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さらばラノワのよき酒よ

2024-08-31 21:00:00 | ルネッサンス
韓国からのお土産。
立派な箱。
「なに、なに?」と私。
「どうせ酒やろ。」次男。

白酒。52度!
中国のお酒です。
露骨にがっかりする次男と私。
ほぼお酒飲めません。
夫はよほど酒好きと思われているみたいです。
このお酒、ググってみたらアマゾンでも楽天でも品切れでした。

お酒好きな人にはたまらないものなのでしょうね。

紀元前4000年以上前、メソポタミアで人類が農耕生活をはじめた頃、放置してあった麦の粥に酵母が入り込み、自然に発酵したピールが起源とされています。

最古の記録としては、紀元前3000年頃にメソポタミアのシュメール人が残した粘土板に当時のビールのつくり方が描かれています。

ワインの起源も同じくメソポタミア地方で、初めて文献に登場したのは紀元前2000年頃。メソポタミアの英雄詩"ギルガメッシュ叙事詩"の中に、葡萄酒を飲ませた記述があります。

ヨーロッパでは14世紀にポップを使う製法が発見されます。
1516年にはドイツで「ビール純粋令」が発布されました。
ビール純粋令は、食品の品質保証に関して、世界最古の法律のひとつです。

「ビールは大麦、ホップ、水のみを原料とすべし」。
ギヨーム・デュファイ(Guillaume du Fay)(1397 - 1474年)ブラバント公国ベーアセル?生まれ、フランス王国カンブレー没

はルネサンス期のブルゴーニュ楽派の音楽家です。
音楽の形式および精神の点で、中世西洋音楽からルネサンス音楽への転換を行なった音楽史上の巨匠です。

1409年から1412年まで、少年合唱隊で教育を受け、才能を認められます。

1414年、カンブレ近郊のSt.Géry(サンジェリー)教会で働きはじめます。

カンブレ
1414年から18年までコンスタンツ公会議に同行し、1418年にカンブレに戻り副助祭となります。
イタリアのリミニ宮廷に移り本格的な作曲を始めます。

リミニ
1424年に、カンブレに戻り、ラン(ラノワ)大聖堂で副助祭であったと考えられています。
1426年、イタリアのボローニャに移動し、1428年には司祭となります。その後、1433年までローマで教皇庁の歌手となります。

1433年、サヴォワに移動し、ブルゴーニュ公やジル・バンショワと会います。

デュファイ (左)とバンショワ
1435年に再び教皇庁の歌手になりますが、1436年サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂(フィレンツェ大聖堂)

の献堂式のために「ばらの花が咲く頃」という曲を作っています。
1437年に再びサヴォワに移動し、ブルゴーニュ公
ブルゴーニュ公“善良公”フィリップ3世』(1456年頃)、(在位1419-1467年)
ロヒール・ファン・デル・ウェイデン画)ぬ
に仕え、その後、サヴォアとカンブレの間を行き来します。

1459年、カンブレに戻り、オケゲム、ビュノワと親交を持つほか、ジョスカン・デ・プレらとも接触したと考えらます。
1474年11月27日没。

さらばラノワのよき酒 (Adieu ces bons vin de Lannoys)

ドナート・マンチーニによると
「タイトルにその言及があるこの優雅なロンドは、1423年から1426年の間にデュファイがラノワで幸せな年月を過ごした証拠と言われています。

歌詞は、その地の良質なワイン(「ボン・ヴァン」)と美しい女性たちを懐かしく思い出し、彼女らに悲しくも惜しげもない別れを告げています。」

「さらばラノワの良き酒」
さらば、この良きラノワのワインたち、
さらば淑女たち、さらばボルゴワ、
さらば愛する人、
さらばすべての遊び心のある喜び、
さらばすべてのガロワの仲間たち。
後略




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