いずみホールの近くにアガパンサスが咲いていました。
こちらは今津公民館。
涼し気な姿がいいですね。
もう7月のような暑さです。
明日から少しは下がるようですが…。
フェリックス メンデルスゾーン(1809-1847年)自由都市ハンブルク生まれ、ザクセン王国ライプツィヒ没
6歳から母にピアノを学び、1817年8歳の時にマリー・ビゴー(1786-1820年)
から、ファニーと共にパリでピアノを学んでいます。
14歳の時に祖母からバッハのスコアを贈られます。後にこの再演で評価され、音楽家としての道を初めます。
16歳の時に、父とパリ音楽院に行き、マイヤベーアなど、当時の主だった音楽家と知遇を得ます。
この年の秋、「弦楽八重奏」変ホ長調op20を、作曲します。
この頃、メンデルスゾーンの邸宅のサロンで隔週の日曜日に「日曜音楽会」を開催しています。
このサロンは、ベルリン内で豪華さで評判になっていたそうです。
ベルリンのメンデルスゾーン銀行(1938年解体)の跡地に建てられたレミーゼにメンデルスゾーンゆかりのものが展示されています。
メンデルスゾーンのヴァイオリンの教師エデゥアルド リーツ、23歳の誕生日に贈られました。
この第三楽章スケルツォについて姉のファニー
が日記でゲーテの「ファウスト」第一部の「ワルプルギスの夜」オベロンとタィテーニアの金婚式
の1節を表そうとしていたと書いています。
ゲーテの詩
「流れる雲と霧のベールが
上の方から晴れていく。
木の葉にそよ風、葦に風、
そして全ては散り失せた。」
なおも、ファニーは書いています。
「全てが新しく、珍しく、それでいて楽しくて親しみやすい。妖精の世界に近付いて、すぐにも空を飛べそうな気がしてくる。自分でほうきの柄を手にとって、空行く妖精の群を追いかけたくなる。最後は第一ヴァイオリンが羽のように軽く舞い上がる」
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