記憶の彼方へ

カラーとモノクロの写真と一緒に 日頃のなにげないエピソードやホッとするコトバを♪

知らない家

2011年03月12日 19時38分25秒 | Weblog
エレベーターは止まっていた。疲れた体を振り絞って8階まで上がる。当然息切れ。ついに我が家の扉を開けた。
「きゃーっ」
悲鳴をあげた
私の知らない家だ
まさかとは思っていたが、棚にあったグラスや調味料、ガラスの器はすべて粉々。足の踏み場がない。靴棚の中身も散乱。冷蔵庫の上に置いた炊飯器が床にいる。
ガラスの破片で怪我をしないよう、一旦ブーツを脱ぎ靴のまま部屋に入る。今度は部屋に入る扉が開かない。棚が倒れて塞がれているのだ。
片手だけ入る隙間からなんとか戸棚を動かし、扉を開けた。惨劇だ。
窓際にある棚の書籍は床に散乱。こんなに本があったのかと疑うほど床を埋め尽くしている。
まずは携帯の充電だ。充電器をコンセントに差し込んだが点灯しない。電気が供給されていないと思った私は家を飛び出し駅前のビッグカメラで充電させてもらった。待っている間目を開けていられなかった。
充電が完了するやいなや、20件以上のメールを受信。いまごろ?ってメールばかりひとりぼっちで心細かった昨日のあの時間に見たかった

結局携帯は便利なようで不便でしかないのかな。
自分が送れたメールの返信がないと、単に通信網がパンクして送信できないとは思わず、トラブルがあるから返信が来ないと思ってしまう。心配を増幅させるだけなのだ。

携帯で連絡出来ることが解って安心すると、今度はおなかが空いてきた。
家の近くの吉野家に寄り注文を待っていると昨日連絡つかなかったMとSっちから電話声を聞くだけでホッと安心するのだ。

またあの惨劇の我が家に帰るのかと思うと気が重いでもまるごと流されて跡形もなくなってしまった方々に比べたら幸せなのだ。自力で元通にできるのだから。
因みに電気はブレーカーが落ちているだけで上げたら入りました



先日献血したときに戴いた軍手。
早速役に立ったのだ。
割れたガラスで手を切らずに済んだよ
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帰宅までのみちのり

2011年03月12日 19時09分16秒 | Weblog
結局昨日は路線が同じおーちゃんのおうちに避難させてもらった。

既に顔見知りtomoちゃんとよっちゃん、はじめましてのKさんも避難していた。
みんなの顔を見て緊張が解けた私は、お互いの地震時の状況弾丸トーク爆裂。でもいつしか起きているのは私だけになった。
みんなの寝顔を見てにんまり。途方にくれて動けずにさ迷った私とは違って5時間ほど歩き通しだったのだ。
約一名、疲れきって顔色が悪い寝顔もあり。
結局私は貫徹。

テレビは各地の現在の地震の様子といまだに続く余震の警戒を訴え続けていた。

地震の悪夢とは裏腹に眩しい朝日を浴びたあとおーちゃんちを撤収。
終点まで運転再開した東京メトロはぎゅうぎゅう。誰か押して~。途中で下車したKさんは扉から飛び出した私のバッグを押してくれた。
更に乗り換えた総武線では、みんな乗り込んだ後、「ただいま時間調整のため、しばらく停車します」とのアナウンス。
扉近くにいた私たちはこの無意味なドアの解放が理解できなかった。
「時間調整はいいけど、ドア閉めればいいのに。どうせ開けといても乗る余地ないし、寒いし、なにより油断したらホームに転がり出そうだよ」と訴えた。
隣にいたおじさんも「隣駅まで我慢できないよぅ~」と続けて言った。

踏ん張ったおかげで転げ落ちずに発車し、なんとか我が家にたどり着いた。
我が家に帰ってきたのだ。
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行動開始

2011年03月12日 18時20分20秒 | Weblog
Kやんから返信が来た。
Facebookとヤフーメールからメールをしていたらしい。
上記のメールは携帯には受け取れなかったのだ。

「レンタカー借りれたら迎いに行きますよ~」というメールに思わず泣きそうになった。

構内放送では一部の地下鉄で運転開始したと言っている。一番近い最寄り駅はあまり利用したことのない都営新宿線。
手帳にある路線図を見ても東京駅から行けそうになさそう。
外を歩くなんてもってのほか。私は究極の方向オンチなのだ。

そうそう、携帯で路線を調べればいいって言われそうだけど、充電があと一つだけなのだ。迂闊に無駄づかいしたくない。

Kやんのメールで元気が出た私は、改札窓口のお兄さんに東京駅から最短の都営新宿線の駅を尋ねた。
対応に疲れはてたのか無表情のお兄さんは「ここを真っ直ぐいくと半蔵門線があるからそれに乗れば都営新宿線に乗り換えられます」と答えた。

聞いてよかった。東京駅から外に出ることなしに行けたのだ。

これから帰りますよ

都営新宿線、本八幡方面はただいま人で溢れかえっています。
押しくらまんじゅう状態。待てど暮らせど一向に進まず。そのうちに東西線再開の放送が入った。
結局東西線に乗り換えたら、思いの外空いていた。

これで無事に帰れそうです。
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その後(16:13)

2011年03月12日 18時10分54秒 | Weblog
会場にいた人、Tohoシネマや阪急デパートの従業員も一階に避難した。

マリオンの一階で立ちすくむ人々の中に染まる。
太い柱に寄りかかっていると、また揺れるのがわかって怖いけど解らないほうがもっと怖い。

陽のあたる時計のわきにある植木のところに腰を下ろした。植え込みを見るとフランク永井さんの「有楽町で逢いましょう」の歌詞が書かれた石があった。
こんなことでもなければみつけられなかっただろう。
16時になる少し前にレトロな音が流れてカラクリ時計が動き始めた。TOHOの従業員さんたちも思わず爆笑。私も緊張の糸が解れた。

隣に座った70過ぎ位のお母さんは、それを見て、「もうお腹いっぱいだよ~」と横にいた息子にもらした。何も本気でお腹がいっぱいなわけではない。この地震騒ぎで懲り懲りと言ってるのだ。

電車は止まってるし、動きようがない。
しばらくボーッとした後、陽が陰ってきて寒くなってきたので歩き出した。
しかしこういうときに限って誰も返信なし。心配は募るばかり。
携帯から電話をかけても全く通じない。
メールも自分で新着メールの受信確認しないと受け取れない状況だった
仕方なく長蛇の列に並び公衆電話から実家にかけた。
メールは見ていなかった。勘弁してほしい
親なんてこんなものだ。いざという時に使わないのだ。がらくたでしかない。

受話器の向こうの母は、被害状況を語り出した。洋間にあるガラスの飾り戸棚が粉々になったこと、石像が倒れたこと、黙っていたら延々話しそうだから「みんな、人間は大丈夫なの?」と話を遮った。
無事らしい。ひとまず安心ということで後ろに待っている方もいることだし早々に電話を切った。

充電が切れそうだからコンビニで携帯充電器を探したら既に売り切れ

いろいろさ迷った挙げ句東京駅に落ち着いた。

各地の被害状況を映した大型テレビを見ながら改めて地震の大きさを知った。

ただいま22時23分。
東京駅構内の階段で座ってる。かれこれ2時間はたったろうか。

今夜はホームレス気分に浸りますよ



マリオンの時計

東京駅構内の階段で座ってます。
寒さをしのぐのにうってつけ!
シンポジウムでもらった朝日新聞です
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