
先月コロナで飛ばしてしまった富久田先生のレッスン。

出町柳大橋。



ワイマール城教会

とエルンスト・アウグスト

のワイマール宮廷礼拝堂のコンサートマイスターに任命されました。

偶然、京阪特急2階建て車両、2階に乗れました。
テンション上がります。

京都も雨。

出町柳大橋。
バスの車窓から撮りました。

御所。
よくわからないなぁ。と思っていたら夫が出張した時の写真くれました。

この緑の四角が御所です。
天皇陛下が居られなくても、京都の人は大切に守っています。
私物化したり、御所を売り払ったり、開発したりは考えられません。
ヨハン セバスチャン バツハ(1685- 1750年)神聖ローマ帝国ザクセン公国アイゼナハ生まれ、神聖ローマ帝国ザクセン選帝侯領ライプツィヒ没

のカンタータ「空から雨と雪が降るように」BWV18
1713年に四旬節前(復活祭前40日)の第 2 日曜日、ワイマールのセクサゲシマ(60日目7月の日曜日)のためにヨハン・ゼバスティアン・バッハによって書かれた最初の教会カンタータの 1 つです。

ワイマール城教会
1708年からバッハはワイマールの宮廷で働きました。
1714年3月2日、バッハは、共同統治者であるザクセン・ワイマール公ウィリアム・エルンスト

とエルンスト・アウグスト

のワイマール宮廷礼拝堂のコンサートマイスターに任命されました。
この役職で、彼は新しい作品、特にシュロス教会(宮殿の教会)のためのカンタータを毎月作曲する主な責任を負いました。
バッハは、灰の水曜日(祈りと断食の日です。この日の前には告解の火曜日があり、復活祭前の 6 週間の苦行期間である四旬節の初日です)の前の第 2 日曜日、セクサゲシマのためにワイマールに滞在中にこの作品を作曲しました。
このカンタータは、バッハのカンタータ作曲の比較的初期に登場します。
この曲は 1715 年 2 月 24 日に作曲された可能性がありますが、それより 1 ~ 2 年前の可能性もあります。
バッハは1724年にライプツィヒでこのカンタータを、より広範なオーケストレーションと異なる調で再度演奏しました。

ヤン・ルイケンによる種まき人の寓話
聖ルカによる福音書の中の種蒔く人から、第 2 楽章ではイザヤの言葉を引用しています。「雨と雪が天から降ってくるように…私の言葉もそうなるでしょう…」
恵みの雨となりますように。
バッハのカンタータは作品数が多いですね。私はCD5枚組を持っていますが、それでも、ほんの一部ですね。(^^"
バッハはカンタータを行事ごとに作曲するという契約をしていたので作品数が多いみたいですね。
CDお持ちなのですね💖
お加減いかがですか?
私も昨年12月に転倒して右膝蓋骨骨折。1ヶ月ギプス生活でした。
ご不自由でしょう。お大事になさってくださいね。
バッハお好きなのですね💖
私も好きです。