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オペラ以外のビゼー

2025-02-08 21:00:00 | ロマン派
7日午後からセンメルトリオの練習でした。
2月23日六甲の里夢で「おとただまの会」コンサートに出ます。
フルート久米素子、ヴィオラ金重美代さん、ピアノ坂田恭子で出演します。
曲はビゼー「カルメン幻想曲」トリオ編曲版。
金重さんが怪我をしていた上、私の目の手術で思うように合わせられず、今月になって詰めて練習です。 
目の方は思ったより視力がでず、しばらく投薬治療になりましたが、前に比べると楽譜は見えるようにはなっていますが…。

気をつけなくっちゃ。

ジョルジュ ビゼー(1838-1875年)フランス王国パリ生まれ、フランス共和国ブージヴァル没

1860年頃に撮影されたビゼーの写真。
ビゼーと言えば歌劇「カルメン」。現代において最も演奏されている歌劇。
そして「アルルの女」の組曲、
「真珠採り」、レアな人で「ジャミレ」が知られていますが、その他の曲はあまり知りていません。
しかしビゼーはオペラ以外の曲も書いています。

ビゼーは芸術を専攻する学生に対してフランス国家が授与した奨学金付留学制度であるローマ賞(1663年、ルイ14世によって創設され、1968年廃止されるまで継続しました。)に2回挑戦しています。

一度目1856年18歳の時には優勝該当者無し、二度目1857年カンタータで優勝。

ローマ・ボルゲーゼ庭園内のメディチ荘 (Villa Medici)。今日でも奨学生が寄宿している。
5年分の奨学金が支給され、彼ははじめの2年間をローマのフランスアカデミーで、3年目をドイツ、そして最後の2年間をパリで過ごすことになりました。

しかし、ドイツには行かず仕舞いになったものの、ローマには1860年7月まで逗留していました。

パリにまっすぐ引き返す代わりにイタリア中を旅行して、1858年と1859年には行かなかった土地に向かいましたが、ヴェネツィア入りした頃に母親が重病であるとの知らせを受けて、直ちに帰国します。

『ローマ』は、このイタリア留学がきっかけとなって作曲されました。

リミニ

に滞在中、初めて、4つの楽章にそれぞれイタリアの別々の都市(ローマ、ヴェネツィア、フィレンツェ、ナポリ)の名を冠した『イタリア交響曲』という案を練っています。
1860年8月のビゼーの書簡にその記述が見られます。

この頃には初期の草稿がいくらか出来上がっていた可能性がありますが、楽譜は現存していません。

1861年までに書き上げられたスケルツォ楽章「ヴェネツィア」(ローマ留学中に作曲された作品に手を加えたものと考えられているは同年11月に非公開で初演され、2年後の1863年1月11日にジュール・パドルーの指揮によってシルク・ナポレオン(Cirque Napoléon)において公開初演が行われました。

演奏は低調で、多くの聴衆は敵意に満ちた反応を示しましたが、1月18日に国立美術協会で行われた再演では、ずっと前向きな反応が得られました。

このスケルツォ楽章は、現在でも全体の中で出来が良いと認められています。

1866年までにビゼーは全曲の初稿を書き上げましたが、不満を覚えて全体の改訂に着手しました。
この際に変奏曲だった第1楽章は主題だけを残して全面改訂され、第3楽章には終楽章のテーマが挿入されました。

1868年6月に完成した第2稿は、1869年2月28日に交響的幻想曲『ローマの思い出』のタイトルで、またもやパドルーの指揮で上演されました。

この時はスケルツォ以外の3つの楽章が演奏され、それぞれに「オスティの森の狩」、「行列」、「ローマの謝肉祭」という標題的な題名がつけられていました。ただし、これらがビゼーによる命名かどうかは不明です。

第2稿にもビゼーは満足できず、作品にもう一度手を加えた。最終稿となる第3稿はどうやら1871年までにはビゼーの手を離れたと思われます(ビゼーが他の企画に没頭していたからです)。

1875年にビゼーは36歳で早世します。
生前には最終稿による『ローマ』の全曲演奏は行われず、その初演はビゼーの死から5年経過した1880年10月、パドルーによって行われました。

その際のタイトルは『ローマ - 4部からなる交響曲』とされていましたが、1880年にシュダーン社から出版されるにあたり、『ローマ - 演奏会用の第3組曲』と変更されました。

シュダーン社は『ローマ』を、『アルルの女』第1、第2組曲につぐ第3の組曲にしようとしたものと考えられます。 

出版譜はおそらく1871年にされた変更を採用していて、各楽章のタイトルは「序奏とアレグロ」、「アンダンテ」、「スケルツォ」、「カーニヴァル(謝肉祭)」とされました。

現在の出版譜では各楽章のタイトルは全て削除されています。

第1楽章
アンダンテ・トランクイロ ― アレグロ・アジタート(ハ長調) Andante tranquillo - Allegro agitato

第2楽章
「スケルツォ」アレグレット・ヴィヴァーチェ(変イ長調) Scherzo: Allegretto vivace

第3楽章
アンダンテ・モルト(ヘ長調) Andante molto

第4楽章
「終曲」アレグロ・ヴィヴァチッシモ(ハ長調) Finale: Allegro vivacissimo