金曜の朝は塚口t-raumでハーブのレッスンでした。
久しぶりに猫さんがいました。
帰りに三番街のまるも食道で鰤茶漬け定食。
1月にアンサンブル発表会があるので
ゴセックのガヴォットをヴァイオリンの人としようかと企んでいたら、当のヴァイオリン嬢のスケジュールが合わず…お相手募集中。
ガヴォットは練習しています。
フルートはパラディスのシシリエンヌ、ベルガマスク組曲などもういつでも発進できますが、ハーブは決めたらこの曲しかてきません。
笑ってお相手してくださる方募集です。
久しぶりに猫さんがいました。
帰りに三番街のまるも食道で鰤茶漬け定食。
温泉卵つけてもらいました。
ガブリエル フォーレ(1845-1924年)フランス王国パミエ生まれ、フランス共和国パリ没
妻のマリーを通じて親しくなったエンマ バルダックの娘エレーヌ(1892年に生まれました)の誕生祝いに贈った曲を中心に集めた曲集「ドリー」op56
1897年にエレーヌに献呈されました。
エンマ バルダック(1862-1934年)はユダヤ系のフランス人で歌手でした。
17歳でシジスモン バルダックと結婚し、ラウルとエレーヌを出産。
1890年頃フォーレと不倫関係にあったと疑惑が持たれています。
エレーヌはフォーレの実子ではないかと言われています。
2人の関係が終わった後、
1903年、ラウルのピアノ教師としてドビュッシーがつき、
これがきっかけでエンマとドビュッシーは恋愛関係になり、1904年ジャージーで秘密の休暇を2人で過ごします。
ドビュッシーは、妻ロザリー(リリー) テクシエに離婚の手紙を書き、彼女は動転して、リボルバーで自殺を図ります。
このスキャンダルで2人はイギリスに亡命します。
1905年5月、エマとシジスモント、8月にロザリーとドビュッシーの離婚が成立します。
「ドリー」
子守唄
1864年スザンヌ ガルニエの娘の1歳の誕生日に書かれた曲に手を入れ、エレーヌの1歳の誕生日に送られました。
ミアオウ
エレーヌの兄ラウルを幼いため「ムッシュ ラウル」と呼ぶところ「ミアオウ」と言ったのでこの名をつけましたが、猫の鳴き声が出版社によってつけられました。
ドリーの庭
ヴァイオリン ソナタ1番からの引用が含まれています。1895年新年のプレゼントとして書かれました。
キティ ヴァルス
フォーレの初めの原稿では「ケティ ヴァルス」
ケティはフォーレ家の犬で猫とは関係ありません。
テンドレッセ
1896年、楽譜出版社の妻、アデラ マディソンに捧げられました。
スペインの小道
フォーレの友人、シャブリエのスペイン舞曲のようなスペインの風景画で終わります。
フォーレはこの曲のおかげで、猫好きのように思われてきましたが結局のところ、猫好きの出版社の捏造?!
犬好きは確定みたいですが…。
ドリーop56-4 「キティ ヴァルス」
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます