、松井山手に置いてあるスカイラインなら、オールシーズンタイヤなので、取りに行ってから出発しました。

車で20分、隣りの市とは言え府境を越えると寒いです。
スカイラインも雪が残っていました。
さてアクアを置いてスカイラインで出発。

ちょっと降って来ました。
第二京阪の側道は日が当たらないのでやばい!

事故ってる!
それからもう少し行くともう1台。歩道の木に突っ込んできました。
怖いなぁ…。
しかし、車線変更をした途端、車がコントロールを失ってクルッと回って歩道の植込みと桜の木に衝突して止まりました。

『あ〜あ、やっちまった…。』

でも他の車は巻き込んでいないし、歩道も誰もいなかった。
エンジンをかけると動きました。
気を取り直して再度出発。

よく考えたら二車線あっても誰も左車線を走っていない。
よく知っている人は他の車の跡をついていくのですね。

さて、母を迎えに行かくちゃ。とそのまま行きましたが、病院の駐車場て見たら


バンパー結構壊れてました。
ありゃ〜!
しかし、先に母を連れ帰らなくちゃ。
無事送り届けたら、家に帰って夫警察に電話。
事故証明取りに伏見警察と現場に戻って現場検証。
桜の木を支えていた木の柵が折れていたそうです。
後で弁償の話があるかも。
がっくり。
雪の日はやっぱりスタッドレスにチェーンつけましょう。それか、使わない。

ヨハン・セバスティアン・バッハ(1685-1750年)神聖ローマ帝国ザクセン=アイゼナハアイゼナハ生まれ、神聖ローマ帝国ザクセン選帝侯領ライプツィヒ没

                の「雨と雪が天から降るように」(BWV 18)は、教会カンタータです。彼はおそらく1713年頃に ワイマールで六十年祭(のためにこれを作曲しました。

バッハは1708年以降ワイマール宮廷に勤めました。

1714年3月2日、彼はコンサートマスターに任命されました。
この地位での彼の任務には、城の教会で演奏される教会カンタータを月に一度作曲することが含まれていました。

バッハはこのカンタータを、六十祭四旬節前の最後から2番目の日曜日である六十週目の日曜日のために作曲しました。

指定された朗読は、聖書のコリント11:19 – コリント12:9 LUTとルカ伝8:4–15 LUT、種まき人のたとえ話でした。

バッハは、エルトマン・ノイマイスター( 1671年5月12日 ウイヒテリッツ生まれ、1756年8月18日ハンブルク没)

のテキストに曲を付けました。

このテキストは、彼がアイゼナハの宮廷のために書き、1711年にゴータで『霊的な歌と演奏』というコレクションとして出版していたものです。
(ゲオルク・フィリップ・テレマンは以前にすでにこの曲に曲をつけていました。)

次の文では、詩人はマルティン・ルター(1483年、 マンスフェルト県アイスレーベン生まれ、1546年、アイスレーベン没)

アウクスブルクのトーマス・カエターノ枢機卿の前のルター、彩色木版画、1557年
の連祷の一節を使って、神の言葉を脅かす危険についての警告を挿入しています。

最後のコラールは、ラザロ・シュペングラー(1479年、 ニュルンベルク生まれ、1534年ニュルンベルク没)

の賛美歌「アダムの堕落によってすべての腐敗が起こった」(1524年)の第8節です。

1715年頃に作曲されました。

バッハは1724年にライプツィヒでこのカンタータを、楽器編成を拡大し、異なる調で再演しました。
この作品は、当時新たに作曲されたカンタータ『軽妙な歌劇』とともに演奏されたと考えられます。

「雨と雪が天から降るように」(BWV 18)
シンフォニア
レチタティーヴォ(バス):
雨も雪も天から降るとむなしく戻ることはなく、大地を潤し実り豊かに生い茂らせ、そうして蒔く人には種を与え、食べる人にはパンを与えます。

それと同じように、私の口から出る言葉も、むなしく私のもとに戻ることはなく、私の望むことを成し、必ず私が与えた目的を果たします。

レチタティーヴォとコラール(連祷)(テノール、バス、合唱):私の神よ、ここに私の心があります。あなたは私にあなたの精神と力を与えてくださいます。

アリア(ソプラノ):
私の魂の宝は神の言葉です

コラール:
主よ、私は心の底から祈ります