父が病院で頑張っている間に、夫の叔母が亡くなりました。
近所で可愛がっていただいたので、三連休はお通夜、お葬式でした。
アーネスト ケーラー(1849~1907)はイタリア生まれ。
フルートの名手で、「ケーラーの35の教則本」などエチュードで有名です。
彼の書いたのは
「ショパンの主題による演奏会用二重奏曲 第二番 op.68」
フルート2本とピアノが入ります。
この曲はショパンのピアノソナタ第二番 変ロ短調 op35の第三楽章
「葬送行進曲」の中間部を主題とした変奏曲になっています。
あの重苦しい葬送行進曲の第一主題ではなく、中間部の優しく哀しいメロディです。
ケーラーは、なぜ、あの第一主題ではなく第二主題を選んだのか?
お坊様の悲しき、悲しきという詠唱を聞いていると、日本人の思う葬送と、イタリアやポーランドの人の思う葬送の違いを考えること無しに理解は進まない気がしてきました。
キリスト教の葬送は、別れの悲しみはありますが、天に帰る。天国に迎え入れられる喜びの日でもあります。
主が喜びで、傍らが別れの悲しみ。
生前の苦しみはすべて終わり。復活の日を迎えます。
日本人の葬送は、悲しみであり、物忌み。
不吉な出来事でハレの舞台からは、遠ざけられます。
そう思ってショパンの曲を聞き返すと、第一主題は
原罪…誰もが生きているだけで生じている罪…を背負って進む行進。
重く暗い足どり。
生きる苦しみにはどこにも光はありません。
そこから第二主題。
異世界の美しさ。
重さが消え失せ、明るく軽い色調に変わりますが、力やエネルギーと言うより、静謐な感じです。
これは天国の美しさだと思うのです。
さてケーラーに戻ると、第一主題の地上の苦しみの音楽を繰り返し変奏して取り上げるよりも、第二主題天国の音楽を取り上げるのは、自然なことであったと思うのです。
美しい天国の変奏曲、ぜひ聞いて見てください。
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