音楽の喜び フルートとともに

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鉄道に魅せられた男たち

2024-05-08 21:01:00 | ロマン派
連休明けは塚口駅近くのt-raumでハープのレッスン。
馬車の扉で先生とデュオを演奏して以来。
7月21日にハープの発表会があるのでその練習も始まりました。
基礎練習もなかなか難しくなってきました。

先生「なかなか上手になってきましたよ。」とニッコリ。
いやいや、まだそんなこと無いですが嬉しいです。励みになります。

t-raumのバラのアーチが綺麗でした。





猫さんは姿が見えませんでした。

横の白バラもツボでした。
帰り道、淀屋橋駅でトーマス列車に会いました。

ニア





パーシーも。
快速急行ではなく特急で帰ったので乗りませんでしたが、出会うと元気が出ます。

「機関車トーマス」の作者はウィルバート オードリー(1911-1997年)イギリス ハンプシャー州ロムジー生まれ、イギリス クロスタシャー州ストラウド没

司祭館で司祭の父ヴィアとルーシーのもとに生まれました。
庭には兄キャロルが父と作った鉄道模型が置かれていました。
1914年キャロルは出征し戦死します。
1917年にキャロルを失った悲しみから立ち直る為に家族揃ってウィルトシャー州ボックスに移り住みます。

新居の近くにグレート・ウェスタン鉄道(パディントン・ブリストル間)のボックストンネルがありました。

1848年製の広軌のアイアン・デューク級の1両、「ハイロンデル」 (Hirondelle)
そこを蒸気機関車が走り、ウィルバートは聞こえてくる蒸気やエンジンの音から機関車が意志を持っているように感じました。
オックスフォード大学に進学、1932年に大学を卒業し、翌年から3年間イスラエルで教職に付き、その時期にウィルバートと同じく教師としてイスラエルに赴任していたマーガレット・エミリー・ウェイルと出会います。

1936年イギリスに帰国し、マーガレットと結婚、1男2女を儲けます。(長男クリストファー、長女ヴェロニカ、次女ヒラリー)。

クリストファーが麻疹で寝ていた時に蒸気機関車が話すエピソードを息子に話し始めました、
これが、「汽車のえほん」となり、後に「機関車トーマス」になりました。


タリスリン鉄道
1952年以降はタリスリン鉄道等の保存鉄道のボランティア活動にも献身的に参加しました。

「汽車のえほん」にも「スカーローイ鉄道」としていくつか描かれています。

モデルとなったタリスリン鉄道の機関車。ピーター・サムのモデルとなった4号機のエドワード・トーマス号

「汽車のえほん」第10巻において「ピーター・サムのしっぱい」というエピソードとして執筆されています。
1984年「汽車のえほん」は「機関車トーマス」として映像化されます。
1983年からは息子のクリストファーが書き継いでいます。

エドゥアルド シュトラウス2世(1835-1916年)オーストリア帝国ウィーン生まれ、オーストリア=ハンガリー帝国ウィーン没

ヨハン シュトラウス1世の4男(3男フェルディナンドは夭折)、ヨハン シュトラウス2世、ヨーゼフ シュトラウスの弟です。

彼は語学に長け、外交官になる夢を抱いていましたが、長男のヨハンによって強引にハープを学ばされ、音楽の世界に引きずり込まれました。

作曲家としては、父や兄たちほど成功しませんでしたが、指揮者としては遥かにうまく、シュトラウス楽団を引き継ぎました。

彼の最も成功した曲が
「テープは切られた。」op.45です。

1869年カイザー フェルディナンド 北部鉄道が開業30周年を迎えたことで開かれた記念舞踏会で演奏する為に作曲されました。

この鉄道は、ウィーンからブルノ(当時はブルン)、クラコフ(ポーランド領で当時はクラカウという名)を経由してワルシャワまで行く路線です。

1837年オーストリア帝国で最も早く開業した蒸気機関鉄道です。
1908年ウィーン駅







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