記憶の彼方へ

カラーとモノクロの写真と一緒に 日頃のなにげないエピソードやホッとするコトバを♪

100本のバラ

2010年07月31日 20時36分49秒 | Weblog
昨日はYちゃんの誕生日だということをすっかり忘れていた日付が変わる30分前ギリギリセーフでメールを送った。

かわいいテンプレートを探す余裕もなかった

その返信には100本のバラの写メールが添付されていた
いまだかつて誕生日に100本ものバラをプレゼントされたことはない。花キューピットとか、宅配で届くならいいが、手で持って届けるには恋人も勇気がいるだろう。パリでは花やさんがあふれているし、花を贈ることが普段使いでもあるからあまり違和感を感じないが、日本では男の人が花束を持っている姿はめずらしい。
写メールには一色ではなく色とりどりのバラが写っていた。
かつて退職するときに頂いたバラの花束は100本とは言わないが、茎もしっかりとしていてボリュームもあり香りがいいピンクのバラだった。
ただ、それだけの花束を生けることが出来る花器などそうそうあるもんじゃない。
お風呂場というわけにもいかないし
結局ゴミ箱として使用していた黒いプラスチックの円柱型の入れ物に水をたっぷり汲んでバラを生けた。
そして枯れる手前でバラの花びらを湯船に浮かせてバラのお風呂を楽しんだ

でもこれ、湯船に浸かっているときは実に至福の時間なのだがひとたび湯船からあがろうものなら、からだ中に花びらがぺたぺたとくっつき、剥がすのに一苦労だった。あれ以来バラのお風呂はやっていない。Yちゃんに教えてあげたいけどやめておいたほうがいいかもしれない。100本分の花びらを全身まとってしまうかも!

私も死ぬまでに1度でいいから100本のバラを贈られたい
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色がもたらす効果

2010年07月26日 20時18分57秒 | Weblog
昨日となりのマエストロで色のいろんな効果について取り上げていた。

興味深かったのは、お皿の色によって食べ物の味に変化を与えるということ。
白いお皿にマグロをのせたものと、赤いお皿にマグロをのせたもの。被験者の大半が白いお皿のほうが美味しそうと言うが食べてみると赤いお皿のほうが美味しいという反応が多く出た。またサラダを白いお皿に盛った時と緑のお皿に盛った時とでは緑のお皿のほうがより甘さを感じる結果となった。
料理とお皿の関係は見た目に影響するため、美味しくいただくために気にしてはいるが、なおかつ味にプラスのエッセンスを与えるとは知らなかった
いま現在、私は信じていない。自分で試さないと信じられないタチなので。
でもそれって実際問題、お皿の色が変わっただけで甘さがぐんと強くなるわけではない。人間の脳の錯覚なのだろうか。
しっかし色つきのお皿ってあまり選ばない。あっても縁取りの赤や、絵付きのものぐらいで、カラフルなお皿は買ったためしがない。たいてい白か、黒、こげ茶、ベージュなどのアースカラーを選んでしまう。思い切って真っ赤なお皿をかってみようかな
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いつかは無縁仏

2010年07月21日 20時55分07秒 | Weblog
日本のお墓事情だと、お墓を守る家族、親戚、孫がいなくなり、管理料が入らなくなると、お墓は掘り返され、中の骨壺は無縁仏達の集合したお墓である合祀墓の仲間入りとなる。父のお墓があるお寺さんも入口近くに無縁仏となった仏さまの集合墓地がある。
そしてお墓があった場所はきれいにさら地となり新たな仏さまを待ちわびるのだ。金の切れ目が縁の切れ目とは世知辛い世の中だ。

海外ではお墓を守るものが途絶えても、そのままそこにお墓は存在し続け、わざわざ花を生けるわけではないものの、雑草が生えれば刈ることはしてくれる国もあるそうだ。
合祀墓のようになにもかもいっしょくたにするのは日本独特なのかも。

自分がその立場だったら合祀墓に葬られるのはまっぴらごめんだ。
きっと主みたいな仏さまがいるに違いない
新入りが来たとばかりさんざんコキ使われそう。
ならばいっそのこと潔く散骨にしたほうがいいのかもしれない。
そのほうがよっぽど自由がきく。生きているうちに死んだ後のことを決めておかないとあの世で永久に後悔する羽目になりそうだ。

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散骨

2010年07月19日 10時32分42秒 | Weblog

親が、以前から目をつけていたお墓を買ったらしい。
「じゃ、一足お先に、私が入るよ。広々とした中で手足を伸ばしてね」と冗談を言ったら親が笑っていた。
お墓の中って一体どれくらいの広さなのだろうか。
生きたまま入ることは一生ないので知る由もないが骨壷が1つか2つしか入らない狭い納骨室(カロート)も都心ではあるようだ。
子供のころに読んだ絵本「おしいれのぼうけん」のイメージを抱いていたけど、かなり狭そうだ。

私は完全に分骨希望だ。
一、実父のお墓に1/3、
二、パリのセーヌ川に1/3散骨、
三、今回購入したお墓に1/3。但しここは確定ではない!
二番目は可能かどうかは解らないが希望である。

先日亡くなったつかこうへいさんの遺言に心を打たれた。故人も散骨を希望している。お墓を作る気はないようだ。
私もあんな言葉を遺したい。なにもしてくれなくていいのだ。せめて身内だけならまだしも付き合いだからとか形式ばったお葬式など単なる見栄でしかないと思うようになった。

私の父親のお葬式には花輪がたくさん並んだと物心ついた時に聞いたことがある。
亡くなった時に「その人となり」があらわれるという印象をうけ、私が死んだときには数えきれないほどの花輪を空から見てみたいと思ったものだが、今は違う。
ひっそり静かに逝かせてほしい。そして大好きなパリの橋をいつまでも見ていたい

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さび抜き

2010年07月18日 20時32分40秒 | Weblog
お寿司はぜったいにさび抜きだ!

ワサビには殺菌作用があるからわざわざサビを抜いて食べることは道理に反しているのだが、からだが受け付けない。
鼻が悪いから刺激物を摂取すると鼻粘膜の血管が拡張して鼻が詰まり呼吸困難になる。お酒も量を飲むと同じ症状がでるのだ。まあそれ以前にワサビの味が好きではない。

今日は久しぶりに実家に帰ったので回転寿司に行った。(ひとカラは行けてもひとりで回転寿司、ラーメン屋さんには行けないのだ)カウンター席から板前さんに「ボタン海老とキンメお願いします」ワンテンポ遅れて「さび抜きで!」と頼んだ。威勢のいい板前さんはにっこり笑顔で「さび抜きね」と確認した。

一度さび抜きで頼むと覚えてくれるところとコロッと忘れてしまううっかりさんがいる。
今日はきちんと覚えてくれた。二回目には「さび抜きで」と付け加えなくても「さび抜きね?」と確認してくれる。ちょっぴり嬉しい
最後の〆にと決めていたプリンが回ってきた。手を伸ばして取ると、先ほどの板前さんがすかさず、「こちらはさび抜きですのでご安心下さい」だって。
私も母も大爆笑。気の利いた声がけが食事を盛り上げてくれる。
威勢のいい掛け声と本日の目玉商品をひっきりなしに説明しながら握る板前さんの顔を覚えてしまった。

さび抜きって子供でもない限り、言うのが恥ずかしい。でもここなら安心していただくことが出来そうだ。
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ラーメンバーガー

2010年07月17日 16時28分13秒 | Weblog
みたままつり最終日の昨日、念願のトウモロコシを買うことは出来なかった

当然である。何故って行った時間が10時を優に回っていたからだ。境内の提灯はすべて消え、開いている時しか見たことのなかった神門は閉められていて、菊花の紋章が暗闇から威厳を放っていた。
どの屋台もせわしなく解体しはじめている。まだ遊び足らない20代前後の子たちがしゃがみこんで祭りの余韻にひたっている。唯一テーブル席のあるお酒を出す店だけが営業をつづけ、一向に帰る様子を見せない客たちがビールを飲み続けていた。
せっかくなのでまだ品物が並んでいた屋台、九段下駅寄り入口にあるラーメンバーガーを買って私たちもテーブル席でビールを飲んだ。
一昨日Oさんから聞いた名前。喜多方のB級グルメで有名らしいが、はじめは冗談で言っているんだと思った。 だってラーメンのバーガーなんて想像出来ない。ネットで検索すると、バンズの部分が固めた麺になっている。モスのライスバーガーの麺バージョンだ。最後にスープダレをかけるのでゆっくり食べてなくても麺がほぐれ、量が増えていく。結構おなかいっぱいになってしまった。
几帳面にもナルトとメンマまで入っていたがテーブルに置いた時にこぼれ落ちた
希望を言えば煮卵半分か目玉焼きを加えたい。
やや味が薄かった。スープダレではなくスープをふりかけ状にしてみてはどうだろうか。
何故って麺は固いままで戴きたい。

屋台で売ってるものだから多少の味のズレはあるのかな。
いつか本場喜多方でたべてみたい。
今試しにラーメンバーガーを改めて検索したら、福岡にもあった
めんバーガー
こちらは卵焼きが入っている
とっても気になります!!
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お祭り

2010年07月14日 06時37分10秒 | Weblog
昨日、靖国神社のみたままつりが始まった。

みたままつりとは、戦没者たちを弔うお祭りだ。ご存知のように靖国神社には戦没者のご遺骨をお納めしてある国の施設。
その数、35万柱だそうだ。未だに祖国に帰れずにいる無名の兵士たちの魂を供養するお祭りなのだ。

昨年は会社の帰りにひとりで寄ってみたが、想像と違っていて写真もいまいちの出来だった。というのは宣伝のチラシで見た幻想的な万燈(提灯)の雰囲気はひとかけらもなく、人、人、人の嵐。背が高いとは言えない私は、人混みに埋もれてしまいカメラを頭上で掲げなければ撮影も出来ない状態だった。
大村益次郎の銅像の周りでは浴衣を着たお姉さん(平均年齢50才以上)、おじさん達が盆踊りを楽しんでいる。
盆踊りの輪にうっかり入ったら出られなくなりそうだ。だって一列の輪ではなくざっと4、5重の輪が出来ていたからだ。
結局メインである両脇の万燈は完全に脇役に変わっていた。

会社が九段に移転したのでオフィスから靖国神社が見える。夕方から鼓笛隊の音が聞こえ出し、窓から下を覗くと白い制服を着た4列程の人達が行進していた。境内で流れている東京音頭のメロディと鼓笛隊の行進曲が重なり余計耳から離れなくなっていた。集中したい仕事があったのだが、完全に盆踊りの歌詞で頭の中が占領された

仕事が終わったら屋台のチェックに行く予定だったが、なんだかヤンキーっぽい子たちが地べたに座ってたむろしているのを見たら寄らずに帰りたくなった。君子危うきに近寄らずだ
さくら祭りの時に大好評だったトウモロコシ、今回も買えるかな。すでにトウモロコシの屋台情報は寄せられている。
無類のトウモロコシ好きな私は焼きではなく茹でただけのトウモロコシが好き。
今週金曜日までお祭りはやっている。
少なくとも2本はゲットしたい

余談だが、今年のチラシに掲載されていた万燈(まんどう)は桐を使った様な趣あるものだが、実際はどう見ても普通の提灯が掲げられているようにしか見えない。掲げる場所がちがうのかな?
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星に願いを

2010年07月08日 06時20分10秒 | Weblog
七夕の昨日、いいことありましたか?

先週の日曜日、東京メトロ銀座駅、丸ノ内線近くにあった短冊をいくつか戴いてきた。
ひと掴みがピンク4枚水色4枚。自分の願いがこんなにあるわけじゃないですよ!私みたいに四季のイベントにのってくれる人に渡したかったのだ。

立て掛けられた笹にはすでに色とりどりの短冊が願いとともに揺れていた。
欲が深いのか、どうもその場でスラスラと願いを書くことが出来ない。家でじっくり考えたいのだ。ただの紙切れ一枚にそこまでって言われそう

短冊に書いた願いは早くて誕生日まで、遅くとも今年中に叶ってほしい内容だ。でも七夕を過ぎたあと、短冊が結ばれた笹を見たことがない。やはり翌日には取り払うものなのだろうか。まだ部屋のコーナーにかけたままだ。
いつまでも短冊をぶら下げたままでは願い事がかなわないなんていう残念なおまけはついているのだろうか。昨日銀座を歩いていたら、お店の前に立てかけられていた笹を外していた。まあ、お店はさすがに外すしかないだろう。笹が干からびて見た目が悪い。

「願い事かなえ器」というステンドグラスでできたかわいいピラミッド型の器がある。
京都嵐山、「一番星みつけた」という店で買ったもの。中には願い事を過去形で書く決まりになっている。意外とこれって不思議な感覚だ。つまり現実とは違うことを断言するからだ。願い事によっては照れ臭いかもしれない。
いくつかしたお願いの半分くらいは叶った。もちろん頑張った自分や手をさしのべてくれたまわりのひとのおかげであるが、この器にも力があると思う。夢のない人は無意味な行為と見向きもしないかもしれない。
でも私は無視出来ないたち。そこに書いたことは自分の行き先を示すもの。あたまに思い描いたコトバは時に忘れてしまう(あっ、私は日常茶飯事です)
手書きで書いたコトバはきちんと記憶野に刻印されるのだ
そして道しるべを導き出すのは自分の情熱だけなのである。
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湿度の問題!?

2010年07月05日 06時12分28秒 | Weblog
今朝駅へ向かう途中、居酒屋の前で抱き合う2人を見かけた。
Tシャツ姿の彼にカーゴパンツを履いた彼女。彼女が長袖だったから余計暑苦しい
彼女から彼に手を回していた。
朝の5時半前だ。

懇情の別れか何か?

日本で恋人同士がひしと抱き合う姿はどうもロマンチックに見えない。特に夏に関しては。
恐らく日本の気候に関係しているのではないだろうか。湿気のないヨーロッパでは夏でも見ていて素敵だしパリのセーヌ川にかかる橋の上でなら、死ぬまでに私も体験したい。SATCのシーズン6のラストシーンもパリの芸術橋(Pont des Arts)の上でのハッピーエンドだった。黒木瞳さんと岡田くんの「東京タワー」も。きっと日本人の憧れのひとつなんだと思う。日本で橋の上で。うーん、やっぱり想像出来ない。橋好きな私は日本の橋なら石で出来た錦帯橋、時代劇に出てくる木で出来た流れ橋なんかが好きだ。近代的なメタリックな橋ならレインボーブリッジ、横浜ベイブリッジ、清澄橋が好きだけど、なんか違う。
最近は道ばたでひしと抱き合ったり、キスする光景を見ることが珍しくはなくなってきたが、私は日本ではまだ無理。理性が働いてそこまで弾け切れない
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またもや

2010年07月04日 10時25分56秒 | Weblog
今日の予定を書き出したメモ。

注意しているのだが、たいてい忘れて出掛けてしまう
たいてい電車を待つホームで目をぎゅっと閉じながらメモに書いた文字を思い出す。今日は携帯に記録した。

物忘れのひとつだ。他には外出するときの戸締まりチェック。
習慣になっているのでたいていはかけてあるのだが、エレベーターに乗った途端急に不安にかられる。閉めたかしら?でもこれ、私よりも一回り以上若いWさんもよくあるというのでちょっと安心
最近増えたのは入浴中のこと。カラタを洗ってから頭を洗う習慣だが、頭を洗い終わった後で、カラタを洗ったかどうかが思い出せない。スポンジを触って濡れているのを確かめ安心する。
記憶力の衰えなのだろうか。いましたことが思い出せない
多少の危機感を察した私は先日本屋で記憶力を鍛える本を買ってしまった。
私のアタマに効を奏してくれる余地があることを祈る。
あっ、いまひらめいた。
紙にメモるのではなくて初めから常に持っている携帯に記録すればいいのだ。
なんでこんなシンプルなことに気づかなかったのだろうか。
後れ馳せながらひとつ学習した
えっ?携帯忘れたらどうするかって?
うーん、救いようがないね。自分のポンコツ記憶装置に頼るしかない
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