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逃亡と冒険の人生

2024-05-09 21:01:00 | 古典
近所のお庭のエゴノキ。
すぐに散ってしまいますが、かわいいです。



実を食べるとエグい味がするのでエゴの木というらしいです。
実って

ヤマガラさんがついばんでいるこれです。
サポニンが含まれているらしく、昔は若い果実を潰して泡だて、石鹸の代わりに使ったそうです。

エグいのはその成分のせいでしょう。
弱い毒でもあるので決して食べないで下さい。

チャールズ ニコラス ボクサ(1789-1856年)フランス モンメディ生まれ、オーストラリア シドニー没
ボヘミアの作曲家の父シャルルのもとに生まれました。
彼は7 歳までにフルートとピアノを演奏できるようになりました。  

1807年にパリ音楽院に留学し、翌年和声部門で一等賞を受賞しました。

彼は 1813 年にナポレオン帝国管弦楽団のハープ奏者に任命され、オペラ・コミック座

のためにオペラを書き始めました。

しかし、1817 年に彼は偽造、詐欺事件に巻き込まれ、訴追を避けるためにロンドンに逃亡しました。
彼は欠席裁判で有罪判決を受け、12年の重労働と4,000フランの罰金を言い渡されました。

ロンドンではフランスの法律の適用を受けずに安全を確保でき、1821 年に英国王立音楽アカデミー

の設立し、著名なハーピストを育てました。

1826年に彼の有罪判決が明らかになったとき、彼は辞任を余儀なくされました。

その後、ロンドンのキングス劇場

の音楽監督に就任しました。

1839年、作曲家ヘンリー・ビショップ


の妻のオペラ歌手アンナ・ビショップ(1810-1884年)

と逃亡します。

彼らは北米とヨーロッパ全土(フランスを除く)で一緒に演奏しました。ナポリでは、ボクサはサン・カルロ歌劇場

の館長に任命され、そこに2年間滞在しました。

1855年12月、ビクトリア朝のゴールドラッシュの頃、ボクサはビショップとともにオーストラリアのシドニーに到着しました。
しかし、上陸から、3週間後、ボクサが亡くなります。オーストラリアで彼らが一緒にコンサートを行ったのは1回だけでした。

ビショップは悲しみに暮れ、キャンパーダウン墓地に彼のために精巧な墓を建てるよう依頼しました。


「エチュード4番」はボクサが作曲したハープのための曲です。

エデュアルド サボン(1817-1893年?)がオーボエかサックスのために編曲しました。

これをさらにリコーダーで演奏した動画を見つけました。音域がちょうど良いそうです。
サボンは他に曲を残していないらしく資料もありません。
…ただSABON=石鹸で探していたらヒットしたのと、聞いていたら石鹸の泡が弾けているような曲だったので…。





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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
エグイ (takan32)
2024-05-09 18:14:03
久米さんへ、私のブログにいいね!をありがとうございます。
エグイ--は味覚を表す言葉だったのですが、最近は別の意味でエグイとよく使われるようになりましたね。
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Unknown (m-fluteangel16)
2024-05-11 00:01:19
@takan32 さん、ありがとうございます。
本当ですね。
エグイは渋みとか味を指す言葉だったはずが変わっていますね。 
それとは逆にエグミを知っている人は減ってしまった気がします。
アクを抜く前のこんにゃく芋とか、どんぐりを料理しないで食べたり…。
何食べてきたんだ私🤣💦
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