木曜午後はギターの田郷祐樹さんが合わせに来てくれました。
チーズケーキをいただいて3時間ほど夢中で合わせました。
このギターは田郷さんの先生から借り受けている70年前のギターです。
今日を最後にお返しするそうです。
響板の一部にヒビがはいっていて
剥げていたり、めくれていたりしていますが、良く響きいい音がします。
そう高くない楽器だそうですが、「値段じゃないんですよね。」と田郷さん。
はポツダムにいる次男カール フィリップ エマニュエル(1714-1788年)神聖ローマ帝国ザクセンヴァイマール公領ヴァイマール生まれ、神聖ローマ帝国自由ハンザ都市同盟ハンブルク没
カール・フィリップ・エマヌエル・バッハ、フランツ・コンラート・レーア作(ヨハン・フィリップ・バッハにちなんで)
に献呈されました。
ピアソラの「タンゴの歴史」から「カフェ1930」をやります。
テンポが揺れるので細かく合わせます。
チーズケーキをいただいて3時間ほど夢中で合わせました。
このギターは田郷さんの先生から借り受けている70年前のギターです。
今日を最後にお返しするそうです。
響板の一部にヒビがはいっていて
剥げていたり、めくれていたりしていますが、良く響きいい音がします。
そう高くない楽器だそうですが、「値段じゃないんですよね。」と田郷さん。
「あたりが良い楽器というのが、あるんですよね。」
確かに!フルートも同じ。
昨年榎田先生にお借りしていた1800年代製造の古いドイツのフルートとこのギターでバッハのフルートソナタBWV1035を合わせてもらいました。
古い木管フルートも調整が悪く、E♭など、ギュッと押さえないと全部タンポが降りず、大変でしたがなんとか演奏しました。
1741年
ヨハン ゼバスチァン バッハ(1685-1750年)神聖ローマ帝国アイゼナハ生まれ、神聖ローマ帝国ライプツィヒ没
はポツダムにいる次男カール フィリップ エマニュエル(1714-1788年)神聖ローマ帝国ザクセンヴァイマール公領ヴァイマール生まれ、神聖ローマ帝国自由ハンザ都市同盟ハンブルク没
カール・フィリップ・エマヌエル・バッハ、フランツ・コンラート・レーア作(ヨハン・フィリップ・バッハにちなんで)
を訪ねます。
カールは1738年からプロイセン王国の皇太子フリードリヒに仕えていましたが、1740年フリードリヒは国王に即位し、それに伴ってカールも昇進し、国王の首席チェンバロ奏者になっていました。
アドルフ・フォン・メンツェルによる『サンスーシのフリードリヒ大王のフルートコンサート』(「サンスーシのフリードリヒ大王のフルートコンサート」)、1852年には、CPEバッハが鍵盤で伴奏しながらフルートを演奏するフリードリヒ大王聴衆(メンツェルが考案したもので、実際の出来事に基づいたものではありません)には、バッハの同僚や貴族も含まれます
フルート フリードリヒ大王 チェンバロ カール フィリップ
フルート フリードリヒ大王 チェンバロ カール フィリップ
カールは父親を大王に推薦したかったようですが、あいにく大王はシレージエン戦争(第一次ポーランド南西部のシレージエン地方を巡るプロイセン王国とハプスブルク帝国(マリア・テレジア)との戦争)で不在。
書き上げたフルートソナタBWV1035は、
大王の従者兼秘書官でアマチュアフルート奏者をしていたマイケル ガブリエル フレダースデルフ(1708-1758年)
に献呈されました。
彼は大王の隣の従者部屋で寝ていて、いつでも大王に呼ばれていましたが、その部屋は「恋人の部屋」とも呼ばれていて早すぎる昇進や、財産の委譲などから大王との関係が取り沙汰されていますが証拠はありません。
この曲はフルートと通奏低音のために作曲されました。
当時はカールのチェンバロで演奏されたことが想像されますが、リュートやガンバなどでも演奏されていたと思います。現代ではピアノやギターでも演奏されています。
バッハのフルートソナタBWV1035
スマホ録音で、降りないタンポに苦労していますが、よかったら聞いてくださいね。
きょうのNHK 関西熱視線は反田恭平がピアノではなく指揮をしていました。奈良を音楽の都へ、というタイトルがついていました。
生でも聞いたことありますよ。
フルートの可能性を広げる方ですね。
反田さんが奈良であんなに活動されていたとは知りませんでした。
支える地域の方々もすばらしかったですね。